フランシスコ教皇在位10年間の歩み:改革派と保守派の聖職者の間で

コンクラーベ(教皇選出会)は2013年3月13日午後、5回目の投票で新教皇を決定した。システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が出て新教皇の選出が明らかになると、広場で待機していた市民や信者たちから大歓声が起きた。新ローマ教皇に南米出身者が選出されたことは初めてだった。イエズス会出身者の教皇選出も初めてだ。聖職者の中でも、新ローマ教皇に選出されたアルゼンチンのブエノスアイレス大司教のマリオ・ベルゴリオ枢機卿を知っていたものは多くいなかった。文字通り、サプライズだった。

ローマ教皇に選ばれ、信者たちの前で挨拶するフランシスコ教皇(2013年3月13日、バチカンニュースから)

フランシスコ教皇の在位10年間を前に、「なぜ同枢機卿はコンクラーベで選出されたのか」を振り返ってみたい。当時のバチカンニュースの説明によると、「コンクラーベ開催前の準備会議(枢機卿会議)でベルゴリオ枢機卿が教会の現状を厳しく指摘し、『教会は病気だ』と激しく批判した。その内容が多くの枢機卿の心を捉え、南米教会初の教皇誕生を生み出す原動力となった」からだという。

フランシスコ教皇が教会の現状を批判し、教会の刷新を訴えた5分間余りの演説の一コマを紹介する。「自己中心的な教会はイエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。これは病気だ。教会機関のさまざまな悪なる現象はそこに原因がある。この自己中心主義は教会の刷新のエネルギーを奪う。2つの教会像がある。一つは福音を述べ伝えるため、飛び出す教会だ。もう一つは社交界の教会だ。それは自身の世界に閉じこもり、自身のために生きる教会だ。それは魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投げ捨ててしまう」と述べている。この内容がコンクラーベに参加した枢機卿たちの心をとらえたわけだ。

フランシスコ教皇が就任以来、貧者の救済を頻繁に言及するため、「教皇は南米の神学といわれる解放神学の信奉者ではないか」という声が聞かれた。イタリアのメディアの中には、教皇を「革命家」と報じた。華美な教皇宮殿には住まず、簡素な住居に寝泊まりし、服装は質素で、安易な生活を好んだ。南米出身の教皇は貧者の聖者と呼ばれたアッシジの聖フランシスコを尊敬し、その教皇の名にフランシスコとつけた経緯が知られていたからだ。

それではフランシスコ教皇の10年間は「革命家」としての歩みだっただろうか。8年間続いた「学者教皇」ベネディクト16世と比べるならば、フランシスコ教皇は庶民派であり、信者との接触を好む「牧会者教皇」であることは間違いないが、革命家ではなかった。

病気の教会を治癒しようと独力してきたが、完全治癒どころか、処方箋もまだ決定していない、といった状況が現実ではないか。名医でなかったことは間違いないが、藪医者とは酷評できない。なぜならば、少なくとも「教会が病気」であるという診断は間違いではないからだ。ただ、どうすればその病を治せるかで、フランシスコ教皇は改革派と保守派の聖職者の間をオロオロとしながら苦悩してきたのだ。

フランシスコ教皇は前任者のベネディクト16世とは異なり、信者たちやメディアとの接触には積極的に応じてきた。その分、外遊先での失言や誤解も少なくなかった。過去10年間、聖職者の未成年者への性的虐待事件問題が世界の教会に影響を与え、教会から脱会する信者が増加する一方、聖職者不足が深刻となり、羊飼いのいない教区すら出てきた。その結果、教会一般のイメージは聖職者の性犯罪の多発と教会側の隠ぺいが明らかになって、教会への信頼は地に落ちてしまった。もちろん、世界の教会の現状はフランシスコ教皇の直接の責任ではないとしても、停滞する教会をリバイバルすることに成功はしていない。

11世紀の預言者聖マラキの「教皇に関する預言」は前教皇べネディクト16世が最後であり、その後の教皇については言及がない代わりに、散文が記述されている。「極限の迫害の中で着座するだろう。ローマ人ペテロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る、終わり」という。現代文で解釈すると、「べネディクト16世の退位後、イタリア系のローマ法王が就任するが、その時、教会を取り囲む状況は深刻であり、リスボン大地震で欧州が崩壊的ダメージを受けたように、カトリック教会(バチカン)は神のみ言葉を受け入れないため崩壊していく。このようにして、2000年のローマ・カトリック教会の歴史は終わりを迎える」というのだ。教会の状況は残念ながら、その預言の通りとなってきた。

フランシスコ教皇は聖職者の性犯罪防止に積極的に関与する一方、バチカン銀行の不正投資問題でも銀行の組織編制を実施して、銀行の資金の動きの透明性を高める人事改革を実施した。教会が直面してきた、①聖職者の独身制問題、②女性聖職者の抜擢、③平信者の教会参加の促進、④性的少数派の同性婚問題などでは、積極的に語ってきたが、解決策はなかった。その点、ベネディクト16世時代とは大きくは変わらなかった。

フランシスコ教皇の「有言無実行」について、バチカン・ウォッチャーからは「バチカン内の保守派の強い抵抗があって、フランシスコ教皇は自身の改革案を実行できないのだ」と受け取られている。例えば、聖職者の独身制廃止を実行したならば、教会側は巨額の資金を聖職者の家庭を維持するために投資せざるを得なくなるから、カトリック教会の教会運営に支障も出てくる。言うのは容易いが、実行は難しいわけだ。また、教会内で性的少数派への受け入れ問題や女性の聖職者任命などコンセンサスがない時、改革を実行すれば、教会が分裂する危険性が出てくる。

フランシスコ教皇は2019年に協議を開始し、教会刷新のための「シノドスの道」を提唱し、世界各教会で積極的に協議してきた。例えば、独司教会議がローマ教皇を中心とした「中央集権制」から脱皮し、各国の教会の意向を重視し、その平信徒の意向を最大限に尊重、LGBTQ(性的少数派)を擁護し、同性愛者を受け入れ、女性信者を教会運営の指導部に参画させ、聖職者の独身制の見直しや既婚者の聖職者の道を開く、等々の改革案を提示した。その内容はフランシスコ教皇が過去、時には語ってきた改革案だ。しかし、フランシスコ教皇は昨年6月14日、インタビューの中で、「ドイツには立派な福音教会(プロテスタント派教会=新教)が存在する。第2の福音教会はドイツでは要らないだろう」と述べ、独教会司教会議の改革案に異議を唱え、「エリートたちが、イデオロギーに基づいて行っているものだ。神の民全体によって作られたものではない」と酷評し、「そこには聖霊が働かない」と言い切っているのだ。

フランシスコ教皇は変形性膝関節症に悩まされている。膝の関節の軟骨の質が低下し、少しずつ擦り減り、歩行時に膝の痛みがある。最近は一般謁見でも車いすで対応してきた。生前退位の噂は本人がメディアを通じて何度か流し、その本人がここにきて生前退位する意思はないと否定し、モスクワとキーウ訪問に意欲を見せている。その発言内容は残念ながらコロコロ変わる。

フランシスコ教皇は「シノドスの道」から離脱し、現状維持を模索するかもしれない。ただし、フランシスコ教皇が教会の刷新を断念したとしても、教会の刷新を願う聖職者、信者たちの動きを止めることはできないだろう。フランシスコ教皇は教会の改革問題について教会内で議論を認めたが、実際に実行するか否かの決断の段階で揺れているのだ。

「私たちの教会には何かが壊れている」。これは、イエズス会のアンスガー・ヴィーデンハウス氏が南ドイツ新聞とのインタビューで述べた言葉だ。86歳の高齢のフランシスコ教皇に教会内でまだコンセンサスがない改革を期待することは少々酷なことかもしれない。在位10年の年月が通過した。ベネディクト16世より在位期間は既に長い。南米出身の教皇の持ち時間はもはやそう長くない。バチカンでは保守派と改革派の間で既にポスト・フランシスコへの主導権争いが始まっている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。