新・新興宗教時代の到来③

倉沢 良弦

Dragonite_East/iStock

持続可能性のある社会

Sustainable な社会とは、持続可能性のある社会と言うらしい。

地球のあちこちで人口増加し、地球温暖化(真偽は未だ不明)が生態系に影響を与え、脱炭素社会の実現が必要らしい。その主因となる限られた原材料だったりエネルギーだったりするものを如何に有効に利用するかが問われ始め、人や社会もそうであると、昨今では言われているようだ。

日本に昔からある「もったいない」思想の現代版とでも言うのだろうか?

旧統一教会問題を皮切りに、日本は新・新興宗教時代に突入したと私は考えているが、少し時計を巻き戻して、その意味を個別具体の団体ではなく、日本社会そのものから考えると、別のものが見えてくるように思う。

インターネットが情報過多の社会を作り出したと巷間、言われているが、私は選択肢が広がり、むしろニッチな細分化された社会になりつつあると考えている。

一般的に道楽とか趣味と言われる世界は、お金に変換できないとされてきたが、情報が細分化されると言うことは、そのニッチな分野ごとに局所的な人材とファンの集中が起こることであり、真に実力を持つ人なら、そのニッチな市場で自分自身をお金に変えることが出来るようになった。それこそが、細分化された社会の実相だったりするんじゃないだろうか?

YouTubeの総再生数が動画投稿サイト全般で見ても極端に減少しているらしい。これはTikTokやInstagram、SpotifyやNetflixが幅を効かせてきたからと言うのもあるけど、私は別の見方をしてて、それは素人が相手にされない時代になったってことだ。

つまり、YouTubeでもニコニコ動画でもそうだけど、本来は素人が具にもつかないことを喋ったり、クスッと笑える素人丸出しの企画を行うことで成り立っていた。ところが、テレビに変わるメディアとして注目されると、素人市場にプロが参入してきたことで、様相がガラリと変化していった。

同じクスッと笑えたり、驚きの企画を行うなら、やはりプロには敵わない。YouTubeにはYouTubeの世界観があり、また、その世界で再生回数を伸ばすノウハウもあるのだろうが、映像作品として見た時、やはり視聴者は素人の作品には興味が無くなる。と同時に、YouTubeを支えてきた視聴者層もいずれは歳をとり、YouTubeのなんでもない動画を流し見すること以上の興味が別に移る。結果的に、今の日本でYouTubeを通じて有名になったと言われる人でも、あっという間に消費期間を終えてしまう。

そういうものだし、YouTubeで動画をあげている人たちも、それを理解した上で活動を行っている。またYouTubeは配信者が世界中で増えてきており、広告費の分配方式のハードルが上がった。YouTubeの配信者が増えても広告費や視聴者が極端に増えるわけではないので、結果、限られたパイをより大勢で分配しなければならず、また、これまで動画配信市場でほぼ独占状態だったYouTube以外に、他の動画配信サイトが誕生し、視聴者もそれぞれに分散されるようになった。

これは一例で、これを定義立てるつもりはもちろんないが、少なくとも一つの社会現象として見ると、確かにニッチな細分化された、よりプロフェッショナル(お金を稼ぐとは違う意味で)が認められる社会に変化しつつあるなと実感する。

自分のやることがお金に変わることをプロフェッショナルと言う「だけ」でなく、好きが昂じて注力するあまり、他人から憧れられたり、真似をされたり、垂涎の目で見られるのも一つのプロの要件とすれば、そう言う人が動画サイトに限らずSNS上で多数見られるようになった。

社会における持続可能性とは、何かを考えると、社会を構成する「個」が発信したり作るものが連鎖して社会全体に小さい大きいは無関係に影響を与え「続ける」とも言えないだろうか?

その意味で、個人の情報発信が可能になった現在は、それぞれの特性とか得意分野が影響しあいシンパシーを与え合い、「個」が「個」のままではない安心感とか安堵感を与え、居場所に気づかせてくれる社会とも言えよう。

自分は何者でもないと言う無力感と同時に、ささやかでも自分を光らせることが出来る世界観を他者と共有する感覚が、自己の居場所、自己の肯定感、自己の存在意義に帰結する。

自己を自己のままいさせてくれる社会が、持続可能性のある社会だとすれば、別言すれば多様性とも言えないだろうか?

もちろん、それらはインターネットが誕生する以前からあったし、時代の変化の中で常時「個」は影響を与え続けてきたが、その中で極小と極大の狭間を埋めているのが、情報を双方向で発信と受信がより容易になった今ではないかと思うのだ。

以降、

「世界に一つだけの花」と「2位じゃダメなんですか?」問題

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。

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