人は記憶したいものとそうではないものとを無意識に選り分けるものだ。記憶したい内容は一般的には良き思い出、成功した出来事だが、苦しかった出来事や敗北、自身が後悔している言動はできるだけ早く忘れたい。シャーロックホームズの「マインド・パレス」で保管される記憶の世界は厳密に選択された事例、出来事だけだ。それ以外の事例は時間の経過と共に忘却の川に流され、時には変質されていく。
「1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」(International Holocaust Remembrance Day)だ。国連総会は2005年、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が解放された1月17日を「ホロコースト(大量虐殺)犠牲者を想起する国際デー」と決めた。
ナチス・ドイツ政権が倒れ、第2次世界大戦が終わって今年で78年目を迎える。27日の「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」、ニューヨークの国連本部や欧州の各地で関連のイベントが挙行された。国連本部では26日からホロコーストで殺害された480万人の犠牲者の名前が記された本が掲示され、犠牲者を追悼している。ヤド・ヴァシェム記念館とイスラエル国連代表団の協力により、来月17日までマンハッタンのイーストリバーの国連の中で「名前の書」を見ることができる。訪問者は、ナチスによって殺害された人々の名前をアルファベット順に閲覧できる。多くの場合、彼らの生年月日と死亡場所が記載されている。
国連のアントニオ・グテーレス事務総長は27日、「ホロコーストを直接証言できる人はますます少なくなってきた。記憶のたいまつを運ぶ新しい方法を見つけ出す必要がある」と述べ、今回の展覧会を通じて追悼の文化の再生を呼び掛けている。「新しい記憶の文化」の創造ともいえる。
第2次世界大戦中、600万人のユダヤ人が殺害された。そのホロコーストの記憶を世代を超えて受け継いでいくべきだ。国連事務総長が述べたように、「世界は今日でも憎悪に対しての免疫を持たない。人間の残虐性の潮流を食い止め、反ユダヤ主義、人種差別と闘わなければならないのだ。アウシュビッツの元収容者は、「世界はアウシュビッツから何も学んでいない。その後もボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など民族戦争が繰り広げられていった」と指摘する。
「ユダヤ人対独物的請求会議」(Jewish Claims Conference)がこのほど発表した最新の調査結果によると、例えば、オランダ人の89%はアンネ・フランクの名前を知っていた。アンネ・フランクはアムステルダムの家に家族と共にナチスから身を隠し、自分の人生について日記を書いた。しかし、オランダ人の27%はアンネがベルゲン・ベルゼン強制収容所で終戦直前の1945年に死亡したことを知らなかった。そしてオランダの若者の23%は「ホロコーストは神話、ないしは誤解か誇張された内容」と考えていることが判明した。ナチス時代に関するオランダでの広範な知識のギャップが明らかになった。
同会議の調査は18歳から40歳までの2000人を対象に行われた。多くの回答者はホロコーストの全貌を知らず、全回答者の54%とオランダの若者の59%は、600万人のユダヤ人が殺害されたことを知らなかった。合計29%がホロコーストで殺されたユダヤ人は200万人以下であると信じていた。若者の間では、その割合は37%になる。
ユダヤ対独物的請求会議のドイツ代表リューディガー・マーロ氏は、「ホロコーストの知識と意識は衝撃的な速さで侵食されている」と述べている。
オランダのマルク・ルッテ首相は「ショックを受けた」と語り、ヴォプケ・ヘクストラ外相はツイッターで、「オランダの若者のほぼ4分の1がこれらの事実に疑問を呈していることは驚くべきことであり、非常に心配だ」と書いている。また、デニス・ヴィアーズマ教育相は、「若者たちが第2次世界大戦の残虐行為について事実を知ることができるように、学校で教えていく必要がある」と述べている。
オランダでは、世界大戦中のユダヤ人迫害において自国民が果たした役割について「歴史の再考」が進められてきている。2021年にはアムステルダムで戦争中に殺されたオランダ系ユダヤ人のために「ホロコースト記念碑」が設置された。オランダではナチス・ドイツの占領中、多くの国民、警察、政治家たちがナチスと積極的に協力した。
第2次世界大戦から80年が過ぎようとしている時、ホロコーストの生存者から直接、生の体験談を聞く機会はなくなりつつある。オーストリアでは生存者が過去、話したビデオを集めた「ビデオ図書館」を計画中だ。同時に、生存者が書いた証言、書簡を集めている。忘れられ、失われていこうとする記憶を必死に留めておこうとする試みだ。過去の出来事やそれに関連した記憶では未来を歩み出すために忘れるほうがいい場合もあるが、忘れてはならない記憶がある。ホロコーストはその一つだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年1月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。