私は人生の半分を日本、半分をカナダで過ごしている中でそれぞれの長短を感じながら、バランスを取っているつもりです。ですが、本拠地がカナダであり、私の業務上のやりとりの相手にほとんど日本人がいないこともあり、ギアは北米モードに入っています。
北米モードのギアとは何か、といえば理詰めのバトルであります。まだ、駐在員だった頃、本社から出張できた上司が「お前の説明は理詰めだよな」とため息のようにつぶやかれたのを覚えています。こんな日本人は嫌いなのでしょう。理詰めよりも浪花節が好きですよね。だから私は日本人には不人気です。31年前に着任した時は完全日本モードでそのギャップの理解に苦労したのですが、ロジカルな説明をする点は英語が上達するよりも早く習得したと思います。なぜなら、当時、こちらの人と議論をした際に論破できなかったからです。悔しかったですよ。
私がこのブログでモノの考え方は無数にあると申し上げているのは相手の切り口に対して真正面から向かえば相打ちになる、その場合に勝てるならよいですが、もっと確実にするためには側面など違う面からも自分の考えに厚みを持たせるための算段だと考えているからです。しかもそれが屁理屈にならないように、です。
この4-5年、不思議といろいろな人が私のところに連絡をしてきます。「実は〇〇の件だけど、お前どう思う?」と。一つには同じところでこれだけ長く仕事をしている人がいないので歴史の話はひろに聞け、になっているのです。例えば8年も前に業務上の縁が切れたホテルのエクゼクティブオフィスでは過去の話はひろに聞け、というのが伝説のようになっているそうです。今でもしばしば連絡が来て相談に乗っています。
もう一つは割とわかりやすい説明をするように心掛けているので相手がなるほどと思ってくれることでしょうか?つまり説得と納得です。その秘訣はすべてのデータとやり取りの記録は頭に残っている記憶だけではなく、クラウド上に整理されたファイルとして存在するからです。つまり当時の事実は瞬時に引っ張り出せるのです。これは同じ人が31年も仕事をし、ほぼすべてを掌握している故になせる業です。
私が建てた集合住宅の管理組合とのご縁も切れません。役員でもないのに役員以上の関与をすることもあります。例えばある水漏れの修復に管理組合が雇う運営会社は修理にあたり、高額のコンサルタントに修理の方法を検討させます。その結果、複雑な工事を示唆され、それを3つの業者に見積もらせたらどこも3000万円程度となり、管理組合が私にヘルプを求めてきました。私は見る視線が違うとすぐに感じたのです。コンサルはリスクを取らない最大限の安全策を提示します。しかし、時としてそれは過剰であったり、無意味な自己防衛なのです。運営会社はそれ以上に責任を取りたくないので当然安全策=高額な工事費はやむを得ないと他人事のように言います。
私は何人か知り合いの工事業者に見せ、最終的にある業者に見積もらせたら500万円程度でした。単価の差ではなく、何処で何をするのか、そもそものポイントをチェックし、全く違う発想を取り込んだ上でピンポイントの作業を考えたのです。もちろん、管理組合は了承します。一方、運営会社はそれ以降、その件で私には一言も触れなくなりました。
日経ビジネスの「繰り返される『多様性なき調和』の悲劇 五輪汚した『普通の人々』 権威への服従が醜態招く」という記事の趣旨は、高橋容疑者の暗躍を許したのは周りにNOと言えない環境があったからだという訳です。では一般企業などでNOと言えるのか、といえば基本的には波風を立てたくないのでできないという人がほとんどでしょう。
これ、ある意味、日本のいいところでもあり、悪いところでもあるのです。それは和であり協調です。しかし、ときとして「悪との和」もあるのです。連続強盗事件やオレオレ詐欺の指示役から逃れられないのは、逃げようとすれば復讐されるから怖いわけです。ある意味、誰と協調するかでその人の人生が決まってしまうような世界すらあるのです。昨年秋の5歳児餓死事件の主犯の赤堀恵美子に対してNOと言えなかった母親の弱さは私には衝撃的印象でした。
ではお前はなんで好き勝手なことを言えるのか、と聞かれれば究極的には孤独でも全く困らないから、というのが答えかもしれません。人は普通、誰かと繋がっていたい、と思います。仲間に入ることが義務のようになっています。女子高生はKYで仲間外れにされます。なので、いやいやでもどこかのグループに所属するのです。それは逆に言うと自分が弱いからともいえるのです。強くなれば別に一人でもいいし、必ず自分に共鳴する人はいると思っています。
つまり最終的には全く孤独になることはあり得ないというのが私の落としどころです。自分の周りにいる人がどんどん変わるだけです。これまた理詰めだな、と言われるかもしれませんが、私が強くなったのは異国の地で誰も知己がいない中でゼロから立ち上げてきた努力と年輪の積み重ねが理由なのかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年2月19日の記事より転載させていただきました。