失敗するということ

今朝、私の次の言葉をリツイートしておきました――ストレスを抱える人が多いといわれる時代ですが、ストレスが生じる理由のひとつに、高望みしすぎるということがあるのではないでしょうか。バラ色のストーリーを描きすぎるということです。ものごとは9割方うまくいかないものだと考えればいいのです。

物事の殆ど全てが成功するが如く考える人は結構いますが、そういう人に対し私は何時も、「十のうち一~二つが思い通りに行ったら御の字です。ひょっとしたら百のうち一つしか思い通りにならないかもしれない。事が成功するなど、それぐらいの世界なんですよ」というふうに話しています。世にあらゆる事柄は常に不確実で失敗が当たり前との前提認識の下、常時「策に三策あるべし」としてA案が駄目ならB案、B案が駄目ならC案といった具合に、最初から少なくとも三つ位は用意しておくことが大事です。『書経』にも「有備無患(ゆうびむかん)…備え有れば患い無し」とあるように、私の経営も一貫してそういう形で行ってきました。

ディシジョンメイキングをして行くに、失敗は付き物ですから、最大限のリスクがどの程度なのかを先ず見ます。ここが肝要です。次に現況から考えてその程度であれば十分affordable(許容可能)となった場合、上手く行ったらどの程度のリターンが見込み得るかを見、リスクとリターンを算盤勘定に掛けて判断を下します。そしてサントリー創業者の鳥井信治郎さんではありませんが、「やってみなはれ」ということにもなるのです。

私は基本、上記リスク等を頭に入れ三策を有しつつ、常時“be positive”であるべきだと思っています。之は何事によらず極めて大事です。宮本武蔵は「我事において後悔をせず」と言いますが、起ったことは起ったこと・やってしまったことはやってしまったことで、それを後悔し思い悩みストレスを溜め込んでも仕方がありません。失敗だと分かった時に如何にして立て直せるか、また片方で「失敗したのも天命だ。その方が良いから天がそうしてくれたんだ」と割切れるかが重要なのです。

何もかも成功するなど有り得るはずもなく、失敗して寧ろ当然だと思いながら常々チャレンジして行くのです。何かにチャレンジして初めて、何のために生まれてきたかが段々と分かってきます。事の正否に拘らず、全ての努力に無駄はないのです。人間は一人では生きて行けず、周りによって生かされています。そういう社会的動物として生まれてきた以上、何らか社会で果たすべき役割があるはずです。その役割が、天命というものです。我々にとって天命を知ることは、生きる目的を知ることだと私は思っています。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年12月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。