『論語』の「陽貨第十七の六」に、弟子の子張が孔子に「仁を問う」章句があります。孔子は「能(よ)く五つの者を天下に行うを仁と為す…天下で五つの美徳を実行できたら、それが仁である」と応じ、その「五つの美徳」につき次のように述べています――恭(きょう)寛(かん)信(しん)敏(びん)恵(けい)なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任ず、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足る。
第一に「恭なれば則ち侮られず」。態度というものが大切です。いわゆる謙虚さのことです。丁重で恭(うやうや)しい人は、他人から侮辱されたり侮られることはないものです。
第二に「寛なれば則ち衆を得」。自分に優しく他者に厳しい人を誰も評価しないでしょう。寛大であることです。人に対し寛容な精神を持ち自分に対し厳しい位でないと、人の心は得られぬものです。
第三に「信なれば則ち人任ず」。誠実であればこそ他人からも信頼され、大切なことが任せられます。誰かに信用されているからこそ、誰かを紹介してくれたりもするわけです。信は対人関係の中で一番大事なものです。
第四に「敏なれば則ち功あり」。表面的には、敏速であれば仕事ができるということです。深層的には、物事の変化の兆しを捉えパッと動いて行くといったことです。敏とは、人間のみならず動物も持っている一つの本能のようなものです。
第五に「恵なれば則ち以て人を使うに足る」。人の上に立つ者が恵み深くなければ、人は喜んで働きません。気が利くか否か、あるいは人の気持ちが分かるか否かです。ちょっとした心遣いで、皆一所懸命になってくれるものです。
以上、『論語』にリーダーの資質を求めますと、上記「恭寛信敏恵」に尽きるのだろうと思います。指導者であろうがなかろうが、此の五字だけでも中々できないことです。例えば春秋時代の鄭(てい)の名宰相・子産(しさん)が、次の言葉を残しています――政治というものは多少理に反するところがあっても、まず民を悦ばせてやらなければなりません。そうでないと民は信じません。信じないと従いません。
どうやったら人は喜び・怒り・悲しみ・楽しむのかといった人情の機微(きび…表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情)が分かる人になるべく、自分が日々の生活の場で様々な喜怒哀楽や辛酸を嘗めるようなことを経験したり、他の人の喜怒哀楽の場面を観察し共感を得たり同情したりすることです。小学校を出ただけの叩き上げで宰相にまで上り詰めた田中角栄、あるいは水呑百姓として生まれ足軽から頂上を極めた豊臣秀吉などは、人情の機微を知り尽くしある意味最も上手く人心を得ていたのだろうと思います。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年2月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。