エリザベス女王新幹線乗車をストで中止させた国鉄労組

戦前の英国王室と日本皇室の交流は日本からの一方通行でなかった。戦前の日本の皇室と英国の王室とのお付き合いは、英国からの訪日も多く均衡の取れたものだったが、戦後は、1961年に女王の従姉妹(ジョージ六世の弟ケント公の娘)アレキサンドラ王女が国賓として来日されたが、女王の来日はめどが立たなかった。

このあたりの経緯も『英国王室と日本人:華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館・篠塚隆氏と共著)で詳しく紹介しているが、さわりだけ紹介する。

大阪万博にはチャールズ皇太子が来日したが、もう一つ盛り上がらなかった。イカの刺身を食べさせられた皇太子が、世界で最悪の二つの食べ物といったのはこのときだ。

しかし、昭和天皇・皇后両陛下が1972年に英国など欧州各国を歴訪されたのを受け手、ようやく、1975年にエリザベス女王とフィリップ殿下の国賓としての来日が実現した。

晩餐会は古典的なフランス料理だったが、宮内庁楽部が、ビートルズのイエスタディを演奏して話題となった。

宿泊は赤坂の迎賓館に三泊、京都の大宮御所と三重県の鳥羽国際ホテルに一泊ずつだった。東京では経済団体主催午餐会も開かれたが、経済について細かい数字も上げて話されたので、「英国の女王はセールス・ウーマンの仕事もするのか」といわれた。

そして、帝国ホテルから国立劇場までオープンカーを使ってのゆっくりとしたパレードが行われ11万4千人の市民が沿道に集まった。

京都では、桂離宮での裏千家家元による野点、仙洞御所での野外での昼食など女王の趣味に合わせて庭園や野外での活動が多く用意された。

また、伊勢へ行く途中の近畿日本鉄道では、弁当を召し上がられ、は神武天皇山陵を訪問されることが多いのでよく使われて貴賓室も駅にあるので、奈良県経由で伊勢へ向かわれたが、神社参拝に左派系のマスコミはいっちゃもんをつけた。

この訪日でいちばん女王が喜ばれたのが、ミキモトの真珠島見学である。この真珠への関心をみて、のちに日本政府から女王に大量の真珠の玉をプレゼントし、女王は四連のチョーカーにデザインし、女王もしばしば使われたが、葬儀ではキャサリン妃が使って話題になった。このあたりの話も上記の本で紹介している。

東京には東海道新幹線で戻られることになった。実は東京から関西へ移動されるときにもお使い頂くことになっていたのだが、国労がストライキを実施して中止させられていたのである。国鉄労働組合はそんなことするから壊滅させられることになったともいえる。

新幹線にも乗車するエリザベス女王 NHKより

JR東海が1994年に出した広告によると、エリザベス女王は名古屋駅で乗り込む際に『新幹線は、時計より正確だときいています』とおっしゃったそうだ。だが、大雨による徐行と一行の荷物172個を積み込むのに時間がかかったので発車は三分の遅れ。浜名湖付近で徐行し、富士川付近で富士山を女王陛下によくご覧いただくためスピードダウンした。

三島では三分遅れで、しかも、新幹線は速度が上がるとATCが作動し自動的に減速する。当時の規定速度は時速210キロだったので、ギリギリの時速209キロで走らせる運転士の職人芸に「時計より正確”な新幹線の威信」がかかった。東京駅前にあった国鉄本社5階の総裁室でも、諦めのムードが漂ったが、定刻に東京駅のホームに滑り込み安堵した。

また、エリザベス女王は、昭和天皇との会話は実り多いものだったようで、「女王は孤独なものです。重大な決定を下すのは自分しかいないのです。そしてそれから起こる全責任は自分自身が負うのです」「この立場について教えを受けるために地球を半周して来たのです。感謝で一杯です」などとおっしゃった。

当時の東海道新幹線 Wikipediaより