日経は「日銀総裁人事の誤報」の検証記事の掲載を

昨年末には消えていた「雨宮総裁」

政府は14日、植田和男氏ら3人の正副総裁案を国会に提示しました。直前になって日経が「日銀総裁、雨宮氏(日銀副総裁)に打診。政府は与党と最終調整」(6日)と、スクープ風の記事を掲載しました。

新聞が「最終調整」と書く時は「これで決まり」と確信した時に限ることが多い。異次元緩和政策が転換点に差し掛かっている時の総裁人事ですから、ニュース価値は稀にみるほど、圧倒的に大きい。日経はこれで決まると考えた末の記事なのでしょう。

何ごともなかったかのように植田和男氏の就任を伝える日経新聞

それに対し「そんな事実はない」、「観測気球でしょう」などと岸田首相、官房副長官が語りました。人事で当局者が嘘をつくことはしばしばある。と思っていましたら「総裁に植田和男氏(元東大教授)」を10日、政府筋がリークし、日経を含め各紙、1面トップの扱いです。

日経は誤報をやってしまったと思いました。そうしましたら「雨宮氏に打診したのは事実。政府は本命視していた。本人が今後の金融政策には新しい視点が必要だと、就任を固辞した」(11日朝刊)との解説記事を書きました。「本人の辞退だから、誤報ではない」という意味です。

私は、「いや、やはり誤報だ」と思っていました。そこへ読売新聞が14日朝刊で「初の学者総裁の実現に至る内幕を検証する」との記事を1面で掲載し、3面解説でその詳細を書きました。

それが事実とすれば、日経の「スクープ」に書いたのとは全く違う流れで「植田総裁」が確定していたということになります。日経はこのまま黙っているのかどうか。焦っているでしょう。

読売は「政府高官が昨年末、ひそかに植田氏と初めて面会し、基本姿勢を確認した」、「1月下旬、植田総裁案がおおむね固まった」と、1面で書きました。日経が書いた「総裁を雨宮氏に打診、政府が最終調整」(6日)という記事は、その段階ではもうなくなっていた案だったし、最終調整に入る局面でもなかった。つまりどう考えても誤報なのです。

しかも「複数の政府・与党幹部が明らかにした」と日経は書きました。「すでに消えていた案」を複数の筋が明らかにすることは不可能でしょう。

3面の詳細な解説には、「昨秋、総裁候補のリストには、学者の名前が並んでいた。植田和男、伊藤隆敏、渡辺務氏らだ」とあり、岸田政権は早い段階で学者に焦点を当てていた。異次元緩和政策を徐々に軌道修正し、市場の動揺に配慮でき、実務も分かる人物を探していた。

では「雨宮総裁説」がなかったというわけではない。「日銀が総裁選びで働きかけていたのは雨宮、中曽宏(前副総裁)、山口広秀(元副総裁)氏だった」と読売は書く。つまり「雨宮総裁」は政府案ではなく、日銀案だったことになる。

その雨宮氏はどういう考えだったのか。「昨年来、自らの名前が取り沙汰されるたびに『自分は適任ではない』と繰り返していた」というのです。日経が書いたような2月の時点で、「最終調整の段階で雨宮氏で調整」、「それを雨宮氏が固辞」は事実に反する。事実だというのなら、日経は検証記事を書いて反論すべきです。

固辞の理由は「自らが手掛けてきた政策を批判的に振り返ることは難しい」、「総裁候補として、雨宮氏は学者3人を推していた」というのです。雨宮氏自身が学者を推したと。

そのこともあって、政府は年末にかけて「学者総裁」へと傾いていったと。つまり、雨宮氏が固辞したかから次の人選をせざるを得なかったのでなかった。日経の説明は事実の流れと違うのではないか。

日経の解説記事(14日)でも、「中央銀行の世界標準は、もはや中銀マンの内部昇格や官界からの登用ではない」との信念が雨宮氏にはあったと、書いています。もはや日銀と財務省のたすき掛け人事(交代人事)の時代でもない。さらに日銀や財務省出身では、政治からの圧力をかわしにくい。正しい考え方だと思います。

異次元金融緩和政策が市場の歪みをもたらし、市場メカニズムが働かなくなり、経済・産業の新陳代謝が停滞してしまっている。アベノミクスの流れは10年にも及び、出口(政策転換)に容易にたどりつけなくなっています。自民党内には、いまだにアベノミクスを神格化する流れがある。

植田氏自身、審議委員をやっているとき、速水総裁時代の大規模緩和、ゼロ金利政策の立案にかかわったそうです。「金融政策には限界があり、長期にわたってはならない、10年国債のような長期金利を対象にすべきではない」との考え方と言われています。

岸田政権は、アベノミクスからの転換をはからなければならない。それには、黒田総裁の伴奏者であった雨宮氏では困る。雨宮氏自身も、歪みが増大している異次元緩和政策の責任を感じ、推されても総裁になる意欲はない。結局、日銀審議委員を7年もやり、金融理論と金融政策に通じた植田氏の力量にかけてみようという結末なのでしょう。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年2月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。