同性愛を生きる企業人の葛藤

石油大手BPの元幹部が告白本で投じた一石「ガラスのクローゼット」

英国では2005年に同性カップルを夫婦と同等に見なす「シビル・パートナーシップ制度」が施行され、2014年には同性婚が合法化された。

世界で初めて登録パートナーシップ制度が施行されたデンマーク(1989年)や、世界で初めて異性同士の結婚とまったく同じ婚姻制度ができたオランダ(2001年)と比較すると遅れた感があるものの、性的指向の違いによって肩身の狭い思いをしてきた同性愛者たちにとって、大きな動きだった。

しかし、結婚に至る前の段階で、同性愛者に対するさまざまな偏見が消えさったわけではない。

英国で同性愛行為が違法でなくなったのは1967年(イングランド・ウェールズ地方。スコットランドは1981年、北アイルランドは1982年)で、同性愛者への差別は法律で禁止されている。しかし、実際には「カミング・アウト」という言葉の存在自体が示すように、勇気を持って打ち明けるほどの事柄として認識されている。

2014年、英国の元大手企業のトップが同性愛者に対する差別や偏見をなくするために書いた本『ガラスのクローゼット』((The Glass Closet)が、注目を浴びた。

「クローゼット」は押入れを指すが、「押入れから出る」(come out of the closet)から「隠していた状態から外に出る」、ひいては「同性愛者であることを公表する」という意味になる。

本を書いたのは、国際石油資本BPで12年間にわたりCEOを務めた、ジョン・ブラウン氏だ。

同性愛者であることが知られていなかった2007年、元ボーイフレンドとの間柄を大衆紙にスッパ抜かれそうになり、急きょ辞任を決意した。

CEO在任時にはBPのビジネスを大きく拡大化、多様化させ、一つの「黄金時代」を築いたという。ブラウン氏の経営スタイルには、ルイ14世をほうふつとさせる「太陽王」というあだ名がつくほどであった。しかし、そのキャリアは太陽から地の底へと、一瞬にして瓦解することになった。

ブラウン氏の「ガラスのクローゼット」の内容を紹介しながら、同性愛者と仕事との関係を考えてみたい。

「ガラスのクローゼット(TheGlassCloset)」の表紙(筆者撮影)

大衆紙報道に差し止め願い

ドイツ・ハンブルクで生まれ、英国で育ったブラウン氏は、10代の頃から他の男の子に性的な興味を抱いてきた。しかし、当時、男性同士の愛の行為は違法であることに加え、同性に性的な興味を持ったり、何らかの行動を起こしたことを口に出すような雰囲気ではなかったという。ケンブリッジ大学でも興味を引く男子学生はいたが、ばれてはいけないと思い、禁欲生活を続けた。

父の勧めでBPに入社し、辞任・退職までこの会社で働いた。何度かアバンチュールを楽しんだが、「公的生活と私的生活は別」という認識で、家族にも友人たちにも同性愛者であることを告げないままで過ごした。

役職が高くなるにつれて同性愛者であることが絶対にばれないようにという思いがますます強くなった。そこで利用したのが、パートナーを見つけるための専用サイトだった。

そんなサイトの1つで知り合ったカナダ人男性と親しい関係になり、3年間交際した。パーティーなどで一緒に出かけたときに友人たちからどうやって知り合ったかを聞かれると、専用サイトを使ったことを知られるのが恥ずかしく、「公園でばったり会った」とすることにした。

この男性に対する熱が醒め、送っていた支援金を停止。すると男性は継続した支援を求めて、ブラウン氏に頻繁に連絡するようになった。男性の訴えを無視してきたブラウン氏に衝撃が走ったのは2007年1月。

男性は一連の事情を大衆紙メール・オン・サンデーに売っていた。同紙の記者がこの話を記事にするとBPの広報部に伝えてきたのである。

記事が出れば、すべてを失うと思ったブラウン氏は弁護士を雇い、高等裁判所に報道差止め令を出すように求めた。裁判所には男性と「公園で出会った」と説明した。

それから2週間後、ブラウン氏はウェブサイトではなく公園で出会ったと証言したことを気にするようになり、証言を訂正した。この点が、後で偽証罪になる可能性につながった(ただし、裁判所はこれを追及しなかった)。

高等裁判所が差止め令の解除に動くと、ブラウン氏は最高裁に控訴。しかし控訴が認められないことを推察し、辞任への準備が始まってゆく。

2007年5月、控訴は認められず、ブラウン氏と男性との恋愛事情をデイリー・メール紙(メール・オン・サンデー同様に、アソシエーテッド・ニューズペーパーズ社が発行)などが大きく報道した。

辞任の日、ブラウン氏は報道陣が群がる会社の正面玄関から出て行くことを決意した。

同性愛者の権利のために立ち上がる

これ以上の恥はないと思うほどの恥を感じて辞職したブラウン氏だったが、時が経つにつれて、心の重荷がとれてゆき、解放された気分になっていった。

友人たち、家族や親戚の励ましや、辞任を知った名も知らない人からのたくさんの激励の手紙を得て、「もう嘘をつかなくてよい」状態に大きな安堵感を抱くようになった。

同性愛者であることがばれたら、社会的地位を失うと思っていたブラウン氏だったが、現在までに成功した投資家、エネルギー関係のアドバイス役、上院議員として新たなキャリアを築いてきた。新しい伴侶もでき、一緒に暮らすようになった。

ブラウン氏が「ガラスのクローゼット」の本を書こうと思ったのは、自分の経験を通して「同性愛者であることを公表すれば、従業員にとっても経営幹部にとってもプラスになる」、と主張するためだった。従業員の側は本来の自分として勤務でき、企業も従業員に敬意を持って経営し、多様化が進むことが促進されるからだ。

本はさまざまな統計の数字や企業で働く同性愛者の体験談を収めている。そうすることで、「理論ではなく、実用的な本にしたかった」。

「ガラスのクローゼット」によれば、米国では性的少数者(LGBT=レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)である従業員の44%が性的指向を隠したままであるという。英国ではこの比率は34%だ。

ブラウン氏が同性愛者であることを明確にした2014年まで、米フォーチュン誌によるトップ企業500社のCEOの中で、同性愛者であることをオープンにした人物はいなかった。

企業ができること

ブラウン氏は本の中で、企業ができることをいくつか、挙げている。

「トップが方向性を示す」、「サポート・グループを作る」、「目標を決める」、「ロールモデルを見つけ、該当人物の話を繰り返して広める」、同性愛が認められていない「保守的な国での対処法を決める」など。

英ニュース週刊誌「エコノミスト」は、「ガラスのクローゼット」が負の面を十分に指摘していない、という(2014年5月31日付)。例えば、世界には同性愛を違法とする国が70カ国以上あり、グローバルにビジネスを展開する企業の場合、同性愛者であることを公表するかしないかについては、慎重な姿勢が求められるという。

しかし、出世や昇給がはばまれる可能性や周囲の奇異の目などを考慮して同性愛者であることを公表しない従業員・経営陣がいる限り、「公表しても、生き延びた」経験談を語り継ぐことは重要ではないだろうか。その一方で、社会全体としては少数者であることから、「あえて公表したくない」という人の意志も尊重したい。

ブラウン氏の場合は、大衆紙の報道がきっかけで会社を辞任した。もし報道がなかったら、一生、同性愛者であることを公表することはなかったかもしれない。それだけ問題は深く、公表までの壁は高かったとも言えるだろう。

(ウェブサイト「論座」が7月末で閉鎖されることになり、筆者の寄稿記事を補足の上、転載しています。)


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2023年5月21日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。