成金とお金持ちの違い

黒坂岳央です。

ビジネスで大きな成果を出して、経済的に成功している人をそれなりに見てきた。昔は「経済的に成功している人は全員お金持ち」みたいにまるっとカテゴライズする感覚だったが、最近は成金とお金持ちは明確に違うと感じるようになった。

両者の違いは資産や収入の多寡ではなく、心の持ち方のレベルにあるように感じる。これはかの有名なマズローの欲求5段階説で説明することが可能だ。結論、「成金は承認欲求止まり、お金持ちは自己実現欲求に至った」というものである。

正直、この段階説は本当に万能であり、あらゆる人間はほぼすべてこの段階にカテゴライズできると感じる。「成金の壁」について取り上げたい。

Deagreez/iStock

どうしても承認欲求段階を超えられない

スマホの普及とともに、ネットのサービスを巧みにハックすることで小金持ちが大量に生まれた時期があった。実例をあげるとGoogle SEOをハックして実質的にほとんど無価値な記事を大量に自動生成し、貼り付けた広告で荒稼ぎするようなケースである(現在は対策されている)。

こうしたやり方で財を成した人と何人かコミュニケーションを取る機会があったが、彼らはそれなりの収入や資産があっても、その全員が「成金」であった。判をついたようにその全員がギラギラとブランド物で身を固めたり、高級時計や高級車でPRする。着飾るというより、どちらかといえば相手を威嚇するような雰囲気が漂っていた記憶がある。話は、自慢話に終止する。

今ならよく理解できるのだが、彼らは総じて欠乏する承認欲求に苦しんでいた。技術力で荒稼ぎするも、実質的なビジネス的価値なんてほとんど何もない。誰かから感謝されたり、結果を称賛されることなく裏ワザ的に大金だけを得てしまったのだから頷ける話だ。

銀座のクラブに現れる成金は、早いと数ヶ月で姿を消すと証言する専門家もいる。成金は承認欲求段階を超えることができず、承認欲求を満たすための過激な消費で自らの身を滅ぼしてしまうのだ。

実際、地元熊本で知人の社長に成金を絵にかいたような人物がいる。彼は高級車に乗り、高級品をジャラジャラつけ、クラブなどで派手に飲み歩く。せっかく、一生懸命会社経営で働いたお金のほとんどを自己PRに散財しており本当にもったいないと思う。人生で飲み歩いた資金があれば新築の家が買えてしまうくらい使っている。お金を得ても心が充足しなければ、何十年も散財し続ける成金から永遠に抜け出すことはできないだろう。

心の充足で承認欲求の壁を破る

自分は資産数十億円超えの大富豪などではないが、数年前から自分で承認欲求段階の壁を超えることができたという感覚がある。誰かに自慢してすごいと言われたいとか、認めてもらいたいという気持ちは本当にまったくない。なぜなら英語の講師業という仕事を通じて、すでに満たされているためだ。

講師業はすごくいい仕事だと思う。真っ当に仕事をして相手の悩みや行き詰まりを解消すれば、相手からとても感謝される。自分が教えているのは英語なのだが、時には「英語だけでなく、人生の生き方も救われました」と大きな感謝を受け取ることがある。

毎日、ありがとう!と言われていれば、心は自然に充足する。「もっと褒めてもらいたい、認めてもらいたい」という気持ちはまったくない。ただただ、目の前の問題や課題を抱えている人を解決に導くことだけに集中する。そうすれば、結果的に経済的に困窮することはないし、承認欲求は満たされ続けるのだ。

だが自分も元々そうだったわけではない。会社員時代はうだつが上がらず、周囲の足を引っ張ってしまう場面が多かったので「認めてもらいたい!」という欲求はむしろ人一倍強かった。自分自身がマズロー欲求5段階の階段を一歩ずつ登っていく感覚だった。本当にこの欲求段階説はよくできていると思う。

自己実現欲求から見える風景

自己実現欲求に至ったことで何が変化したか?それは「シェアの精神」である。世の中の大富豪がチャリティ活動や、寄付をするのも一部にはシェアの精神というのもあるだろう。

最近、日本語になっていない海外のビジネス洋書やウェブサイトを熱心に読み始めた。それはなぜか? 読んで得た知見を発信を通じてシェアしたいからだ。

「この活動を通じて多くのアクセスを集め、ビジネスチャンスを得ればもっと稼げる~」みたいな利己的な欲求というより、「こんなに面白い話があるので聞いてほしい。これすごいよね!」と学校で友達に面白い話をして、一緒に驚き、笑いあいたいという感覚に近い。早くそれをやりたくて時間が空いたらせっせとビジネス洋書を読むようにしている。

誰かを驚かせたり、笑わせることはとても楽しい。それをするためには相手にとって有益かつ興味深い話ができるようになる必要がある。そのために時間を作って知識を仕入れる、というイメージである。

このような活動は承認欲求を満たすものと比べて、ほとんどお金はかからない。せいぜい洋書の購入代くらいなものだ。そしてとても楽しい。傍目から相手のためにやっているようで、実質的には自分が楽しいからやっている。自分が楽しむためにやっている活動が、実際には他人の役に立つというのは一つの理想の形だと思っている。

自慢ばかりして影で悪口を言われ続けている成金を見ると、気の毒に思う。お金をどれだけ使っても永遠に欠乏から脱することができない。たとえると喉が乾いて水を飲んでいるのに、ずっと乾き続けているような状態だ。これを脱するには相手から感謝を集める活動が一番いいように思う。最も、欠乏しているタイミングでそのような発想を持つのは至難の業なのだが。

 

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