マネックス創業期は超ブラックだったのに、なぜ楽しかったのか?

今週とても楽しみにしていたのは、マネックスグループの同窓会でした。香港で仕事をしているマネックスOBの方が帰国するタイミングに合わせ、12名が池尻大橋の「めでたし」に集まりました(写真)。

実は、この「めでたし」もマネックス出身者が2年前から経営するとても素敵なお店です。

私がマネックスにジョインしたのは、1999年の5月でした。その時の社員はわずか4名。本当のベンチャー企業でした。給料が毎月、三和銀行(!)の封筒で現金で手渡しされていたのを覚えています。

日本版ビッグバンによって株式売買手数料が完全自由化される1999年10月1日まで、ゼロからシステムを作り、顧客を集めるマーケティングも進め、取引開始できるようにしなければならない。時間は、わずか5ヶ月しかありませんでした。

毎日深夜まで会社でエンドレスな仕事を続け、遂には泊まり込みでの寝袋生活に入りました。パソコンを打ちながら失神してひっくり返ったこともあります。

そんな生活は入社から数年続き、その激務のせいかはわかりませんが、その後胆石になって手術入院しました。

でも、当時の思い出は超ブラック企業というより、今でもキラキラ輝いて見えます。苦痛というより、毎日楽しくて仕方ないという感覚でした。

ネット証券が日本人のお金との付き合い方を変える。その社会の変化を自分たちが創り出すんだという社会的使命感。

独りよがりの思い込みかもしれませんが、そんな気持ちが長時間労働の苦痛を快感に変える原動力になりました。

世の中のためになる心の底からやりたいと思える仕事があって、それに没頭できる環境や仲間に出会えたことには、今でも感謝しかありません。

この日の同窓会も、会社の集まりというより学生時代の仲間のような雰囲気で、マネックスらしいフラットな関係が最高でした。

マネックス創業期の経験から学んだのは、自分がやりたいと思う仕事ができる環境を作り維持することの大切さです。遊ぶように楽しく仕事ができれば、人生には楽しいことしかありません。

資産デザイン研究所を立ち上げてから早くも10年。今でも好きな仕事を、好きな環境で、好きな仲間と続けられるのは、そんなマネックス時代の貴重な経験のおかげです。

マネックスグループ株式会社のあるアーク森ビル Wikipediaより


編集部より:この記事は「内藤忍の公式ブログ」2022年12月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。