海外で稼ぐ日本だが内需振興はどうする?:二極化する日本社会と企業

数日前の日経に「投資会社化するニッポン 海外での稼ぎ、GDP比1割」とあります。日本から直接、間接海外投資残高は1250兆円、負債を差し引いた純資産は411兆円で31年連続世界最大。国際収支統計の第一次所得は21年が26.6兆円で2年連続世界トップとなっています。金持ちニッポンは健在だったということでしょうか?しかし、「ニッポン投資会社」は素直に喜べません。

私のようにカナダと日本両方でビジネスをしていると肌身で感じるものがあります。日本に於ける日本人向けビジネスは価格圧力が厳しく利幅も取りにくいのです。同業他社との競合も激しいです。例えば昨年12月に新宿区で新築した賃貸アパートのテナント探しを初めて不動産屋に任せてみました。すると全然埋まりません。催促しても販促の依頼をしても埋まらないのです。不動産屋いわく、「足が遅いですねぇ」。私はこの「待ちの姿勢」の不動産屋に苛立ち、結局、自分でテナントを見つけてきて満室にしてしまいました。不動産屋はあぜんです。そりゃそうです。私はカナダにいるのにどうやってテナントを見つけたのか、不思議ですよね。だけど、そんなのは今の時代、いくらでも方法はあるのです。

ヒントは付加価値のオプション提供とターゲットマーケティングです。これ以上言うと真似されるので言いませんが、価格センシティブなマーケット層にレッドオーシャンの戦いを挑むのか、ブルーオーシャンを探し出すのか、その違いです。結局、日本のビジネス全般に工夫をするマーケティングが少ないこととマスマーケティングにこだわり過ぎていると感じています。

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例えば先日ココイチのカレーの話をしました。私が普段使いの普通のカレーと申し上げたのはそもそもの創業者(今はハウス食品が買収)はごく普通の日本人が大好きなカレー屋さんを作るのがコンセプトだったはずです。今、国内1300店あるわけですが、それは言うまでもなく万人受けするカレーの味を辛さやトッピングでカスタマイズするという戦略なのです。これでは尖らないですよね。大手飲食店はどうしても多店舗展開を図るため、ターゲットとなる顧客層をより広くする戦略に出ます。これが「まぁまぁ」のレベルの大量生産化となり、価格競争を含めたレッドオーシャンに繋がるわけです。

もちろん、飲食に限らず、ほぼすべての業種で似たような兆候が見られます。私はビジネスは売り上げではない、顧客にどれだけ喜ばれるか、そして顧客がエキストラを払ってでもそれが欲しい、そのサービスが受けたいと思わせるかが経営の真髄であり、最終的には利益がそれに伴ってくる、と考えています。ですが、日本では今でも「御社の売り上げはどれぐらいですか?」がビジネス上の挨拶における第一声なのです。

では海外で稼ぐ日本とはどういうことなのか、改めて述べると、企業経営者の目線では日本では稼げない、だから海外に、ということです。実はこの流れ、アメリカが辿った道に近いものがあります。私が小さい頃はmade in USAの製品にちょっと憧れたことがあります。しかし、その頃からアメリカ製が価格競争に負け始め、多くの生産拠点は海外となり、アメリカは投資会社的な存在になります。

今の日本はほぼ同じ道を辿っています。少子化だけではありません。アメリカがそうであったように日本も裕福になり過ぎて製造業を担う低廉な賃金と豊富な労働力で賄うというビジネスモデルが存在しなくなったのです。かつて、アメリカのファーストフード店は大学生のバイト先でした。日本も同様です。今、それらで働くのは移民層や外国人労働者です。アメリカが二極化したのは必死で努力して管理職の地位をつかんだか、そうではないかの違いです。日本もいずれそうなります。今はまだ新卒一括採用ですが、そのうちにこれも無くなるでしょう。いよいよ「大学は出たけれど…」の時代が来るということです。

しかし、ここからのシナリオはアメリカと日本は違います。アメリカは文句を言う国になりました。日本はまじめで努力しようという気持ちが強いのです。とすれば今や主要国でも最低賃金水準の日本は今後、国内事業でも再度、稼げるようになるかもしれません。アジアの最先端の工場、そして世界に向けた尖ったビジネスの発信基地です。

それにはまずマスマーケティングを捨て、売り上げ至上主義を捨てることです。大量仕入れによるコスト低減ではなく、製品や素材の違いを見せること、オーバースペックにならず、必要とされる装備やサービスに絞り込み、無駄のない価格戦略を立てること、ここまでできれば日本発の市場は作り出せます。

また大手企業の価格は一般に高すぎます。理由はオーバーヘッドコストが重いのです。これでは勝てない。つまり、管理職を今の数分の1に減らし、少数精鋭にすること。また、サラリーマンはフリンジドベネフィット(給与以外の便益)が多すぎます。これを全部切る、そしてその分、給与で還元するぐらいの厳しさと変化が欲しいです。通勤手当も本当はいらないのです。給与で支給すればよいのです。どこに住むかは本人の自由です。それを会社が負担するのは不公平になりかねないのです。人事部は文句を言うでしょう。それでは採用計画が成り立たないと。それなら経営企画に言って社員を減らしても成り立つ経営を考えよ、と言い返せばよいのです。

私はかなりドライな発想をしています。日本にはウェットなやり方が似合うという方もいらっしゃいます。しかし、今の時代はドライな社会で育った若者が主導権を取り始めています。つまりウェットを好むのはしかるべき年齢から上の人が多いと思うのです。尖るというのはこういうことです。経営的にもそれはやり過ぎだろう、というぐらいやれば内需振興の復興、そして日本に再度、注目が集まる素地はあるとみています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月26日の記事より転載させていただきました。