『論座』を閉じたのは朝日新聞の終わりの始まり?

倉沢 良弦

4月25日で更新終了した論座。
新しいオピニオンサイト「Re:Ron(リロン)」がスタートするのだがはたして・・。

『論座』閉鎖の意味とは?

2010年開設以来、自称リベラルの論客が、もっともらしいことを書くウェブメディアであった『論座』が閉鎖するらしい。申し訳ないが、私の興味に引っかかる著者が一人もいなかったし、朝日新聞記事の詳説のような書きっぷりだったので、たまにしか読んでなかった。

論座の終了について

Re:Ron(リロン)- 朝日新聞の言論サイト
論考やインタビューなど多様な視点を掲載します。「論」を深め合い、世界を広げます。

今回、まさにひっそりと『論座』が閉鎖されることを改めて考えてみるに、それはメディアの自業自得が生み出したものに他ならない気がする。朝日新聞は戦時中の大本営発表の反省から、新聞としての生き残りを左翼に委ねた。

その結果として、55年体制における左翼の広報紙だったり、反日教育の尖兵としてあること無いことを書き連ねることになったのだが、それは何も朝日新聞が悪いわけではなく、自称知識人が何かにつけて「朝日新聞によると」と枕詞を付ける権威主義に溺れた結果、大新聞サマ然としていられたわけだ。

つまり、反体制を気取る自称賢い人たちが金科玉条としてきたメディアの無謬性の象徴が朝日新聞だったわけで、これは朝日新聞と朝日新聞を取り上げてきた自称知識人との同床異夢だった。また日本の左翼思想のいくつかある本山の一つである教育委員会が、授業に取り上げることで反日教育を続けていくための格好の資料でもあったので、これらも、左翼のプロパーとして大新聞サマの働きは確かにあった。

多くの国民が、「待てよ?朝日新聞って、変じゃね?」と気づき始めたきっかけは、まさにインターネットの普及によるところが大きい。それまで朝日新聞のおかしさを指摘する保守陣営はいたが、大新聞サマの威光には抗えず、また朝日新聞にそのような権威を与えていた代表的な言い回しが、国会における質疑において野党が繰り返しもっともらしく言う「朝日新聞によりますと、ですね〜」というあのセリフだ。

朝日新聞社員が上場企業でないにも関わらず、高額な給与を貰い続けられてきた背景には、そうした朝日新聞をプロパーとしてこれまで普及に努めてきたゴリゴリの左翼思想に洗脳されている人たちの働きがあったことは論を待たない。つまり、クマノミとイソギンチャクのような共依存関係にあった。

慰安婦問題の嘘記事に代表されるように、編集方針に強烈な社会主義、共産主義の影響を受けてきた朝日新聞は、政権批判をすることがメディアの使命であり、政権を監視することが社是であったし、また、朝日新聞サマをありがたがる自称識者にとって、その権威の傘の下にいることで、自己保身を維持してきたとも言えるだろう。

彼らの言い草によると、「朝日新聞を批判する連中は、天下の大新聞サマである朝日新聞が嘘やデマやハッタリや洗脳を行う筈が無いではないか!」と青筋を立てて猛攻撃を仕掛けてくる。そこには、前述の大新聞サマの威光と無謬性が存在していると言える。

既に発行部数が凋落の一途を辿る大新聞サマであるが、潤沢な資金を背景にして読まれようが何しようが関係なく、自称リベラル、自称左翼の高尚なウェブメディアを運営しているという自負心や威厳を保てなくなったことの表象が『論座』の閉鎖ではないだろうか? つまり、背に腹は変えられなくなったのだろう。国家主義、専制主義を社是とする朝日新聞にとって、理想は『赤旗』であるに違いない。

しかし大新聞サマとして形式を保つには、日本の場合、広告を受け入れざるを得ない。だから、せめても『論座』だけでも、広告収入から切り離した形で運営をしたかったのは、よく分かる。資本主義に争う抵抗を感じるのだ。これは他の左翼ジャーナリストが、頑なに広告収入をアテにしないで、個人会員等の寄付に頼っている現実と同じに見える。つまり、広告収入とは資本主義の奴隷だと考えているのだ。

何かがあって突っ込まれた時、「お前だって広告収入を得て生活してるじゃねえか?」と言われたくない。イデオロギーに反してしまうという、実に馬鹿げた主義に基づいている。全体主義、専制主義を、資本主義の権化のような朝日新聞サマが主張し、しかもそのイデオロギーでウェブメディアを運営する矛盾に抵抗できなかった末路が、『論座』閉鎖なんじゃないかと思えてならない。

その自己矛盾を、多分だが、運営母体の朝日新聞サマの誰も指摘できないし、説明もできないだろう。私は、負け惜しみでもいいから、『論座』の編集は言うべきだったと思っている。そうしなければ、これまで『論座』に寄稿してきた自称知識人に申し訳が立たないとは、思わなかったのか? と言いたい。

そして、新たなに『Re:Ron』を立ち上げるにあたり、「新たなオピニオンサイト」とかカッコつけても、その中身は『論座』と大差ないんじゃないか、と邪推してしまうのだ。

以降、

・そもそもオピニオンサイトとは何か

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。