日本人は大局観を育てよ

「お前が言うな」とのお叱りを覚悟の上で申し上げる。LGBT法案をめぐる日本の言論の大勢は誠に愚かなものであった。確かにLGBTへの理解は大切だ。しかし重要度が段違いの危機が進行している中で、本件に世間の視線が集中し、世論が翻弄される様はあまりにも近視眼的で絶句した。

G7広島サミット開催(5月19日)を前に、LGBT法案の性急な成立を目指す与党の姿は確かに奇異だった。しかし筆者としては「G7における何らかのテーマとリンクしているのだろう」位の感慨しか持てない。

ただ多くのメディアや論客が反対の声を上げ、それらを論理的支柱としてSNS上でも盛んに同法案とそれを推進する与党への批判が展開されている。

曰く「米国の内政干渉に屈するのか」、「公共のwater closetでの犯罪を誘発する」、「公金に集る者が跋扈する」「与党〇〇議員も情けない」等々。その荒れようを眺めると、彼らにとっては重要なテーマで、人々の暮らしに相当大きな影響を与える法律ということなのであろう。確かにそういう面はあるだろう。

だがそれは部分最適のテーマだ。現在、世界を覆う安全保障の危機、とりわけウクライナに次ぐ危険ゾーンとなりつつある東アジア地域にある日本にとっては、極言するならば「些事」である。もっと大局観を持って頂きたいと考える。

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現代は「国家存亡の秋」と認識すべき

将来起こり得る「国家の存亡をかけた争い」に備える安全保障外交と防衛体制の確立は、LGBT法案よりも重要であり、緊急性も重要性も桁違いである。

しかし「わが国が危機に直面している」危機的状況が認識できない理由には少なくとも次の2点が国民の共通認識となっていないことが挙げられる。

  1. 「ウクライナ侵略と同程度の危機」という日本政府の現状認識
  2.  国家安全保障戦略における日本の「国益」

具体的にはどういうことであろうか。

「ウクライナ侵略と同程度の危機」という日本政府の現状認識

政府・与党批判を展開するメディアや言論人は、当然ながら昨年(2022年)12月16日に閣議決定され公開された戦略3文書(安保3文書、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)の要旨くらいは念頭にあるだろう。これが日本の行動指針であり、国益の維持・追求のための最重要テーマだからである。しかし、各種のメディアで展開される主張を見る限り、本当に読んでいるのかどうか疑わしい。

「現代は国家存亡の秋」とは大げさな、と感じる方もいるだろう。しかし当該3文書の最上位文書である国家安全保障戦略の冒頭(P3)に掲げた「Ⅰ 策定の趣旨」の第一ページ目に次のような一文がある。

我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している。ロシアによるウクライナ侵略により、国際秩序を形作るルールの根幹がいとも簡単に破られた。同様の深刻な事態が、将来、インド太平洋地域、とりわけ東アジアにおいて発生する可能性は排除されない。

国家安全保障戦略より引用、太字は引用者)

つまり、日本政府は、

  1. 「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている」
  2. 「ウクライナ侵略と同様の事態が、将来東アジアにおいて発生する可能性がある」

このような環境認識を持ち、広く国民に示しているのである。

予断は許さないが、ウクライナは確かに国家の存亡をかけた侵略国ロシアとの戦いの真っ最中である。つまり将来東アジアで同様の事態が起きる可能性というのは、具体的に言い換えるならば「台湾やわが国の存亡をかけた台湾有事等の武力紛争が、中・朝・露など現状変更国との間で起きる可能性がある」いうことである。

これは、日本政府の公式見解と看做すことができるだろう。

また国会において、この状況認識を明確に示したのは松川るい議員であったので、関心のある方はご参照頂きたい。

国家安全保障戦略における「国益」と優先順位

また国家安全保障戦略では、守るべき国益やそのための課題、あるいは具体的なアプローチなどについて体系的に説明している。しかし、その周知も不徹底で、ほとんど一般国民には伝わっていないとみられる。

たとえば、「国益とは何か(一般論)」「日本の国益とは何か」と問われて、明瞭に即答できる人は1%もいないのではないか(ちなみに「国益」とは営利企業で譬えると、追求する「利益」だけではなく、「財産(資産)」や「役職員」も含めた方が近い概念だろう)。

(正確には必ず文書で確認して頂きたいが)要約・整理するとわが国の「国益」として、

  1. わが国の主権と独立の維持、領域の保全、国民の生命・身体・財産の安全確保
  2. わが国文化と伝統の継承、自由と民主主義を基調とする平和と安全の維持
  3. 経済成長を通じたわが国と国民の更なる繁栄の実現
  4. わが国と他国が共存共栄できる国際的な環境(国際経済秩序)維持
  5. 自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値の維持・擁護
  6. 国際法に基づく国際秩序、特にインド太平洋地域の自由で開かれた国際秩序の維持・発展

などが国家安全保障戦略には列挙されている。

国家安全保障戦略の国益(上記6種)を「全体最適」とするならば、LGBT法案はその6種のうちの一つであり、優先順位が1位とは考えにくい(劣後した)部分最適である。

いうまでもなく最優先は国家としての存立、領域と国民の生命財産の安全維持であろう。これが絶対的な必要条件だからである。「国が破れる」ということは国が国民を保護する能力や国民を守る国内法も無に帰することであり、その他の国益を確保しても無意味だからである。

つまり、現下の危機に備える安全保障外交と防衛体制の確立は最重要テーマであり、緊急性も重要性も桁違いである。

要するに国家安全保障戦略の実現が最重要課題であり追求されるべき全体最適である。その文脈の中で「各部分最適の優先順位」を考慮する視点とバランス感覚が重要である。

近視眼的に個別テーマに拘泥した保守が目立つ

最近、個別テーマ(部分最適)の実現に積極論を展開し、国政を俯瞰していない論客が目立つ。これはLGBT法案に限らない。

例えば「内政干渉の大使は帰れ」「竹島問題の解決なくして日韓関係の復元はあり得ない」「韓国は政権が代われば卓袱台返しするからいかなる約束も意味がない」「レーダー照射事件への謝罪なくして日韓防衛当局の連携はあり得ない」「横流し疑念が拭えない韓国との貿易体制の正常化はあり得ない」などである。

個別に考慮するならば、中には一理あるものもある(現状において支持はしない)。

国民は無責任な言論から一歩引いて、大局観を維持しよう

しかし、国連安保理常任理事国ロシアが国際秩序を正面から破り、世界は「国際秩序の時代」から「力の時代」に変わった。その環境の劇的な変化に直面し、力による現状変更の試みや圧力によって領土・領海の維持が隣国から脅かされている現在、米国を介して価値観や国益を共有できる現状維持国側が連携して敵対勢力に立ち向かうのは当然のことである。

このタイミングにおいて、つまり「国家がなくなろうか」という脅威に面している状況において、“友軍”同士が離反して、一体どうやって自分より圧倒的に有力な敵に対峙するというのであろうか。

国家の維持・国民の安全確保という、より大きな国益のために「それより下位の国益(の一分)の追求は一旦留保する」というのも合理的な選択肢の一つではないか。

一体何のために国内世論や国際連携が分断されるような危うい論を展開するのか

筆者には想像はできるが他人の内心に関して確証は持てないので、それについては記述しない。また言論の自由が確保されている日本なので、そのような言論がなされること自体は尊重したい。

しかし、どうか日本国民には、情緒的で“勇ましい”主張に惑わされることなく、日々大局観に基づく判断をして頂きたいと考える。

まずは「日米同盟の深化」、次に「日韓・日米韓連携の深化」、そして台湾やフィリピンなど「第一列島線諸国との連携」の強化に意を払い、東アジア全体から西太平洋全体、さらにはインド太平洋地域全体に視野を拡げて俯瞰的に考え、世論を醸成することが重要である。