解決できない少子化問題:なぜ子供にかける費用がより膨大になるのか

少子化問題は折に触れて話題になりますが、私は楽観視したことは一度もありません。政府は一生懸命、取り組んでいる姿勢を見せていますが、それは出産費用や託児所など生まれた後の対策であって経済的負担は劣後する問題です。それ以前に子供が欲しいと思わないのです。なぜ、解決できないのか、日本はどうすればよいのか、考えてみたいと思います。

Tomwang112/iStock

ざっくりした話をします。仮に2022年に80万人の子供が生まれたとします。うち半分が女児です。40万人の女児が出産適齢期である2050年に出生率が1.3だとすれば52万人が生まれ、うち、半分が女児です。よって生まれた26万人が出産適齢期である2080年に34万人産み、うち女児は17万人…と考えていきます。すると国立社会保障人口問題研究所が推測する数字を大きく下回る公算が高いとみています。私がざっくり計算すると2100年には日本の人口は4000万人を大きく下回る水準、悪く見れば3000万人程度になってもおかしくないとみています。

理由は上記の計算方法はかなり好意的に計算しているからです。まず、出産における男女比は50:50ではなく、男児が5%ほど多いのです。これは生物学的に男児の方が死ぬ確率が高いため、種の保存の原理からバランスを維持するために男児が女児より多く生まれるようになっているのです。今は減っていますが、女児が成人前に死ぬケースも当然あります。

次に出生率です。いわゆる合計特殊出生率は15歳から49歳までの方の出生率を足し上げたものです。年層ごとのエレメントで見ると20代半ばから30代半ばが圧倒的に多く、きれいな分布曲線を描きます。厚労省のデータによると20歳から29歳の出生率は1981年から30年間で半減しています。一方で、30歳から49歳では各年齢層で出生率が3-5倍に増えているのです。出産年齢が相当後ずれしていることが見て取れます。ただ、後ずれするだけならいいのですが、そもそもの絶対数が比較にならないほど小さいわけで率で見るより実数でみると相当厳しいのです。

ではその出生率ですが、日本は2021年が1.30です。私はこれが大きく下がると予想しています。多分、2050年に向けて1.00に近づくだろうと。こうなると2100年の人口予想を計算したくなくなるほどになります。私は生きていませんが、わずか80年後にとてつもなく人口が減るのです。

出生率の低下が加速度的に落ち込むのは親が子供にかける費用がより膨大になり、子供が乳離れしなくなることで新たな家族を持つより親元で裕福に暮らしている方が楽だという人間の性がそうさせます。この傾向は特に富裕層に強く見られます。

少子化問題は日本のみならず、東アジアで顕著に出ている傾向です。なぜでしょうか?私の見方は宗教観と社会慣習に基づくところが大きいのではないかとみています。欧米はキリスト教のもと、ファミリー第一主義があり、機会ごとに集まり、ファミリーツリーが大きくなる仕組みがあります。それは単に親族が増えるだけではなく、相続に対する課税が薄いため、子供や孫の世代に資産をつなぐという発想があるのです。

一方、アジアは儒教の影響を受けています。これが悪いのだとみています。まず、男尊女卑があります。次いで長男至上主義があります。戦前、貧しい頃、子供を養子や里子に出し、海外に移住させるなど「家族が喰えないから家族を離散させる」ことを好む好まざるにかかわらず行ってきました。中国はどうでしょうか?男尊女卑は日本よりはるかに強く、一人っ子政策の時、女児を出産した場合、裏で手を廻して里子に出すのは当たり前でした。その女児がどこに消えたかはわかりませんが、統計上、男児ばかり増えて人口バランスが崩れています。韓国は言うまでもなく、儒教がはびこっていましたから合計特殊出生率は0.84とてつもなく低い出生率にあえいでいます。

つまり東アジアでは拡大する家族中心主義という発想は弱く、長男とそうではない人たちとの軋轢が常に起きます。その裏には東アジアに強く見られる拝金主義があると考えています。これが少子化の根本理由ではないか、と疑っています。

そう見ると小手先の対策では少子化が止まることはないことがお分かりいただけると思います。

これに対して一部からは昔は人口が少なかったのに社会が廻っていたではないか、という意見があります。明治維新の時は3000万人だったと。その時と今を人口だけで比較するのは無謀の極みです。これだけ進化した社会、経済をどう支えるのでしょうか?インフラの維持は?東京や大都市にそびえる高層ビルに誰が入居するのでしょうか?年金はどう維持しますか?住宅の多くは廃墟と化すのでしょうか?つまり3000万人の人口が1億2000万人に増えていく場合は経済や社会が徐々に大きくなる仕組みがあるのですが、今、その逆行が進行中なのです。80年後に家の周りはペンペン草だらけです。想像できますか?

では日本はどうすればよいのでしょうか?100年後に人口が今の1/3になる前提の都市計画と社会整備基盤を考えるしかありません。まず、経済的規模を維持し、インフラを集約するために地方はよりコンパクト化させます。(成功例はないとされますが、簡単に成功させる方法があります。ただ、今日はトピずれなので割愛します。)農業も産業も機械化をさらに推し進め、生産効率を格段に高めること。次いで定年制度を撤廃すること、効果はあまりないと思いますが、移民政策は開放型にするべきでしょう。民間企業、特に不動産の開発は要不要を見極め、将来需要がないものは止める勇気も必要です。

GDP成長は現在1%程度ですが、たぶん、遠からずマイナス成長に転落するでしょう。沈むなかでボトムラインを抑える、これが喫緊の課題です。

日本はこれほど山がちな地形にもかかわらずどこにも人が住んでいます。カナダはこれから100キロ先まで人が住む村はないというところは普通です。今の日本の方は笑うでしょう。それが将来、日本で起きることになるのです。美しき山里は維持できない、でも移民もいや、子供も増えないなら他に選択肢はない前提でどう社会基盤を維持していくかを考える時代ではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月20日の記事より転載させていただきました。