本屋さんは永遠だ

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自分としては本屋に立ち寄って、紙の本を手に取る。パラパラめくって少し読んで、購入を決めることが好きだ。本屋はいつになっても、絶対に必要があるもの。価値は永遠に不変だ。

現在、世界最大の通販会社と言ってもよいアマゾン。その創業者ジェフ・べゾフ氏が、25年前シアトルで筆者に熱を込めて言った言葉だ。彼は地元シアトルの本屋によく通っていた。

その一方で、先ほど、本当に残念なニュースを聞いた。

東京駅から歩いて10分足らず。帰国する時は必ず行く巨大な本屋さん「八重洲ブックセンター」。100万冊ともいう本を揃えるマンモス書店だ。新宿の紀伊国屋、池袋のジュンク堂と共に、数え切れないくらい足を運んだ。子供がディズニーランドに行ったような気持ちと言ってよいだろう。入る時、いつもワクワクする。

信じられないことに、その「八重洲ブックセンター」が44年の歴史に幕を閉じる。2028年に新本店として再開するようだが、本当に悲しい。一時閉店の理由は再開発らしい。

だが帰国の度に小さな本屋が減っているように感じるのは気のせいだろうか。

インターネット利用の通販に人気があり、それも一因になっているとも考えられる。

共産圏との戦いが主因で、米国が必死になって各分野の研究を継続した。各分野で優秀な頭脳がそれぞれ知恵を絞った。その結果の1つがインターネットだ。

発明者の1人の話を日本に紹介した。ポール・バラン博士(写真)だ。

30年ほど前で、日本人の多くはネットのことをあまり知らなかった。

ポール・バラン博士(左)
筆者提供

ポールは計算機科学者で、1960年代始め「分散型ネット―ワーク」を考案。別々に研究していた他の科学者や軍人と共に「ネットの父」とも言われる。もともとは米海軍の研究で、「敵の核攻撃を中央司令部に受けると、味方が壊滅する。だから地方分散すれば、数ケ所やられてもネットワークはどこかでつながっている」という発想だった。

対面取材の許可は、米海軍を通してだった。

ネットは米国だけでなく、世界中に広がり、社会や生活を変えていった。ネット利用の新しいビジネスモデルも登場した。その1つが、実店舗ではなく、ネットで簡単に検索、注文ができる通販だ。

1993年頃、NYの金融街のエリートだったジェフは、綺麗な妻と愛犬を連れて東から西海岸を目指し車で、大陸横断の旅に出た。ネット利用で書籍を販売するビジネス構想が頭にあった。シアトルで落ち着いた。それから数年、紆余曲折があったが、書籍販売は軌道に乗り、評価も高くなった。

筆者が訪問した97年では、倉庫は小さく、書籍だけを販売していた。後に離婚して世界一の金持ちになる妻もかいがいしく働いていた。丁度、実店舗を構える大手書籍店バーンズノーブルが、ネット利用で対抗しつつある時だった。

 

ジェフは詳しくどのように創業したのかなど苦労はなしを詳細に語ってくれた。筆者は朝日新聞月刊誌「論座」でその詳細を書いた。

その当時は、ほぼ誰も「アマゾン」を知らなかった。南米の大きな川?と聞かれるくらいだった。

それから2〜3年して、日本に進出した。

彼の話で面白かったのは、書籍だけでなく、各種の商品も売るという考えだったが。なによりも興味を引いたことが、この拙稿の一番最初に書いたこと、「本を買うときは、本屋に実際に行って、本を手に取り、パラパラめくって、購入する」という部分。月刊誌拙稿の最後の部分は、その言葉でしめくくった。

アマゾンが通販の王様になることは予想できた。だが筆者が一番、強調したかった部分だ。

ネット通販の王様でも、紙の本が大好き、本屋は永遠に無くならないと明言したのだ。

八重洲ブックセンターの再開を、首を長くして待ちたい。