新・新興宗教時代の到来

倉沢 良弦

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旧統一教会の霊感商法や強引な集金体質が問題視され、立憲民主党は旧統一教会の被害者救済のための特別法制定に向け、与野党協議を重ねている。自民党は野党案を取り入れつつも、自民党独自の法案を提出する動きもあるようだ。

その背景には、立憲民主党案があまりに粗雑なため、立憲民主党とのすり合わせに時間を使うくらいなら、自民党が独自の法案提出をした方がマシだと考えたのかもしれない。今のマスコミの煽り方で自民党は劣勢の雰囲気を作り出してるが、むしろ国論は二分されてるように感じる。

つまり旧統一教会問題を真剣に問題視してる人と、新興宗教自体に無縁な層とだ。

そもそも、普通に生活してれば、新興宗教に縁を持つことなどなく、新興宗教に触れる機会など無いのだ。日本国内においては、戦後、新興宗教の過度な布教活動が何度も問題視されてきた。戦後は創価学会の折伏が隆盛を極め、1980年代に入り、旧統一教会の霊感商法が話題となり、その後、忌まわしきオウム真理教事件が起きる。他にも種々雑多な新興宗教が時代の変遷と共に話題に昇ってきた。

自公党首会談はじまる 政府、救済新法を今国会に提出方針固める 旧統一教会問題めぐり

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前稿でも触れたように、確かに野党が言うように問題がある宗教団体のマインドコントロールはあるだろうし、洗脳もあるだろう。だがしかし、それは宗教に限ったことではない。政治結社だろうと、何らかのセールスだろうと、鼠講商売だろうと、たくさんあるのだ。その最たるものが、報道する自由と報道しない自由を使い分けている大手マスコミだろう。彼らは自分たちが正義の味方であるかのように振る舞い、世の悪を糾弾すると言うが、では何が善なのか?の問いに答えはない。

・・・いや、ある。

それは自分達が問題視する記事に登場する人物の反対側にいる人々だ。もしかしたら、その代表格がイーロン・マスクが買収し、即座に一斉解雇に踏み切ったTwitterかもしれない。

ビジネスインサイダーの記者である竹下郁子氏は、自分達の記事がTwitter内部の人間の審査を経てニュースフィードに出てくることをバラしてしまった。

Twitterは私企業なので、何を表示するかしないかの裁量を持つのは当然で、それを他者は批判することはできない。ただ、こうやって内幕をバラされると、朝日新聞や毎日新聞、沖縄タイムス、琉球新報同様、Twitterは自由な言論空間ではなく、何らかの恣意的な操作が働き、Twitter全体の情報が偏向していたと解釈されても仕方ないだろう。つまり、大手メディアと同じく、キュレーションされた情報の提供がなされていたと思われても仕方ない。

大手メディアの報道の中身について、日本ファクトチェックセンターのような茶番劇は傍に置いておいて、情報を受け取る側のリテラシーと情報を読み込む能力が求められる時代だ。イーロン・マスクは、Twitter買収後、即座に人員整理とアカウントの有料化を始めると発表した。イーロン・マスクにしてみれば膨大なユーザー数を持つTwitterの収益能力の低さの是正と、放漫でルール化されていないTwitterの現状の即時打開と、適正な収益化による黒字化を目指すと発表した。

余談だが、私はTwitterアカウントの有料化は大賛成。特に大手メディアや著名人は必ず行うべきだと思う。恐らくだが情報の正確性とTwitterという言論空間の健全化に向かう、大きな転換点だと思う。

認証バッジが有料化されるとしても、既にに主要メディアと著名人には認証バッジが付与されている。あとはお金を払ってそれを維持するか否か?は本人の自由だ。加えて、新たに偽物が乱立することを危惧する声も聞かれるが、私はその心配も無くなると考えている。

認証バッジを付けた偽物が出てくるのが嫌なら、さっさとサブスク契約して自分のアカウントを守ればいいだけの話だ。イーロン・マスク氏自身は、私企業が運営するプラットフォームなのだがら、収益化を目指すのは当然であり、これまでの放漫経営の方が問題だと考えているのだろう。

さて、話を元に戻す。

旧統一教会問題で2世信者が顔出し(名前は仮名)して発言することで、一気にこの問題がクローズアップされたが、私に言わせれば、何故、2世信者が被害者になるのか? 明確な理由が説明されていないと考えている。

その理由がはっきりしない限り、やはり憲法に抵触するような法整備はすべきではないというのが、私の考えで、仮に献金をした母親なり父親が本来残すべきであった財産を、子供達に相続させることなく無一文になったとしたら、それは家族の問題であり、法律で救済すべきものだとは言えないのではないだろうか?

国際政治学者の三浦瑠麗氏が、博打でスったのと何が違うのか?的発言をしていたが、私もそう思う。宗教という見えない得体の知れないものを盲信した結果、これで幸せになれると信じたが故に、献金を届けたのだから、それは博打で一攫千金を狙うことと大差はないだろう。

むしろ、問題にすべきは、そのような短絡的発想に陥ったことを家族会議で話し合うべきで、教団を相手に裁判を起こしたとしても、教団側は本人の自由意志に従ったと言えば、それで責任を逃れることができる。

言葉を変えれば、マスコミが問題にすべきは、そのような手法で金集めをしている団体であることを、広く喧伝することが大事だ。つまり社会に対しての注意喚起で、それこそがマスコミの使命だろう。

今回の旧統一教会の問題をきっかけに新たにエホバの証人の3世が、親に信仰を強制されたことを告発している。これは一つのきっかけに過ぎない。親と子は他人同士で、親と言えど子供に自分の信仰を強制することは出来ない。そもそも憲法と民法で個人の思想信条の自由と人権は法的に守られている。

「親から体罰、希望していた受験もできず」 エホバの証人3世訴え

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同様な事例は、いかなる宗教にも存在するだろう。宗教法人法にメスを入れるなら、まさにこの点ではないかと考える。家族、親族と言えどその信仰を身内に強制してはならない。現在の宗教法人法は、少なくとも個人の信教の自由を保障しているのだから、その一文にそれは家族と言えど、身内と言えど尊重されなければならないと明記すればいい。

また、前述の旧統一教会被害者救済の新法を制定しようという動きについてだが、献金額の上限を法律で定めるとか、馬鹿馬鹿しいことで、その点だけ見ればこれは違憲立法となる。ようは個人の内心に規制を加えることで、野党はその根拠の合理的説明が出来るのだろうか?少なくとも、現在まで、野党議員から納得できる説明を聞いた覚えが無い。

新たな法整備の検討が始まる中で、エホバの証人の3世と言われる人の証言が出てきたことは、新興宗教に対する風当たりというか、今まで放置されてきた日本における新興宗教の問題点が浮き彫りになったという点で、意味がある。

また、タレントの長井秀和氏が地方議員に立候補するためだろうか、創価学会批判を中心に街頭での活動を始めた。彼は創価学会信者であることは公言してきたが、ある時から、創価学会批判を行うようになった。方針転換の意味は分からないが、創価学会にいた体験をネタにすることの危険性はあるとしても、タレントとして生き残る一つの道ではある。

戦後に勃興してきた新興宗教は、押し並べて同じ悩みを抱えている。それは後進の育成だ。上手に世代交代が出来ていない団体はたくさんある。言い換えれば、今の時代の若い世代にウケる宗教は既に存在しない。それにとって変わるように、若者の夢や希望を食い物にする連中が跋扈するようになった。それはいくら大人が説得したり世の中のワルを教え込んだとて理解できるものではない。

そういうものなのだ。

ただ、昨今の世の中の動きを見て、新興宗教が隆盛を極めた時代の終焉を感じているのは私だけではないと思う。今は、新興宗教によって「自分だけが真理を知ってる」という自己満足させることより、例えば堀江貴文氏やひろゆき氏のYouTubeのように、誰もが悩みや苦しみを誰でもが見れる形で解決する手段が増えている。特定の誰かしか知らない世界の秘密は存在しない時代になった。

だからこそ、それぞれの真理を布教するチャンネルが増えたとも言える。言い換えれば、それぞれが真理だと思うそれぞれの正義が存在する時代になった。悪戯にゲーデル、ラマヌジャン、ノイマンだけが希代の天才とも言い切れないのかも知れない。

新興宗教はそれら名もなき真理の具現者に対抗しなければならない時代ではないだろうか?

大切なことは、今の時代、隠された真理は既に存在しなくなってしまったということだ。繰り返すが特定の誰かしか知らない世界の秘密は、最早、存在しないのだ。つまり、そうやって近づく人は、全て、怪しいと考えた方がいい。

今、マスコミが取り上げている新興宗教の被害者こそが、その世界の秘密を囁かれた被害者ではないだろうか?