紀要廃刊論へのコメントへのリプライ② --- 川森 智彦

bankrx/iStock

前回に続いて、拙稿「研究水準向上のため紀要を廃刊するべきである」に対するコメントへのリプライです。

(前回:紀要廃刊論へのコメントへのリプライ①

紀要でもプリプリント・サーバーでもよいのなら、無理にプリプリント・サーバに移行せずとも紀要のままでよいではないかという意見もあります。紀要のほうが編集コストが高いというデメリットがあり、プリプリント・サーバーのほうが望ましいように思います。

紀要だと査読ではないものの、編集委員が原稿をチェックするなどの手間を掛けます。インターネット上でも紀要の編集コストを嘆く声が散見されました。ほかの雑務に比べ紀要の編集は軽微なほうには思いますが、細かい負担の積み重ねが研究時間を圧迫するのも事実で、無視できないと思います。編集コスト以外のコストについても個々の機関で発行する紀要より、ある程度集約的なプリプリント・サーバーのほうが節約できるでしょう。

紀要の受益と負担の不一致も問題な気がします。紀要を発行する機関に、査読誌が主な発表媒体である分野の教員と紀要が主な発表媒体の分野の教員が混在していることもよくあります。この場合、前者は紀要の恩恵を受けることなく負担だけは回ってくる可能性があります。前者は、外部の査読誌の査読をしつつ紀要の編集にも関わらなければなりません。

所属機関の紀要に論文を載せることを求められるケースもあるという声も見られました。所属機関が発行しているため、査読誌中心の分野の教員も、紀要のシステムに強制的に組み込まれることになります。

紀要は、大学や大学の学部等が直接発行するのではなく、その大学や学部等の教員や学生からなる学会を設立し、その学会が発行するという形態をとっていることもあります。この場合、学生も会費を払い紀要の発行を支えることになることもあります(紀要の発行だけでなく、学生が受益者となる活動も行われているかもしれませんが)。一方で、紀要に掲載すれば原稿料をもらえるケースもあるようです。

紀要を業績としてカウントしなければよいだけではというコメントもありました。それもよいのですが、そうするとなおのことプリプリント・サーバーとの違いが判らなくなり、プリプリント・サーバーがあればよいということになりそうです。

また、プリプリントを業績としてカウントするかは、各機関が研究分野の特徴に合わせて決めればよいのだと思います。査読誌が公式な発表の場である分野なら、プリプリントは原則業績としてカウントしないのが良いでしょう。究極的には内容での判断になるのはむろんです。ちなみに、紀要を割り引いて業績にカウントする機関もあるようです。

テニュアをとった後の昇任が査読誌への投稿のインセンティブになるかは微妙ではないかとの指摘がありました。たしかにそんなに強いインセンティブにはならないとは思います。昇任しても、給料はそんなに上がらず、仕事だけが増えますから。

紀要を廃止すれば、国内査読誌への投稿が増え、絶滅に瀕してる国内の査読誌を守ることにつながるという指摘がありました。国内の査読誌が瀕死であることはまったく知りませんでした。そのような効果があれば良いなと思います。

紀要を査読付きにするのは止めてほしいという声もありました。同感です。査読者が紀要を発行している機関の者に限定される可能性が高く、必ずしも専門家でない者が査読することになったり、査読の負担が過重になったり、査読結果が人間関係に影響されたりする危険性があったりします。

すでに査読性を採っている紀要(PNAS,Annals of Mathematics,Tohoku Mathematical Journalなどを指しているわけではないです)があるのも承知しています。うまく回っていれば素晴らしいことだと思います。

紀要の電子化に関係するいくつかの情報を参考までに書いておきます。紀要は誰にも読まれないという声もありましたが、結構前から紀要が電子化されるようになっており、インターネット上で無料でアクセスできることが多いです。Google Scholarにインデックスされていたりします。入手のしやすさや読みやすさから学部生が参照文献として利用することが多くなりました。

電子化しても紙媒体も発行するものも多くありますので、紙媒体の紀要を交換し合う風習は今でも見られます。査読誌はアクセスがしにくく、紀要と視認性で逆転したと言われますが、国際ジャーナルは論文の出版後もプリプリントを公開し続けるのを認めるケースが多いので、出版された版は入手できなくても、プリプリント版は無料で入手できたりすることも多いです。

視認性で紀要よりプリプリント・サーバーのほうが優れているとの声もありましたが、紀要が電子化されGoogle Scholarにインデックスされているなら、視認性にそれほど違いはないかもしれません.

私も編集委員として紀要に関わっており、委員であるからにはちゃんと仕事しないといけないと思って論文を入念にチェックしたり、執筆要項がなかったのでそれを起草するために様々な分野の内外の主要雑誌を調べて各分野の論文の形式を調べたり(経済学部・経営学部関連の雑誌ですが,経済学・経営学以外の分野の教員も所属しています)といろいろ努力しました。

かねてから紀要廃刊を訴えていたのですが、紀要のコストに直面し、改めて廃刊について問題提起をしましたがなかなか理解が得られませんでした。その後この問題は私の関わっている紀要に限ったものではないので、視野の狭い私ですが拙稿で広く問題提起した次第です。

私は計量書誌学や科学史の専門家でないので、紀要廃刊論を学術論文として書く能力は到底なく、紀要廃刊論を査読付論文はおろか学術論文ですらない形で書きました。突っ込みどころは多々あると思います。申し訳ありません。

紀要を廃刊するか否かはもちろん各発行主体が決めることです。プリプリント・サーバーがあることを念頭に、紀要の(編集)コストを考慮に入れて、各発行主体が紀要の必要性を検討されてはどうでしょうか。

川森 智彦
名城大学経済学部教授。東京大学学士・修士・博士(経済学)。専門はゲーム理論。詳しい経歴はこちら