偉大な経営者のココロの変化:鈴木敏文氏を呼び込んだ伊藤雅俊氏

先週、京都先端科学大学からカナダ人の出張者が来ており、様々な談笑をさせて頂きました。今夏、弊社で同大学からインターンシップの学生を受け入れることにしたのは同大学の国際人養成という立ち位置に共感したこともあるのですが、日本電産の永守重信氏が同大学に私財を投じて理事長として旗振り役をしていることにも興味があったからです。

「お土産に」と言われて渡されたのは永守氏の直筆サインつき著書「成しとげる力」でした。出張者の言葉の端々にも永守氏を意識した感じが見受けられ、カリスマ性は企業だけではなく、大学という教育機関にも伝播するのかと感じた次第です。それを痛切に感じたのが、2日目に弊社の事務所に来た際にスーツにネクタイ姿だったことです。「西海岸でスーツにネクタイなんてしてこなくてよいのに」と申し上げたら「いやいや、会社を訪問する時はきちんとした格好で行くことを厳しく指導されていますので」と流ちょうな日本語で律義さを見せてくれました。なので「学生にも少なくとも初日はきちんとスーツを着させます」と。

永守氏の厳しいしつけがこんなところにも行き届いているのかもしれない、と改めて感慨深いものをみた次第です。

その永守氏、新たに副社長を5名指名し、24年4月にこの5人から次期社長を選ぶと表明しました。西本達也氏’(三井住友銀行)、北尾宜久氏(三井住友銀行)、大塚俊之氏(りそな銀行)、小関敏彦氏(新日鉄⇒東大)、岸田光哉氏(ソニー)という顔ぶれでカッコ内は出身ですが、現在は全員同社で要職についています。プロパーはいないということになります。個人的には小関氏は元東大の副学長で先述の京都先端科学大学の副学長をしていることからそちらの方になるのではないかという気がしています。

その会見で永守氏が述べたのが「猛烈的な経営はもうできない」(ブルームバーグ)。なぜか日経も産経もこのキーワードを報じていません。確かに社長候補だった日産出身の関氏が退社した頃から日本電産の評判が悪くなり、永守スタイルは逆風にされされていました。1年ぐらい前までは高株価は努力の証、ぐらいの感じで株価下落に叱咤していましたが、今は当時の半分近くまで下がってきたのに、永守氏から特段コメントはありません。その点では「永守ワールド」はそれこそ著書のタイトルではないのですが、「成しとげる力」で完成形を見たのだと思います。

ただ、企業は継続性があり、創業者の思想は伝え継がれても時代時代の経営者が最適な形に作り替えていくものです。その点で仕事が趣味、週7日働くスタイルは次世代に継ぐものではないという意識を明白に持ったのだと思います。

ところでイトーヨーカドーの創業者、伊藤雅俊氏がお亡くなりになりました。のちのセブンイレブンに繋がるのですが、私が見る伊藤氏は決して巨大企業の経営者ではなかったと思います。下手したらそのあたりの中小企業のオーナーで終わっていたかもしれないと思います。そのチャンスはどうやってつかんだか、と言えば東京出版販売(現トーハン)の鈴木敏文氏をイトーヨーカ堂に呼び込んだことが全てだと思います。

イトーヨーカドー Wikipediaより

伊藤氏と鈴木氏は考え方が相当違い、セブンイレブン黎明期の頃から双方で行き違いは常に起きていました。普通なら伊藤氏は鈴木氏を追い出すシーンでもそれはせず、むしろ鈴木氏の持つ個性と才能と情熱に任せることにしました。番頭という表現が正しいのかわかりませんが、少なくともビジネス手腕という点で鈴木氏は伊藤氏を凌駕し続けたと思います。その点において個人的には伊藤氏は後世、事業者としての居心地は本当に良かったのか疑問に思っていました。

それを改めて感じたのが日経にある伊藤氏の一言。「巨大流通企業になった感想を聞いたことがある。すると意外な答えが返ってきた。『売上高が100億円くらいの時代が一番よかったね。お客様と従業員の顔もちゃんとわかったから』。商人の顔になり、相好を崩した。」とあります。日経には「意外な答え」と書いてありますが、私は鈴木氏の本を読んだ際、伊藤氏の本望はそこになかっただろうと直感していました。伊藤氏が永守氏のような剛腕な経営者であれば鈴木路線は存在しなかった、それは今のセブンアイホールディングスもなかったのかもしれないのです。

78歳の永守氏が最後の大仕事、継承者を選ぶプロセスに入った中で伊藤雅俊氏の度量の大きさを見るにつけ、経営者と言えども貫く力と緩める器量を使い分ける意味があることを改めて思い知らされた気がします。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年3月14日の記事より転載させていただきました。