大事を成すには

『TABI LABO』というメディアに、『大事な場面でいつも結果を出す「あの人のヒミツ」』と題された記事が嘗てありました。その13の「習慣」とは、①精神を一定に保つためなら「NO」を恐れない、②周囲の環境に興味なし、③少しの痛みには耐える覚悟がある、④「自分の範疇」にのみ注力する、⑤ポジティブなことに着目する、⑥精神的なエネルギーは賢く使う、⑦過去を悔やむのではなく、過去から学ぶ、⑧自分の意志を明確に、⑨自分なりに「成功」を定義している、⑩逆境=チャンス、⑪ひとりの時間を捻出する、⑫自分の人生に100%責任を持つ、⑬あらゆるリスクを考慮する、とのことです。

以下、上記につき私見を申し上げますと、中国清朝末期の偉大な軍人、政治家で太平天国の乱を鎮圧した曾国藩は、「四耐四不(したいしふ)」ということを言っています。「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競わず、随(したが)わず」以て大事を成すのです。様々な艱難辛苦(かんなんしんく)を克服して行く中で自らを鍛え上げ、また片方で事上磨錬(じじょうまれん)し、知行合一的に実践して行くことが大事です。そうして大きな事を成し遂げ得る人物が出来てくるのだろうと思います。

あるいは昔から如何なる人物を良しとするかは、中国明代の著名な思想家・呂新吾の書『呻吟語』に、「深沈厚重(しんちんこうじゅう)、是第一等資質」「磊落豪雄(らいらくごうゆう)、是第二等資質」「聡明才弁(そうめいさいべん)、是第三等資質」、と順位付けられます。「磊落豪雄…明るく物事に動じない」「聡明才弁…非常に頭が良く弁が立つ」だけでは全く不十分で、「深沈厚重」でなければなりません。深く沈着で思慮深く、相手が温かい愛情に包まれるような厚みを有し、重みがあり安定感を持つ人物をつくらねばならないのです。

次に佐藤一斎の『重職心得箇条』第八条、「重職たるもの、勤め向き繁多と云ふ口上は恥ずべき事なり。仮令(たとえ)世話敷(せわし)くとも世話敷きと云はぬが能(よ)きなり、随分の手のすき、心に有余あるに非ざれば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能(あた)はざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢いあり」。忙しいが故心を亡(な)くす方に向かっている人は、往往に肝心(腎)要の大事が抜け落ちた誤ったディシジョンを下しがちです。重職にはやはり、ある程度の心の余裕というものが必要だと思います。

それから『論語』にもあるように、「君子は小知(しょうち)すべからずして、大受(たいじゅ)すべし。小人は大受すべからずして、小知すべし」(衛霊公第十五の三十四)。此の「大受」と「小知」は、全く資質が異なるものです。小さな事が出来るからと言って大きな事が出来るとは限らず、大きな事が出来るからと言って小さな事が出来るとは限りません。「君子は器(うつわ)ならず」(為政第二の十二)、「其の人を使うに及びては、之を器にす…上手に能力を引き出して、適材適所で使う」(子路第十三の二十五)のが大事を立派にこなす君子です。

最後に先述の「四耐四不」ということでも『孟子』にある通り、「天の将(まさ)に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓えせしめ、其の身を空乏にし、行ひ其の為すところに払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし、性を忍び、その能(あた)はざる所を曾益(ぞうえき)せしむる所以(ゆえん)なり」。孟子は、「天が重大な任務をある人に与えようとする時は、必ずまずその人の心や志を苦しませ、筋骨を疲れさせ、餓え苦しませ、生活を窮乏させ、全て意図とは反対の苦境に立たせる。これは、その人を発憤(はっぷん)させ、性格を辛抱強くさせ、できなかったこともできるようにするためである」、といった言い方をしています(川口雅昭編『「孟子」一日一言』)。

天からしてみれば、与えた様々を肥やしにしながら自分を磨き続け真の人物になって行きなさい、ということでしょう。孔子は「我を知る者は其れ天か」(憲問第十四の三十七)と天に絶対の信を置き、「人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない」(森信三)わけで、来たる大事に向け自分を鍛えるべく天がそうしているだけだと捉えることが基本です。明治から昭和の国語教育者・芦田惠之助先生も「自分を育てるものは結局自分である」と言われるように、自分を築くのは自分しかないのです。我々は不断の努力を重ね自らを磨き上げて人物と成るのです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年5月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。