東京地裁の判決内容
朝日新聞の記事によると、2017年2月に埼玉県三芳町で発生したアスクル社の物流倉庫火災において、火災の原因は段ボール回収業者によるフォークリフト作業であったとして、アスクルが業者に約101億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が4月26日に東京地裁(平城恭子裁判長)であった。業者の過失が原因と認め約51億円の賠償を命じたとある。
失火の賠償責任を認める判決
物が燃える際は着火源、可燃物、酸素が必要である。火災において着火源は特定されないことも多いが、今回、東京地裁は回収業者のフォークリフト作業が原因と特定した。
段ボールなどがフォークリフトのエンジン部分に入り、高温の排気管に触れて着火したとされ、さらにフォークリフトの説明書に「排気管付近に燃えやすいものがあれば火災の恐れがある」と書かれていたことなどから「従業員は着火の可能性を予見できた」と認定している。
日本には失火責任法という法律があり、重過失でなければ失火の賠償責任を負わなくてもよいとされている。重過失かどうかの判断基準は「わずかな注意を払ってさえいれば失火を防げたかどうか」である。地裁で本件は重過失が認定されたということになる。
着火源はどこにでもある
私はこの判決を疑問視しているが、その理由は、着火源はどこにでもあり失火はいつでもどこでも起こり得るからである。半導体工場や大規模な物流倉庫では経済価値が数百億円規模の施設もあるが、そういった施設に出入りする業者や従業員は巨額の賠償リスクに晒されているということになる。
また、そういった施設における火災の多くは漏電や過電流等の電気を使用した機器に起因するが、例えば携帯電話の充電器が発熱して着火源となり数百億円の損害が発生することもあり得る。大規模な施設において電気を使った機器は無数に使われているが、そういった機器を製造販売している全ての業者が巨額の賠償責任に備えているとは考えにくい。
欧米の経済的損害防止の考えでは、着火源は減らすことはできても完全になくすことはできず、よって火災はいつどこででも発生する、また1つの火災で甚大な被害を受けないために、施設のどこで火災が発生しても最小限の被害で抑えるように制御するべきという考えが一般的である。
日本以外ではスプリンクラーを設置するのが当たり前
他国であれば、被災したアスクルの物流倉庫と同程度の規模及び経済的価値がある施設においてスプリンクラーを設置しないことはあり得ない。
同様の火災が他国で発生した場合、「スプリンクラーは設置されていたか?」「スプリンクラーは有効に機能したか?」「スプリンクラーはどのような基準で設計および施工がされていたか」「スプリンクラーは適切に維持管理されていたか?」が争点となる。
今回のように建物の主要部分にスプリンクラーが設置されていないというのは論外で、日本以外であれば、施設の所有者および管理者は経済的損害防止をする気がそもそもなかったと見なされるのではないか。
スプリンクラーは初期消火に非常に有効とされているが、その有効性はNFPA(米国防火協会)のデータによると平均88%である。NFPAやFM Global等の厳しい基準に従って適切に設計、施工、管理がされていればその有効性は100%に近いとされている。スプリンクラーの有効性についてはアメリカで毎年35,000件以上の検証がされていて詳細に分析されている(日本では東京消防庁が年に十数件行っているのみ)。
施設所有者の立場からすると余分なコストをかけてスプリンクラーを設置しても保険料割引(平均で50%)により数年でペイできるとされている。また欧米では多額のコストをかけても可能なかぎり経済的損害を防ぐHPR (Highly Protected Risk: 高度防災物件)という保険の仕組があり、全ての条件を満たした場合等は90%以上といった高い保険料割引率が適用されるケースもある。
欧米の損保はスプリンクラーが建物や防火対象に対して設置基準を満たしているかおよびその管理状況等による損害率のデータを持っていてそれを基に保険料割引率を細かく設定している。損保会社が保険料を50%割引するということは実際に火災における経済的損害が50%低くなっているということである。
日本ではスプリンクラー設置による保険料割引率は非常に低く、損保業界においてスプリンクラー設置による保険料割引はふれてはいけないタブーのような扱いとなっている。
日本では経済的損害防止のための防火という概念が存在しない
防火の目的には人の安全と経済的損害防止があるが、建築基準法や消防法で規制するのは通常は人の安全である。人の安全とは建物内にいる人たちに火災発生を知らせて避難するための経路を10~20分程度火炎や煙から守り無事に避難を完了させることである。人の安全のみが目的であれば、避難完了後に火災の熱で建物が倒壊しようがそこには関知しない。
一方、経済的損害防止とは建物、設備、製品在庫等の資産を守ってかつ事業を継続することである。大規模物流倉庫において経済的損害防止のための防火を行うのであれば建物、設備、荷物等を守らなければならない。これらの「逃げてくれない」ものを守ることは技術的にも難しくコストも高いが、欧米の損保業界が深く関与してそういった観点からのスプリンクラー基準を定めており日本以外では世界中で使われている。
しかし日本では法規制至上主義となっていて法規制さえ守れば十分でそれ以上の対策は不要と考えるのが一般的であり、経済的損害防止についてはその概念すら存在しない。大規模で経済的価値が高い物流倉庫や工場においても法規制で要求されていること以外はほとんど何もしていないというケースが多い。
日本火災学会の講演討論会
この火災をうけて2018年1月に日本火災学会主催で「大規模物流倉庫の火災安全について考える」という講演討論会があったので私も参加して発言をした。
日本火災学会としてはあくまでも国内の消防法や建築基準法の範囲での討論をしたかったようで、この事例のように火災が制御不能になり建物内が危険な状態となった中で救助活動をどう行うかという話に多くの時間が割かれていた。NFPA等の基準でスプリンクラーを設置して設備管理を厳しく行えば火災が制御不能になる確率を数%以下に下げて安全に救助活動ができるにも関わらずそこには全く興味がなかったようである。
また、経済的損害防止のための防火については「施設所有者が勝手にすればいいこと」であってこの学会で議論することではないという趣旨の発言をされた方もいた。
日本の防火対策は荒唐無稽
日本の大規模物流倉庫では他国ではあり得ないような防火対策が実際に行われている。
私が関わった施設で、トラックが通る車路や駐停車場にのみ泡スプリンクラー設備を設置して倉庫部分にはスプリンクラーを設置しないというケースがあった。おそらく所轄消防署の指導でトラックの車路および駐停車場を屋内駐車場と見なしたものと思われるが、可燃性が高く建築面積の大部分を占める倉庫部分を全く防護せずに、トラックの車路や駐停車場のみを防護するのは全く意味不明である(ちなみに日本以外では駐車場に泡スプリンクラー設備は設置しない)。
また、前述の講演討論会では一般可燃物が保管されているラックに対して泡スプリンクラー設備を設置することが提案されていた(一般可燃物に対しては通常、水のスプリンクラーが使用される)。
泡スプリンクラー設備は誤作動して泡が放出された際に倉庫内が泡まみれとなってしまって使用できなくなってしまうリスクがある。これらの対策は実施した結果、実際にどうなるかデータや検証が不十分なものであり、他国の防火関係者が見たら荒唐無稽としか言いようがないのではないか。
防火のスキーム(仕組み)をつくるのは防火の専門家の責任
経済的価値が高い施設においては、火災により巨額の経済的損害が発生しないように施設側においても最善の努力をするべきである。着火源は特定されないことも多く、仮に特定できたとしても重過失による失火が認められるとはかぎらない。また零細な業者や個人のような弱者に賠償請求をせざるを得なくなる可能性もあり、そういった業者や個人には賠償能力がないことも考えられる。
前述の講演討論会で「アスクルはリスクを取ってスプリンクラーを設置しなかった(経済的損害防止の対策をしなかった)」と発言された方がいた。しかし国内の物流倉庫の大多数においてスプリンクラーは設置されておらず、アスクルに「リスクを取った」という意識はなかったのではないか。ほとんどの施設所有者は防火に関しては素人であり、十分な情報もなく、スキームもなければとくに何もしないのは当然のことである。
防火に関する情報を与えてスキームを作るのは防火やリスクの専門家の仕事であり、経済的損害防止についてはほとんど何もしてこなかった国内の専門家や損保会社の責任が大きいのではないか。
■
牧 功三
米国の損害保険会社、プラントエンジニアリング会社、