住宅ローンが欲しい人など、世のなかにいるはずもない。欲しいのは住宅であって、住宅ローンは、それを手に入れるための道具にすぎない。消費者ローンも同じことで、買いたいものがあるからこそ、ローンが必要になるだけのことである。要は、個人ローンにおいては、顧客の満足は金融のなかにあるのではなくて、金融によって購入した商品のなかにあるということである。
更にいえば、顧客の真の満足は、商品のなかにあるのではなくて、商品の利用、使用、費消によって生じる快楽や効用にあるのだから、顧客自身のなかにあるのである。故に、商品を所有しなくとも商品の利用、使用、費消が可能ならば、ローンは不要になる。ローンは、商品を所有するためにのみ必要だからである。
金融には、それ自体としての価値がないというよりも、負の価値がある。故に、金融が実現する正の価値よりも、金融の負の価値が大きいときは、金融は成立しないはずである。例えば、住宅の価値から住宅ローンの価値を控除したとき、ゼロを下回ってしまうと予想されるならば、住宅を購入するよりも借りるほうが合理的だから、住宅ローンは不要にして無益である。
投資信託を使った資産形成には、それ自体としての価値はなく、遠い将来のどこかで、老後生活資金として取り崩され、消費されたときに、価値が生みだされる。また、手元の資金を資産形成に回すということは、現在の消費を放棄し、将来の消費へ繰り延べることだから、そこに負の効用がある。
そこで、資産形成により、購買力が最低でも保存され、願わくは増大するのでない限り、現在の負の効用が将来の正の効用を上回ることはないから、資産形成は意味を失う。逆にいえば、資産形成の期待収益率は、期待物価上昇率を上回らなくてはならないということである。
生命保険は、保険料を払っている当人が死亡保険金を受けとることはないから、保険料の支払いという負の効用があるだけである。正の効用は、遺族の生活を保障できていることに対する安心感だが、この正の効用が負の効用を上回らないと思う人は、生命保険に入っていない。また、遺族の生活保障が別の方法、例えば配偶者や親兄弟の援助でできているのなら、やはり、生命保険は不要である。
企業への融資には金利負担という負の価値があるが、その資金を企業が事業に投下したときに正の価値を生む。融資の負の価値が企業活動の生み出す正の価値を下回っているからこそ、資金が借りられて金融がなりたっているのである。
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森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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