欧米流の正義は結果として人命軽視が酷すぎないか

『民族と国家の5000年史~文明の盛衰と戦略的思考がわかる~扶桑社』という本を5月28日に刊行するが、これは7年前に出した、『世界と日本が分かる最強の世界史』(扶桑社新書)を元にしています。

と言っても、単なる改訂新版ではありません。新書版はコンパクトな割に内容豊富にするために、あえて、歴史知識のかなり豊富な読者を前提にしましたが、本書では少し分かりやすく説明を入れたり、100項目に分けることで計画的に読めるようにしました。

また、ウクライナ問題とかトランプ大統領の登場と退場とかLGBT問題が典型ですが、最近起きた、問題をテーマとして加え、あるいは、それに関連する情報を、他の項目にも加えました。

そのなかで、今回は、新項目として入れた、「欧米流の正義は人命軽視が酷すぎないか」という部分を少し改変して紹介します。

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ウクライナ紛争で、プーチンを排除しようと盛り上がっている人も多いのですが、強い指導者を排除しよういう試みは、だいたい、良い結果をもたらしません。北朝鮮が核武装に走って抜き差しならない状況になっている主要な原因は、リビアのカダフィ大佐の殺害にあります。2002年に小泉首相は訪朝して、「大量破壊兵器を放棄して欧米から体制の保証を得たカダフィを見ならえ」と金正日を説得したほどです。

ところが、キャメロン(英国)、サルコジ(フランス)、オバマは2011年のラブの春に乗じてカダフィ政権転覆を謀り、国際刑事裁判所で裁くと脅し、最後は直接、戦闘機を出して攻撃して追い詰め、反政府派に殺させたのです。

これで、北朝鮮の指導部に核の放棄と体制変革などを納得させるのは難しくなりました。それでも、トランプが安倍首相の助力を得て、金正恩の説得を試みていい線までいったのですが、政権が変わったら掌返しでは容易に乗れるものではありません。

人道への罪には時効が無いとか、どこの国でも逮捕できるとかいうのも、行きすぎると国際紛争を収められなくなります。もっとも、世界の指導者でもっとも危ない橋を渡っているのは、イスラエルとアメリカですから、国際刑事裁判所(ICC)の条約には加盟していませんし、それでもイスラエルやアメリカの元指導者は引退後も海外を旅行するのはリスクがあります。

アフリカや東欧の独裁政権の指導者にはそれなりに有効ですが、プーチンやネタニエフや金正恩に使うのに有効とは思いません。

やっかいな紛争を収めるためには、指導者の過去を水に流すしかないことは多いわけで、イギリスですら、北アイルランド問題解決のためのベルファスト合意でIRAのテロリストたちは赦免され、彼らは北アイルランド政府の幹部になっていますが、それを後悔しているイギリス人は少数派です。

なにしろ、彼らはチャールズ国王の大叔父で、お祖父さん代わりだった、ルイス・マウントバッテンをテロで爆殺したほどであること、また、エリザベス女王やチャールズ国王の結婚にあってもキーパーソンだったことは、『英国王室と日本人:華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館 八幡和郎・篠塚隆)でも詳しく紹介した通りです。

その一方、アラブの春で誕生した「民主政権」は、どれひとつとして機能せず、地域に混乱をもたらしただけですし、アフガニスタンでも欧米は撤兵し、タリバンが政権に復帰しました。

国際法の遵守が大事なことは言うまでもないですが、それだけで平和など保てません。なんでも弁護士を立てて法廷で争い、裁判に勝ったら100パーセントの正義があるという傾向がアングロサクソンにはあります。正当防衛であるなら、過剰防衛も広く認められます。相手を挑発しても先に手を出させたらすべて正義なのです。アメリカの裁判では誤審で死刑にしてしまったなどというのもよくありますが、手続きをきちんと踏んでいたら仕方ないと彼らは考えます。

慰安婦問題で、日本人は駐留軍だって日本でよく似たことしたのにと思うのですが、彼らは米軍が関与していないといえるように注意深く行動しており、日本軍は脇が甘かったのです。現実論としては、アングロサクソンと付き合うときは、常に弁護士に相談しながらっという気持ちが大事ですが、アメリカなどが弁護士的な論理を振りかざしすぎるのは、世界の将来にとってかなり危険だと思います。

安倍晋三元首相は、中国に対抗するために、「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく外交」を提唱し、「自由で開かれたインド・太平洋」という構想を実現し、とくにインドを仲間に引き入れました。インドはロシアと密接な関係にあることは承知の上で、誘ったわけですし、安倍首相が27度もプーチン大統領と会談したのも、中国とロシアが接近することを防ぐためでしたから、すべて水の泡ともいえます。

それから、国際法秩序に基づく支配を強化しようということには、もうひとつ、落とし穴があります。いまは、国際法の世界は欧米支配です。しかし、多くの国際機関が中国やその息がかかった国によって牛耳られるようになっています。国際司法裁判所など国際法を運用する機関においても、そうなっていくだろうと思います。その可能性を無視して、この問題を論じるのは危険です。

経済制裁も常に期待が大きすぎるし、制裁した側の打撃も大きいのです。一見、平和的にみえるので、なにかといえば、経済制裁ですが、北朝鮮のように資源も食料もない国でもあれだけ長い経済制裁してもへこたれないし、しわ寄せは指導者層より一般庶民にいっており、餓死者続出は誇張だが、健康状態を悪化させている。

ロシアのような食料とエネルギーの輸出国に経済制裁したら、した方のダメージが大きくなるのは最初からわかりきったことです。実際、資源の高騰でロシアは大儲けしているし、中国やインドのように制裁に加わらない国は安く購入できて万々歳なのに対して、日本などアジア諸国にとっては打撃が深刻です。

さらに、もうひとつ、最近、アメリカのやり方に疑問を持っているのは、アメリカの戦争が、自分たちの側の犠牲に比べて相手側の犠牲を多く出しすぎることです。太平洋戦争で米軍の戦死者は10万人ほどで民間人犠牲者は極小です。それに対して、日本は二百数十万人の戦死者に、100万人ほどの民間人死者を出しています。そのなかには、原爆や東京京大空襲の死者も含まれています。

イラクでは米軍死者が5000人でイラク人は数十万人死んでます。それに対して、ソ連はドイツに勝ったがはるかに死者は敗者より多いのです。ウクライナでもロシアの戦死者の方がウクライナの戦死者より多いし、うっかりすると民間人犠牲者を含んでも多いかもしれません。

だいたいアメリカの戦争は、道義的にはもっともなことが多いし、国際法的には問題が起きないように考えてます。だからといって、相手方の死者がいくら多くてもいい、相手方の飲めない和平案に固執して戦争を続けるのが正しいとは思いません。