黒坂岳央です。
人生、生きていれば誰でも「悔しい」と感じる瞬間は何度もある。よく聞く話が「悔しさをバネに頑張ろう」とか「悔しさを感じなくなったら成長しなくなる。だから大事」のようなアドバイスである。
なぜ人は悔しさを感じるのか?悔しさはプラスか?マイナスか?このあたりを個人的見解を添え、言語化に挑戦したい。
「悔しさ」が生まれる時
まずは「悔しい」という感情が生まれるのは、どういった場合か? を考えたい。
結論から言えば、「他者と比較して敗北を痛感した時」がもっとも多いのではないかと思っている。成績争いやスポーツでライバルに負けたり、SNSを見て他人に月収が負けたことを知った時や、YouTuberが再生回数でライバルを見て気落ちするというものである。
その逆に他者との比較が起きない局面では、悔しいという感情は生まれないと思っている。たとえば自宅にずっと引きこもっていれば、他者と比較する機会そのものがない。そうなると悔しいという感情は生まれにくいだろう。
筆者はニート経験があるから自己体験的に分かるが、「人生このままだととんでもないことになってしまうかも」と将来不安からの焦りはすさまじかったが、当時は「悔しい感情」はほとんどなかった記憶がある。
悔しさは多くの人にマイナスに働く
起業して果敢に挑戦し続ける熱血ビジネスマンや、全国の成績上位争いを駆け抜けた秀才がメディアインタビューや合格体験記でコメントを求められた時、よく聞く言葉がある。それは「負けたら悔しい。だからがんばれた。悔しさは大事。ライバルを意識したからこそ、自分ひとりでは出せないエネルギーを出すことができた」という趣旨のものである。
これはよく分かる。確かにそうだと思う。自分ひとりのために頑張れる努力は小さいが、他者を意識して頑張れる努力は大きい。勉強がよくできるエリートの中には、「全国の成績上位ランキングでライバルに勝ちたいから」という動機づけで大変勉強をする者までいる。彼らにとって勉強はもはや、知力を高めるゲームではなく、勝敗ゲームなのだ。
しかし、悔しいという気持ちは常にプラスに働くわけではなく、個人的にはマイナスに働く局面の方が多いと思っている。他者競争を意識し、勝ち続けるために猛烈に努力するアスリート気質でメンタルタフネスに優れる人にとっては「爆発的な燃料」になり得るこの感情も、そうでない人には努力したいという気概をくじく要素になり得る。
たとえば勉強をコツコツ頑張って実力が伸びていき、嬉しさを感じている時に、SNSなどで同じ境遇、同じ年代、同じ勉強法で取り組んでいるライバルに出し抜かれたら「負けてたまるか!」という気持ちより、「自分はやっぱり大したことがないのだ」と落ち込んだり、嫉妬してしまう事が多いのではないだろうか。
だから筆者の主義としては、ムダに悔しさを感じてやる気が損なわれるくらいならいっそ、他人は一切意識せずに取り組む方がメンタルの健全性を保てると思っている。
悔しさはなくても生きていける
「資本主義社会の本質は競争。他者に打ち勝つ気概なくして生きていけるものか」という意見もありそうだが、自分はそうは思わない。
元々、自分は結構悔しさを感じやすい体質だ。会社員の頃は特にそうで、自分より効率よく仕事をこなしたり成果をあげる自分と年齢が近い社員を見て「他の人はこんなによくやっているのに、自分は会社のお荷物でしかない」「どうやったらあいつみたいに仕事ができるようになるんだ」と毎日、悶絶するほど悔しかったし、その差を埋めるためにかなり頑張った記憶がある。結局、適正がない領域の仕事だったため、常に努力は空回りし続けてずっと悔しい思いをした。その後、起業して退社した。
現在はまったくといっていいほど、競争意識なく仕事をしている。だが、ありがたいことにビジネスは順調にいっている。自己分析すると、差別化しているためだと思っている。ビジネスが横並びの劣化コピーとなれば、必然的に他社を強烈に意識した低価格競争になる。しかし、独自性を打ち出し、誠実に取り組めば「あなたから買いたい」という状態を作ることができる。そうなればライバルがうまくいっていても、そうでなくても売上には影響しないから、他者の動向に興味を失いやがて見なくなる。
自分は自分。人は人。自分がやるべきは、支持してくれる相手を喜ばせることだけに集中するだけで、ビジネスは伸びていく。自分はサラリーマン時代は同僚と成績勝負で常に負け続けて悔しい思いをし続けてきたが、起業してからは「あの人に負けて悔しい」という気持ちを感じた瞬間はまったくないことに気づいた。自分のビジネスは他者と勝負しなくてもいい戦い方をすればいい。
◇
だが最近、数年ぶりに猛烈に悔しいと感じた体験があった。それは今年から始めたストリートファイター5というゲームで、インターネット対戦やトーナメント大会に出場して決定的に敗北した時だ。相手にズタボロに負けることで「ああ、悔しいってこういう感情だったな」と思い出し、同時に数年間悔しさを感じていなかった事実に気づいた。本稿はその結果、執筆されることになった。悔しさを感じなくても、人生は幸せに生きていけるのではないだろうか?
■最新刊絶賛発売中!
■Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka
■YouTube動画で英語学習ノウハウを配信中!