人生を豊かにす

ノーベル平和賞受賞者(1952年)であるアルベルト・シュバイツァー(1875年-1965年)は、「我々は何かを得ることによって生活しているが、人生は与えることによって豊かになる」と言っています。以下、当該観点より私見を簡潔に申し上げておきます。

中国古典の書には、「義利の辨(べん)」として「義」と「利」ということが多く述べられています。例えば『論語』でも、「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る…物事を判断する時、君子は正しいかどうかで判断するが、小人は損得勘定で判断する」(里仁第四の十六)とあります。その他にも孔子は、「利を見ては義を思い…利益を前にしても大義を考え」(憲問第十四の十三)とか、「利に放(よ)りて行えば、怨み多し…利害ばかりで行動すれば、必ずや多くの怨恨が生まれるだろう」(里仁第四の十二)といった具合に、此の二字につき何度も触れています。

利に従っていたら、豊かにはなりません。心が豊かになるとは結局のところ、世のため人のため如何に為すかだと私は思っています。それは、自己満足で以て心が豊かになるということではありません。それは、人間として生を受けた者の務めを果たして行くからこそ得られる、満足感や生き甲斐により心が豊かになるということです。

渋沢栄一翁の座右の銘、「順理則裕:じゅんりそくゆう…理に順(したが)えば則ち裕(ゆたか)なり」も、正にそういった意味であります。人生は与えることによって豊かになる――シュバイツァー博士も与えるというか、アフリカの地で沢山の人命を助くべく尽力し、世のため人のため最後は己の命まで捧げて逝去したのです。

人間社会が秩序維持を図りながら共存する中で、夫々の人が色々な役割に応じ様々なことを為してくれるからこそ、我々は生きていられます。例えば日々美味しく食事が出来るのは、米を作ってくれる人がいたり魚を獲ってきてくれる人がいるからであって、あらゆる事柄に感謝する気持ちを常に持たねばなりません。

感謝と言った場合に仏教では、「顕加:けんが…目に見える何かをして頂いたことへの感謝」と「冥加:みょうが…表に表れない、見えないものへの感謝」の二通りあります。顕加につけ冥加につけ、我々は人の御陰で以て今日生活が出来ていること自体を有り難いと思い、常々感謝をすることだと思います。自分も又、世のため人のため自分が出来ることを捧げて行くのです。之が、人間社会で長きに亘り極当たり前のように続いてきた人間としての務めであります。我々の人生は得るよりも与えることで豊かになるのです。

今年も一年、「北尾吉孝日記」を御愛顧頂いた皆様には厚く御礼を申し上げます。

来年が皆様方にとって良い年になりますよう、心より祈念致します。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年12月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。