中国「監視気球」とドローン:安価で大量製造できる兵器の登場

ヘリウム入りの風船が空中に浮かび上がるシーンは映画にもよく登場した。しかし、中国製の気球が米上空で浮上しているといったニュースはそんなロマンチックな思いを吹き飛ばしてしまった。米国務省は3日、5日に予定されていたブリンケン国務長官の中国訪問を延期すると発表した。新たに摘発された中国の不法経済活動が理由ではない。米上空をいつの間にか飛んできた気球がどうやら中国製であり、米国の領土に闖入して監視、偵察していた疑いがあるからだという。

中国の「監視気球」について説明する米国防総省の報道官パット・ライダー将軍(2023年2月3日、米国防総省公式サイトから)

ブリンケン米国務長官は、「明らかに米国の主権を侵すものであり、国際法に違反している」と中国を批判している。米中首脳会談で昨年11月、両国間の緊張緩和を模索する外交的一歩として米国務長官の訪中が計画されたが、米上空1万2000kmの以上の高度で飛行する気球がそれらの外交努力を水泡に帰させてしまったのだ。

中国側は知ってか知らずか、米国側の反応に驚きを示し、「気象状況を観測する研究用気球だ。偏西風の影響で進路が間違って米国上空に入ってしまった」と説明し、気球が米国側が指摘するような偵察用スパイ気球ではないと主張している。明らかに米国側の反応と中国側の説明には落差があるというか、認識ギャップがあるのだ。

米国防総省の報道官、パット・ライダー将軍が3日説明したところによると、中国製気球は進路をコントロールできる能力(操縦可能な監視気球)を有しているというから、風任せで、どこに飛んでいくか分からないといった初歩的な気球ではない。ということは、気球に生物・化学兵器などが搭載されていたならば、もはや立派な大量破壊兵器だ。気球を追跡した米戦闘機が気球を撃ち落とさなかったのは「気球の破片が地上に落ちて人間に当たる危険性があった」という説明では少々説得力に乏しい。ひょっとしたら、米国とカナダ上空で発見された中国製「気球」は軍事目的を有する最初の試みではなかったか、という疑いが出てくるのだ。米国の中国製「気球」への反応が通常ではないからだ。

気球がローテク技術で安価で大量製造ができる、といったメリットを指摘し、「気球が近未来、軍事目的で利用される」と予想する軍事専門家の意見が既にメディアで報じられているほどだ。

米上空に姿を見せた中国製「気球」の写真を見ていると、ドローンがメディアに初めて登場した時を思い出した。ドローンが話題となった当初、人間が訪れることができない地域や場所で写真撮影し、調査できる手段としてドローン技術が紹介された。しかし、その数年後、ドローンは急速に軍事的目的で使用されるようになった。特に、ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、ロシア側はドローンを利用し、自爆ドローンをウクライナに投入し、多くの民間人や施設が破壊されている。

ロシア軍はウクライナ軍の攻勢に直面する一方、弾薬や砲弾不足で攻撃にも支障が出てくるなど苦戦。そこでイランから無人機を獲得し、ウクライナへ自爆無人機を飛ばして守勢をカバーしている。「ガザ」と命名されたイラン製大型無人機は監視用、戦闘用、偵察任務用と多様な目的に適し、連続飛行時間35時間、飛行距離2000km、13個の爆弾と500kg相当の偵察通信機材を運搬できるという。

無人機は人的被害のないうえ、軍事的気球と同様、低価格で大量生産ができる利点がある。地域紛争などで今後、軍事目的でドローンが戦場を飛び回ることが十分に予想できるわけだ。

気球が初めて浮かび上がって飛んだ時、そして無人機が地上のコントロールで自由に飛行するシーンを見て、人々は喜び、科学の発展を誇らしく感じたのを懐かしく思い出す。しかし、その時間はあまり長く続かなかった。科学技術の発展は人を幸せにする一方、不幸にもするという現実を改めて感じざるを得ないのだ。

明確な点は、「気球」も「無人機」も科学技術の成果であって、問題視することではないことだ。問題は「気球」を製造し「無人機」を利用する人間にあるからだ。全ての存在はデュアル・ユースだ。いい目的で人類に貢献することもあり、逆に人を不幸にすることもできる。どちらを選ぶかは人間だ。人工知能(AI)の世界もそうだ。ディープラーニングするAIが近未来、よきAIと人間世界を破壊するAIとに分かれてくるだろう。

人間は自身の中にジキル博士とハイド氏的な2面の世界を有している。矛盾を有する人間が家庭、社会、国家、世界を形成する。どうしたらその矛盾する世界を克服できるか、等々を考え、人間の生きるべき道を提示するのが本来、宗教だった。「科学」と「宗教」は対立するものではなく、相互補完する世界のはずだ。その宗教が混乱し本来の使命を果たせないなら、残念ながら人間の近未来は明るくはない。科学技術の発展で(ハイド氏の)潜在的破壊能力は益々、高まっているからだ。

いずれにしても、良き人間になる……このシンプルなテーゼは有史以来、人間が願いながら、今なお解決できない問題として留まっている(「『戒め』はいつ、誰から始まったか」2022年5月23日参考)。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年2月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。