顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久
アメリカの政治がジョセフ・バイデン大統領の次回大統領選挙への出馬表明でまた活気を増してきた。では同大統領が最大の敵とみなすドナルド・トランプ前大統領の現状はどうなのか。当然わいてくる疑問である。
アメリカの政治はなおトランプ氏を中心に激しいうねりを続ける。そのうねりの勢いはバイデン大統領が生む波紋よりもずっと強いようである。首都ワシントンでの国政の現状をみると、どうしてもこんな構図が明確なのだ。
トランプ前大統領を支持する層も、敵視する層も、とにかくこの人物がどうなるかを考えないと、先が読めない、2024年の大統領選挙の展望も占えない。そんな状況なのである。
だが日本でのアメリカ認識にはゆがみも多い。昨年11月の米側の中間選挙でトランプ氏が支援した一部の議員候補が当選しなかった点をとらえて「トランプ氏こそ最大の敗者」とか「トランプ氏はもう終わった」と決めつけた日本側の“アメリカ通”のご託宣は、いまのトランプ氏の現実とはあまりに異なるのだ。
トランプ氏が引き起こす旋風は3月末のニューヨーク州地方検事によるトランプ氏の起訴という前例のない措置によって、かえって勢いを増してしまった。これはなんとも奇妙な現象である。本来なら前大統領が起訴されるというのは前代未聞のスキャンダルである。その結果、当人の政治生命は終わり、というのがふつうだろう。だがトランプ氏の場合はその逆に一般の支持を増してしまったのだ。なぜなのか。ここではその理由を説明しよう。
ニューヨーク州マンハッタン地区のアルビン・ブラッグ主任地方検事は3月30日、トランプ前大統領を刑法違反で起訴した。トランプ氏のポルノ女優ストーミー・ダニエルズ氏への口止め料支払い疑惑にからむ不正容疑への捜査結果だった。トランプ氏は4月4日にマンハッタン地区検事局により同地区裁判所に召還され、罪状認否などの手続きを受けた。アメリカの歴史でも前大統領のこの種の起訴は前例がないとされ、大ニュースとなった。
トランプ氏もこの犯罪被疑者扱いで、年貢を納める時がきた、とする読みがあっても、ふしぎはないだろう。
ところが、である。事態はそんなふうには動かなかった。むしろ反対方向への意外な展開が起きたのである。
「ドナルド・トランプ前大統領が起訴されれば、彼は2024年の大統領選挙で地滑り的な大勝利を得るだろう」―こんな大胆な予測を述べたのはアメリカで電気自動車や宇宙開発で大成功をおさめた起業家のイーロン・マスク氏だった。
起訴は不当な措置であり、その点に同情するアメリカ国民の数は多く、そんな反応がトランプ氏への人気を急上昇させる、というのである。現実にそんな反応を思わせる事態が起きたのだった。
起訴状の主体はトランプ氏が2016年の大統領選挙に際しダニエル氏に不倫関係の口止め料として13万ドルを支払い、その隠蔽のためにトランプ氏関連企業の事業記録を書き変えたとする文書不正改竄の罪をあげていた。合計34件の起訴項目で、同じ口止め料として別の元モデルの女性に15万ドル、自宅のトランプ・タワーのドアマンにトランプ氏に婚外子がいることの口止め料として3万ドルをそれぞれ払った、ともしていた。
トランプ氏はこれに対してすべての起訴内容に無実を主張し、元ポルノ女優とも性的関係はなかったとしている。なおアメリカのいまの法のシステムでは特定人物が刑事的に起訴や有罪判決を受けても、大統領選挙に立つ権利は認められている。だからトランプ氏もたとえこんごの裁判で有罪となっても、2024年の大統領選候補であることには変わらないこととなる。
さて意外な反応の第一は一般有権者の態度だった。
トランプ氏の起訴が報道されると、すぐに各種世論調査でのトランプ氏の支持率が急速に高くなったのである。
ヤフー・ニュースの世論調査によると、共和党側で次期大統領選のトランプ氏は、対抗馬とみなされるフロリダ州のロン・デサンティス知事に対して3月中旬には47%と39%と、8ポイントのリードだった。ところが起訴の直後の同じ調査ではトランプ氏の支持率は57%へと跳ね上がり、31%のデサンティス氏に26ポイントもの大差をつけるにいたった。まさに急上昇なのだ。
同時にトランプ氏の選対陣営への選挙資金寄付が起訴後のわずか1日で400万ドルを記録した。そのままの3日間で700万ドルに急増したと発表された。しかもその寄付のうちの4分の1は初めての献金者たちからだったという。
また起訴への一般国民の意見としても、クイニピアック大学の最新の世論調査では、マンハッタン地区検事局によるトランプ氏への刑事捜査は「政治的動機」で進められていると思うと答えた人が共和党支持層で93%、無党派層で70%という結果が出た。同じ質問に対して民主党支持者たちも33%がイエスと答えたという。
第二は連邦議会の議員ら共和党政治家たちの反応である。
議会では下院の共和党ケビン・マッカーシー議長が「この検察の動きは民主党による司法機関の武器化だ」と言明した。上院でも同じ共和党ながらトランプ氏に批判も述べていたミット・ロムニー議員までが検察の起訴を「政治的な動きだ」と非難した。本来のトランプ支持のリンゼイ・グラハム上院議員にいたっては「この起訴は民主党の歴史的かつ組織的な共和党攻撃であり、国民多数の反発によりトランプ氏の大統領再選の可能性を高めた」と述べた。
連邦議会の上下両院でも共和議員は全員、この起訴への糾弾に同調し、賛意や理解を示す議員はまだ一人も出ていない。きわめて異例の超団結なのだ。
第三は法律専門家たちの反応だった。
共和党歴代政権で司法長官だったウィリアム・バー氏は「私は政治的にトランプ氏を必ずしも支持しないが、今回の起訴はニューヨークの州法を勝手に拡大解釈して連邦レベルに適用する点などあまりに無理が多い」として起訴を政治的行動だと批判した。
ハーバード大学法学部の名誉教授アラン・ダーショウィッツ氏も「この起訴はあまりに弱く、政治的な意図が露骨だ」と語り、この起訴の日を「アメリカにとって悲しい日」とまで評した。
起訴の対象でもブラッグ検事の前任者がトランプ氏の口止め料金疑惑を捜査したものの、立件には無理があると判断して捜査を止めたことがすでに報道されていた。その案件をブラッグ検事があえて再捜査して、起訴にまで持ち込んだという経緯があったのだ。
ニューヨーク州法では文書の改竄も微罪とされるが、ブラッグ検事はその改竄が他のより重大な犯罪を働く意図の下に実行されたとして、その「重大な犯罪」という部分を重罪の要件としている。ところがその「重大な犯罪」がなにかは起訴状に書かれていない。バー元司法長官は「その犯罪名を明記していない点もこの起訴全体をきわめて弱くしている」と論評した。
さて今回の起訴に対してこれほどの否定的な反応が起きることの最大の理由はブラッグ検事の強烈な反トランプの政治性だといえよう。同検事は年来の民主党員で現ポストには2021年はじめの選挙で選ばれたが、その選挙戦では一貫して「必ずドナルド・トランプを有罪にする」と宣言していた。捜査の前に、まず特定人物への法的懲罰を公約にしていたわけだ。
またブラッグ氏は自分の選挙戦に際して年来のトランプ攻撃で知られる大富豪のジョージ・ソロス氏が100万ドルを寄付したリベラル派政治団体から42万ドルの献金を受けていたことも、党派性を印象づけた。
さてトランプ氏の政治現状と同氏への起訴という措置が生んだいまのアメリカの政治状況はこんなところなのである。
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古森 義久(Komori Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年4月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。