何故、岸田首相を狙った攻撃は起きたのか。突き放した言い方をすればそれは岸田首相自身が招いたものである。昨年の安倍元首相への銃撃テロに対し岸田首相は要人警護の充実ではなく旧統一教会対策に舵を切った。
創作でも扱われないような実にわかりやすい形でテロに屈し自身の安全にかかわる議論を曖昧にした。「警察官の権限見直し」といった法改正を伴う本質的な要人警護の議論を避けた結果が今回の攻撃を招いたといえよう。
もっともだからといって岸田首相をあまり批判するとテロに資することになるからこの程度にしておきたい。
言うまでもなく私達が批判すべきは岸田首相を攻撃したテロリストである。
早速、テロの動機・背景などを追究すべきだという声があがっているが意味がない。
動機なんて所詮、人間の内心の話であり他人にはわからない。テロリスト本人だってわからないかもしれない。テロリストの家庭環境が特殊、例えば両親が特定団体に多額の献金をしたため大学に進学できず義憤を抱えテロリストになった…しかし、献金せず家庭に財産があったからといって子どもが大学に進学するとは限らない。そんな保証はどこにもない。
それでも百歩譲って何か動機や背景がわかったとしてもその改善に政府が介入できることはほとんどない。
人間の内心を改造する技術を政府は持っていない。政府にマインドコントロールする能力はない。
家庭環境で政府が介入できるものは児童虐待のような場合に限られる。これだって「完璧な介入」などない。テロリストの人間関係・会社や学校での扱い・スクールカースト・異性関係・ネットの閲覧履歴なども政府が介入できることは極めて限定的と考えるべきであろう。
テロの動機・背景の議論は結局のところテロリストの私的領域の話になるだけであり、私的領域である以上、政府や社会が介入できることは極めて限られテロ対策として意味をなさない。テロの動機・背景の議論で起きるのは時間の浪費であり、何よりもテロリストの黙秘を誘うものである。犯人が黙秘している限りテロリスト扱いできないというおかしな話になりかねない。テロの動機・背景の議論は有害であり直ちに止めるべきだ。
では何を議論すべきか。それはテロの能力の議論である。いかなる動機や背景であってもテロは破壊能力がなければ実現できない。過激な思想、あるいは特殊な家庭経験の結果として日本社会を敵視し、その破壊を目指そうがやはり破壊能力がなければテロは実現できない。破壊能力のないテロリストなんてただの漫画である。何も怖くない。
昨年の安倍元首相への銃撃、そして今回の岸田首相への爆発物投擲、どちらもテロリスト側に破壊能力はあった。共通点は破壊能力を支えたのは火力ではなく射程ということである。
攻撃対象者とテロリストの身体的距離がテロの破壊力をバックアップしたのである。
テロリストと安倍元首相らの身体的距離はあまりにも近すぎた。テロリストの接近を許した警察官は批判されるべきだが、そもそも接近してくる人間を制止する権限が警察官にはないという根本的な問題がある。現行の警察官職務執行法は「犯罪がまさに行われるとする」場合しか警察官は人を制止できない。テロリストが凶器を隠し持っている場合は彼らが凶器を取り出した時からしか警察官はその行為を制止できない。
現行の警察官職務執行法ではテロリストは攻撃対象者との「距離を縮める」ことが容易にできてしまう。法の欠陥だ。法の欠陥がテロを成功させている。これを早急に是正しなくてはならない。
具体的なそれは要人(現役の首相、首相経験者等)の半径200m以内に展開する警察官が要人警護の任務遂行上、必要と判断した場合、特定人物の制止・所持品の強制検査・所持品の一時保管・展開区域から強制退去できる権限を認めることである。
要人はマスコミの注目を常に浴びるものだからこれら権限の濫用は基本的にないと思うが、念のため要人警護の実績の国会報告を義務化すべきだろう。
要人の半径200mは範囲が広く人権侵害の危険を感じるならば半径100mでも良い。選挙期間限定の警備権限拡張としても良い。これだけでテロを再発防止できる。
だから岸田首相は猛省したうえテロの動機や背景ではなく、その能力に着目し要人警護の充実に必要な警察官職務執行法などの関連法を整備すべきである。
岸田首相はマスコミを恐れず堂々とテロと戦うべきである。