スマホ奴隷ばかりの日本はどうなるのか(古森 義久)

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顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久

東京からワシントンに居を戻して、生活を始めると、まず気がつくことが二つある。

第一はワシントンではマスクをしている人がきわめて少ない点である。屋外を歩く男女でマスクをしている人は皆無なのだ。東京とはまるで異なる風景である。屋内の会合でももうマスク姿はみあたらない。

第二はスマートフォンに没入している人の姿が少ない点である。東京ではとにかく公共の場で動く人間のすべてがスマホを握って、画面に見入っているといっても過言ではなかった。だがワシントンではそうした光景はない。

この第二の点を取り上げて、私なりの考察や懸念を述べてみたい。

東京ではとにかく視野に入る人間がみなスマホをみつめ、画面に没入しているのだ。スマホの仮想現実に吸い込まれている人間は本当の現実にどう対処するのだろうか。なんども考えさせられた。

過去4ヵ月ほどは日本で生活をしてきた。その間の体験では周囲の人間がとにかくスマホの奴隷のようになっていることに呆然とさせられた。そしてその奴隷状態の継続がこんごの日本人の知能や精神、感情にどんな影響を与えていくのか、と懸念させられた。日本でもアメリカでもすでにスマホ依存の悪い結果が医学的にも、社会学的にも、確認され、発表されているのだ。

私はなにもスマホが象徴するインターネットの効用を否定するわけではない。私自身、仕事に私用にインターネットは大いに活用している。ただしほとんどの場合、パソコンを使う。スマホも持ってはいるが、通信、交信は年来の旧式携帯、いわゆるガラ携の方法で事足りてしまう。

私がいまあえて提起するのは、日本での電車やバスの車内、あるいは路上とか駅構内とか公衆の場でとにかく四六時中、スマホを一心にみつめている人たちの行動パターンである。東京拠点の過去4ヵ月ほどの生活では私は地下鉄やJRなど電車も頻繁に利用した。その電車ではとにかく視野に入る乗客はみなスマホを握りしめて、画面をみつめ、指を使って作業をしているのだ。

満員ではない電車、たとえば私がよく利用する地下鉄の千代田線など座席に座ると、向かい側の座席7人は全員がスマホをのぞきこんでいる。たまにスマホを持たない人、文庫本や雑誌を読む人もいるが、超少数派である。

電車が駅に停まり、降車する人たちもスマホの画面を眺めながら、歩いていく。ラッシュ時に新宿駅の中央線や山手線のプラットホームから階段を昇降する混雑のなかでも、周囲の人にぶつかりながら、なおスマホの画面をみつめて歩く人も多数いた。まさにスマホの虜になったという感じなのだ。スマホを手にしない私にとって、この人たちはスマホの奴隷にさえみえてしまうのである。

たまに隣席の乗客のスマホの画面をちらりとみると、アニメとか映画とかゲームが映っている場合が多い。こちらが横目で数秒間も眺めていると、相手はすぐに不快そうな表情をみせて手にしたスマホの角度を変えてしまう。

ある日、池袋の人気の高い甘味店で友人と歓談していたとき、隣の席に母と娘らしい二人の女性が座った。30代後半にみえる母と12、3歳にみえる娘と、いずれもきちんとした服装だった。

ところがこの二人はテーブルにつき、注文をするや否や、それぞれスマホを取り出して、テーブルにおき、一心不乱に眺め、操作するのだ。30分以上もの間、おたがいに一言も言葉を発しない状態のままなのにびっくりした。母子が喫茶店で甘い物を食べる際に相手に一言も言葉をかけず、スマホをみつめたまま、というのは、やはり異常に思えた。

スマホの過剰な使用が人間の機能に悪影響を及ぼすことを証した調査や研究は日本でもアメリカでも多数、発表されている。アメリカではワシントン郊外にある世界一の医学の基礎研究機関「国立衛生研究所(NIH)」がスマホ依存が中高年の認知症を広げ、子供たちの脳の成長を阻むという調査結果を公表している。

日本でも東北大学からスマホの使用時間の長い子供たちの大脳には発達の遅れがみられるという研究結果が発表された。その他にも年齢を問わず、スマホ過剰使用が人間にもたらす多様な障害はすでに国際的にも証明されているといえよう。

もっとも医学の研究に思いをいたらす必要もない。ごくふつうの常識で考えれば、スマホにしがみつくことが人間本来の機能をゆがめることはすぐにわかる。人間がスマホに没入することは人間本来の他者との接触や独自の学習、さらにはスポーツによる肉体の活用など現実を遮断することを意味する。要するに実際の人間としての自然な活動を停止することなのだ。

そして小さな画面に映る仮想(バーチュアル)の世界に埋もれることなのだ。

人間が本来、生きていくうえでの現実の体験を一時停止する。これこそがスマホへの没入だといえよう。実際には存在しない仮想の世界の奴隷になってしまうとさえいえる。だから私は電車に乗って、周囲の乗客がみなスマホにしがみついている光景をみると、優越感を覚える。自分は仮想ではなく現実の世界に生きている、という実感である。

さあスマホ愛用のみなさんはこんな感想をどう思うだろうか。

古森 義久(Komori  Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年2月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。