バチカン市国のサンピエトロ広場で挙行された前教皇ベネディクト16世の葬儀式典をオーストリア国営放送の中継放送を通じてフォローした。9時半から11時過ぎまで100分余りのライブ中継だった。葬儀式典の進行は通常のミサに近いものだったが、生前退位した名誉教皇の葬儀はバチカンにとって初めてのこともあって、バチカン関係者の中には式典の進行で戸惑いもあったと聞く。
葬儀が終わり、ベネディクト16世の棺がサンピエトロ広場から大聖堂入口に入っていく前、フランシスコ教皇が棺の前に立ち、祈り、手を棺に伸ばしていた姿が印象的だった。生前退位後、バチカン内のマーテル・エグレジェ修道院で生活してきたベネディクト16世を定期的に訪ねてきたフランシスコ教皇にとって、ベネディクト16世の死は大きな空白となったはずだ。「兄弟」と呼び、学者教皇を尊敬してきたフランシスコ教皇にはベネディクト16世の存在は大きな精神的支えとなっただろう。同時に、教会改革に乗り出そうとするフランシスコ教皇にとって、保守派ベネディクト16世はやはり無視できないハードルと感じたこともあったはずだ。
ベネディクト16世が昨年12月31日、95歳で死去した時、1人のバチカン専門家が「フランシスコ教皇時代がこれから始まる」と述べていた。第266代教皇のフランシスコ教皇は既に10年、その職務を担当してきたが、南米出身の教皇には生前退位したベネディクト16世の影がいい意味でも悪い意味でも常にあった。“ペテロの後継者”ローマ教皇の職務は孤独だといわれる。南米出身で根っから明るいフランシスコ教皇はその陽気さを年々失い、教皇の座の重さで顔を曇らすことが増えてきたといわれる。
カトリック教会では聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、その対応で教会指導部は混乱している。信者からだけではなく、教会指導部内からも刷新を求める声が高まってきた。ローマ教皇フランシスコは2019年6月、通称「シノダルパス」と呼ばれる教会改革のプロセスに号令をかけている。教会の刷新案として、ローマ教皇を中心とした「中央集権制」の見直し(現場の司教会議の重視)、聖職者の性犯罪防止、聖職者の独身制の再考の他、LGBT(性的少数派)、同性愛者に対する教会の開放、女性信者を教会運営の指導部に参画させるなど、従来の教会の基盤を大きく震撼させるテーマが控えている。教皇一代で全て解決できる問題ではない。教会内の保守派聖職者からの強い抵抗が考えられる。
世界に約13億人の信者を擁するローマ・カトリック教会最高指導者ローマ教皇は本来、終身制で実際に亡くなるまで“ペテロの後継者”の椅子に座り続けるが、その不文律はドイツ人の教皇ベネディクト16世が2013年2月、生前退位を表明して以来、「ローマ教皇も生前退位できる」という新たな世界が開かれた。その結果、フランシスコ教皇にも生前退位の噂が囁かれ出した。フランシスコ教皇は変形性膝関節症に悩まされている。膝の関節の軟骨の質が低下し、少しずつ擦り減り、歩行時に膝の痛みがある。最近は一般謁見でも車いすで対応してきた。ベネディクト16世の葬儀ミサでも後半、教皇の代行がミサを継続している。フランシスコ教皇自身もこれまで「職務不能の状況で教皇職を継続する考えはない」とメディアなどに答えている。
27年間の長期在位を誇ったヨハネ・パウロ2世の晩年の姿を目撃してきた者にとって、生前退位は一種の救いかもしれない。在位10年目を迎えたランシスコ教皇が同じように感じているとしても不思議ではない。ただ、生前退位が慣例化した場合、①ペテロの後継者としての教皇職の歴史的重みが軽減する、②教皇の座が政治的に利用される事態が出てくる(例:1415年のグレゴリウス12世の退位)、③生前退位が教皇個人にとって一種の逃げ道となる、等々の状況が予想される。
預言者、聖マラキは「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ教皇ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)のローマ教皇を預言している。マラキは1094年、北アイルランド生まれのカトリック教会聖職者。1148年11月2日死去した後列聖され、聖マラキと呼ばれている。マラキが預言した最後の教皇(111番目)がベネディクト16世だった。同預言書には後継者フランシスコ教皇には全く言及されていない。カトリック教会の歴史はベネディクト16世で終わっているのだ。聖マラキからいえば、南米出身の教皇フランシスコはもはや過去のカトリック教会の教皇ではないのだ。
「ベネディクト16世の死去後、フランシスコ教皇時代が始まる」という先述したコメントの意味合いが理解できる。それは単なる同16世の死後、フランシスコ教皇がようやく独り立ちするという意味ではなく、カトリック教会がこれまでとは全く異なった道を歩み出す最初の教会指導者という意味が含まれているはずだ。
フランシスコ教皇は名誉教皇ベネディクト16世との過去10年余りの共存期間に別れを告げ、未踏の道を踏み出さなければならない。既に86歳の高齢で病持ちのフランシスコ教皇にとってその道はこれまで以上に厳しいだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年1月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。