紀要廃刊論へのコメントへのリプライ① --- 川森 智彦

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Olivier Le Moal/iStock

拙稿「研究水準向上のため紀要を廃刊するべきである」に対する様々なコメントがインターネット上で見られました。それらへのリプライなどを書きます。

研究水準向上のため紀要を廃刊するべきである --- 川森 智彦
大学の学部等が紀要という学術誌を発行している。多くの場合、紀要には査読がないにもかかわらず、掲載された論文は正式な研究業績として扱われる。それゆえ、より掲載基準が厳しい査読誌等へ論文を発表する意欲が削がれる。また、かつては紀要には、査読の制...

拙稿では、紀要がなくてもプリプリント・サーバーがあれば事足りるということを書きました。日本語の論文も掲載可能なプリプリント・サーバーJxivがあまり知られていないように思われたのでその紹介もしました。ちなみに、Jxivの論文にはDOIも割り当てられます。

ネット上のコメントで、紀要が必要である理由として以下のようなものがありましたが、いずれもプリプリント・サーバーがあれば、紀要が必要な理由にならないでしょう。

  • 紀要は自由な発表の場として必要である
  • 紀要には,査読誌には向かない挑戦的な論文が載せられる
  • 紀要には査読を通ることは難しい水準だが、記録として残しておくべき論文を載せることができる
  • 紀要が主要な発表の場になっている分野がある
  • 紀要は文字数の制限が緩い
  • 紀要には比較的早く論文を公刊できる
  • 紀要には論文を連載できる
  • 紀要をなくせば研究の裾野が狭まり、研究水準が低下する
  • 紀要は立場の弱い人でも論文を発表できる(?)

紀要をなくしたら、日本語と英語以外の論文はどうなるのかという指摘もありました(Jxivは日本語と英語にのみ対応)。社会科学と人文学の比較的メジャーなプリプリント・サーバーであるSocArXivには、中国語の論文も掲載されていたので、多言語に対応しているようです。

紀要には、原著論文のみならず、

  • 判例評釈
  • サーベイ論文
  • 史料翻刻
  • 史料解説
  • インタビュー
  • 翻訳

も掲載できるとの指摘もありました。

Jxivには、新規性のある学術論文とその関連データが掲載できます。判例評釈を学術論文ととらえることができそうなので、判例評釈をJxivに掲載するのは可能ではないでしょうか。そのほかは掲載は難しいかもしれません。arXivにはサーベイ論文も掲載されているので、Jxivでもサーベイ論文が掲載できるようにしてもらえないかなと思います(JST様お願いします)。

史料翻刻、史料解説については、原資料がIIIF対応でデジタル・アーカイブに収められ、それに対応付けられる形で翻刻や解説もデータ・ベースに収められていくのではないでしょうか(門外漢なので頓珍漢なことを言ってるかもしれません)。みんなで翻刻は素晴らしい仕組みだと思いました。インタビューについては、インタビューに基づく論文が執筆されていれば関連データとしてJxivに掲載できるでしょう。翻訳については、どうしたものでしょうか。

紀要は教材・教育手法を載せる場でもあるとの指摘もありました。これは初耳でした。教材は、学生の利便性から、LMSに掲載したほうが良いのではないでしょうか。教育手法については、教育手法についての研究論文の形にしてはどうでしょうか。たとえば、数学の教育方法でしたら、数学教育(mathematics education)という分野があるわけで、その分野の論文の形にして、プリプリント・サーバーに掲載してはどうでしょうか。

紀要のなかには、大学院生の論文については査読を行うものもあり、大学院生が研究業績を積む場になっているという指摘もありました。たしかにそういう役割もあるかと思いますが、所属機関の査読付き紀要よりは、外部の査読誌への投稿を勧めるほうが本人のためではないかと思います。所属機関の紀要だと査読とはいえ甘いものではないかと言う偏見を持たれる可能性があるからです。外部の査読誌と言っても様々なレベルがあり、掲載可能な査読誌もきっと見つかると思います。

紀要とプリプリント・サーバーでは想定している読者が違うとの指摘もありました。学術論文やその関連資料に関していえば、紀要であろうとプリプリント・サーバーであろうと、各論文や資料の主題に関心のあるすべての人が想定される読者でしょう。教材を紀要に載せるなら確かに違いますが、上述のとおり、教材はもっと効果的な媒体に載せたほうが良いと思います。

紀要は、プリプリント・サーバーと査読誌の中間の存在としての意義があるというコメントもありました。たしかに、紀要論文には文言などについて多少の編集の手が入っているのに対し、プリプリントにはそのようなものはありません。ただ、こうした違いにどれだけの意味があるのでしょうか。むしろ、中途半端に編集の手が加わり責任の所在が曖昧になる紀要論文より、文言などの細かい点も含めて完全に著者が責任を引き受けるプリプリントのほうが良いように思います。

コメントに見られたそのほかの紀要の役割として、以下のものがありました。たしかにこれらの役割は、プリプリント・サーバーでは担いづらいでしょう。

  • 紀要には定年退職する教員の記念号としての重要な役割がある
  • 紀要によって同僚の研究を知ることができる
  • 紀要がなくなったら教員の大学への帰属意識が希薄になる
  • 紀要がなくなれば古き良き大学が失われる感じがする

プリプリント・サーバーは文字通り査読前に論文を載せるもので、そもそも査読誌に投稿するつもりのない論文を載せるのは目的を逸脱した使用方法ではないかとの指摘がありました。プリプリント・サーバーの目的は学術論文の即時的な流通でしょうから、それほど逸脱した使用方法ではないのではないでしょうか。

プリプリントの投稿を受け付ける学術誌は少ないという指摘があったのですが(本当でしょうか)、もしそういう学術誌があるのなら、規定を見直してほしいように思います。

プリプリントを引用するのを制約する学術誌があるとの指摘がありました。紀要論文は引用可で、プリプリントは不可というのであれば、両者に引用の可否についての本質的な違いはないので、両方引用可に規定を見直してほしいところです。

(その②につづく)

川森 智彦
名城大学経済学部教授。東京大学学士・修士・博士(経済学)。専門はゲーム理論。詳しい経歴はこちら