感性を豊かにする

あるファッション誌の公式サイトに以前、『感性を磨けば毎日が輝く!「感性」の正しい意味と磨く方法をまとめてご紹介』(21年2月23日)と題された記事がありました。国語辞書を見ますと、感性とは「1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性」「2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力」等と書かれています。

中国古典の「四書五経」の一つ『易経』に、「君子もって虚(きょ)にして人に受く」とあります。此の虚は「心にある空虚な隙間をいう。心が動く空間であり、感じる能力、感性の源」を言いますが、総じて如何にして豊かな感性を得るかは極めて難しい問題です。

例えば『論語』の「為政第二の二」に、「詩三百、一言(いちごん)以てこれを蔽(おお)う、曰く思い邪(よこしま)なし」とあります。孔子は、『詩経』の三百篇に「邪な心なし」というぐらい詩には真の感情が吐露されており正にひん曲げたような思いが全く流れていない、といった意味のことを述べています。

孔子は『詩経』を非常に大事にしたようです。こうした情操教育は感性を高める上で、大変重要だと私も思っています。同時にまた芸術的なもののみならず、人間に対する深い愛情あるいは自然や取巻く環境に対するある種の愛情といったものが、情操の基本になっているのだろうと私は考えています。

冒頭の記事文中「感性がある人の特徴」として、想像力がある/自分に素直/五感に優れている/感情表現が豊か、が挙げられています。芸術家などは、非常に優れた美的感覚を有していると思います。例えば陶器なら陶器に、その作家の感性や品性、全ての人間性を表現して行くということです。

所謂コンテンポラリーでも、「全く分からんなぁ…」と言う人が結構いる一方で、「素晴らしい!」としてちゃんと値が付いて行き、当該範疇の一つに相応しいと思う人もいます。感性豊かな人から見るに、新しい芸術の世界をそこに認識し認め、評価しているのです。私も「全く分からんなぁ…」の方ですが、それは好みの問題であると共に、時代の問題もあろうかと思います。

唯、江戸時代につくられたものでも、今日的新しさがある、といった形で評される芸術作品も数多あります。私はその辺り、人間が美しいと感じるものは古今東西ある面で変わらぬ部分はあるのかもしれない、と最近思ったりもしています。

何れにせよ感性豊かな人というのは一つの言い方をすれば、時代の風を感じられる人、その生きている時代をつかまえられる人のことでしょう。何事にも全て兆しがあります。「微を見て以て萌(ほう)を知り、端を見て以て末を知る」(『韓非子』)--先ずは「虚にして」微かなる兆候に気付き敏感に反応するのです。そしてそれを突き詰めて行く中で、感性というものは次第に磨かれるのかなと思ったりしています。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年1月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。