宗教2世は議論に値するのか

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旧統一教会報道で理解できないのは同教会と接点を持った者を「加害者」のように扱い批判する一方、高額献金者・宗教物品購入者(霊感商法の買い手)を「被害者」とし、その救済を説く主張である。

高額献金者・宗教物品購入者は旧統一教会への資金提供者であり、まごうことなき旧統一教会への利益提供者である。

常識的に考えて接点より資金提供の方が教会利益の増大に貢献している。

旧統一教会との接点を批判するならば、高額献金・宗教物品購入はより強い批判に値する行為である。

こう主張すると接点批判はあくまで政治家によるものであって、彼らによる接点はまた話が違うのだという批判が聞こえてきそうだが、政治家が旧統一教会と接点を持つことによって同教会へどのような利益許与がなされるというのか。

日本国憲法は宗教団体への公的支援を禁止しているから政治から宗教への利益供与は法的にも難しい。政治家は宗教団体による選挙運動支援の見返りに宗教施設を保存修理することすら容易ではない。「文化財保護」の名目でやっとであり、新興宗教の場合、新興であるがゆえに、その所管・関連施設が法的に文化財扱いされることは基本的にない。

政治家による利益許与の例としてよく言われるのは「広告塔」「お墨付き」といったバックアップだが具体的なものは何も証明されていない。せいぜい「~かもしれない」ともっともらしく推定されるだけだ。

旧統一教会に限らず信仰者が献金・宗教物品を購入する動機は神や霊を信じているからに他ならない。献金・宗教物品の購入動機に政治家の名前は決して出てこない。「広告塔」「お墨付き」という言辞は宗教への偏見・差別意識の告白に他ならない。

真剣に旧統一教会の解散・消滅を目指すならば同教会への資金提供を犯罪化し、高額献金者・宗教物品購入者といった資金提供者は救済せず罰することが「正しい旧統一教会対策」である。

ところが実際に起きていることは資金提供者は被害者扱いされ昨年には救済立法まで制定された。

資金提供者は旧統一教会による「マインドコントロールの結果」として資金提供したに過ぎないから加害者ではなく被害者という理屈だ。

ここで注意したいのはマインドコントロールは資金提供の場面でしか語られないことである。接点の場面ではマインドコントロールの可能性が論じられることはまずない。マインドコントロールの結果として政治家が旧統一教会関係団体の会合や講演会に出席した可能性をなぜ検証しないのだろうか。接点批判者のマインドコントロール論は恣意的と言わざるを得ない。

話を戻すが、仮に「正しい旧統一教会対策」として資金提供者を加害者扱いすれば、その家族は「加害者家族」と評価され社会的関心を集めるだろうが「宗教2世」なる語が出てくる余地はない。

旧統一教会の解散・消滅を目指す過程では本来、宗教2世なる語は出てこないし、この言葉は資金提供者の加害性を隠すだけであり旧統一教会対策になんら貢献しない。

例えば暴力団対策の一環として暴力団員の家族を「暴力団2世」と評価し、その救済の話ばかりしていても暴力団対策として意味がないのと同じである。

まず暴力団員の加害性に触れ、それをどこまで犯罪化できるのかを議論するのが暴力団対策である。

宗教2世にこだわると旧統一教会を実態ある存在にたらしめている資金提供者の加害性は隠され旧統一教会対策は弱まるし、職務上、教会関係者と接点を持たざるを得なかった人間が社会的非難を浴びるという大変な理不尽を容認することになってしまう。

本当に旧統一教会がなんらかの加害者であり、その解散・消滅が必要だと言うならば宗教2世は議論に不適切とみなし取り上げるべきではない。

マスコミに出てくる宗教2世も新興宗教ばかりで、あまりにもバランスを欠く。

本来出てくるはずのない語が出てくること自体、安倍元首相への銃撃テロ後に語られる旧統一教会対策が異常であることを物語っている。