イラク戦争勃発から20年
今年開戦から20周年を迎えるイラク戦争は、二つの誤った前提に基づいてアメリカがイラクを侵攻した戦争だった。
ひとつはイラクのサダム・フセイン政権が大量破壊兵器を保持しており、アメリカにとってはすぐにでも除去しなければ喫緊の脅威だったという前提。もう一つは、イラク市民がフセインから解放されたいと願っているはずだという純粋な期待だった。
しかし、周知のように二つの前提は侵攻後、虚偽であることが判明した。実際のところイラクは大量破壊兵器を保有していなかった。また、米兵の捕虜虐待などの事件も禍して、アメリカはイラク人に歓迎されるどころか、反米運動に直面した。
フセイン政権が倒されたことで、イラクのみならず、中東全域の治安が急激に悪化し、イスラム国などに代表される過激派組織の台頭を許した。
当時ジョージ・W・ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と名指したイランは今ではイラク内で影響力を拡大させており、イラク侵攻はアメリカの脅威であったイランの中東における影響力を逆に強める結果を生んだ。戦争によって約4000名の米兵、30万人近いのイラク民間人が犠牲となった。
In the 20 years since the U.S. invaded Iraq, Iran has built up loyal militias inside Iraq, gained deep political influence in the country and reaped economic benefits. For Washington, these were unintended consequences. https://t.co/jMXhVAi5tH
— The New York Times (@nytimes) March 19, 2023
米国がイラクに侵攻してからの20年間、イランはイラク国内に忠実な民兵を作り、同国内で深い政治的影響力を持ち、経済的利益を享受してきた。ワシントンにとって、これらは意図しない結果であった。
イラク戦争は二人のアメリカ大統領を誕生させている。バラク・オバマとドナルド・トランプだ。オバマはイラク戦争反対の急先鋒であり、2008年に民主党大統領候補の大本命でイラク侵攻を支持していたヒラリー・クリントンを退け、そのまま大統領に当選した。
トランプもイラク戦争の失敗によって党内主流派が信用を失って出来た力の空白に入り込み、番狂わせを起こした。2016年の討論会で候補者トランプがブッシュ大統領の弟であるジェブ・ブッシュに対してイラク戦争が「大きな間違い」だったと批判した時は大きな衝撃をもって受け止められた。
イラク戦争は「誤った戦争」か
アメリカ国内でブッシュ大統領が戦争責任を償うべきだとする声はくすぶり続けている。MSNBCのミディ・ハッサンのように中東で壊滅的な被害を引き起こしたブッシュ大統領が戦争犯罪に問われるべきだという声も、アメリカ左派の間では根強くある。
アメリカ人は「誤った戦争」であったイラク戦争を反省し、教訓から学ばなければならなない。しかし、筆者はアメリカ人自身がブッシュ大統領に責任を押し付けるがあまり、戦争推進における世論の役割を軽視しているように思える。
過去の全ての戦争がそうであったように、アメリカ人は「誤った戦争」をするために戦争は始めるわけではない。第一次世界大戦や第二次世界大戦がそうであったようにアメリカ人は自分たちが「正しい戦争」を戦っていると信じて戦うのである。
そして、20年前のアメリカ人の多くはイラク戦争がまさしく「正しい戦争」であると信じていた。
既定路線だったフセイン政権打倒
イラク戦争は開戦前後の時期において極めて多くの、超党派の支持を集めた戦争だった。ブッシュ政権にイラク侵攻のお墨付きを与えた決議は下院では429人中296人、上院では100人中77人が賛成し、クリントンやバイデンなどの民主党有力議員の多くがそれを支持した。開戦前は64%のアメリカ人が対イラクの武力行使を支持し、開戦直後その数字は72%に上昇した。
アメリカによるフセイン政権打倒が2003年以前から既定路線だったことも忘れられがちな事実だ。1991年の段階からジョージ・H・W・ブッシュ大統領は反フセイン派の蜂起を呼びかけており、1998年にはイラクの「レジームチェンジ」がアメリカの外交目標であると規定したイラク解放法がクリントン大統領によって署名された。
アメリカ人の誰もが、化学兵器を実戦使用し、自国民や少数民族の弾圧、クウェートを侵攻し湾岸戦争を引き起こしたサダム・フセインがいなくなることを望んでいた。そして、それを目指す政府を支持した。
恐怖に飲み込まれた9.11以後
湾岸戦争以後フセイン政権の転覆が既定路線ではあったアメリカだが、いつまでというタイムリミットは定められておらず、その達成は反フセイン勢力を支援するという間接的な手段に限定されていた。
だが、2001年9月11日の同時多発テロにより、フセイン政権打倒は「いつか」ではなく「いますぐ」に方針変更された。飛行機がビルや国防省などに次々と突入する光景はアメリカ人を恐怖のどん底に陥れ、世論は「テロとの戦い」を指導者に要請した。そして、その要請を受けてブッシュ大統領は大量破壊兵器を開発し、テロリストを支援していた過去があったフセインに目を付けた。
ブッシュ政権は査察などを通して、テロリストに渡る危険がある大量破壊兵器がイラクに無いことをフセインに証明させようとした。しかし、フセインが信用できないと見るや、疑わしきは罰するという「テロとの戦い」の論理でアメリカは世論の大多数の支持を受けイラクを侵攻した。
イラク戦争の教訓は?
メルヴィン・P・レフラーの新著によると、9.11以後ブッシュ政権はテロリストの恐怖のみならず、再びテロを防止できなければ世論に見放されるという二重の恐怖に直面していた。レフラーの著書は多数のブッシュ政権高官へのインタビューを基にしており、当時のブッシュ政権がいかにイラク侵攻前後において世論を意識しており、プレッシャーをかけられていたかが分かる。
イラク戦争の最大の教訓はパニック状態に陥った世論が、後先考えずにとんでもなく誤った政策を支持する可能性があることだ。中国の偵察気球に対する米国人の興奮した反応はイラク戦争前夜を彷彿とさせる。
イラク戦争という「誤った戦争」の責任は最高司令官だったブッシュ大統領にもある。だが、戦争熱に浮かれてイラク侵攻を支持した世論の責任も総括しなければ、イラク戦争の反省を終えたとは言えない。