想像力あれこれ :感謝からリベラリズムまで

赤信号で前のトラックが止まった。青になったのに動こうとしない。私は軽くクラクションを鳴らした。やがて動き出すと、横断歩道に車椅子の人がいた。私にはトラックで車椅子の人が見えなかったが、クラクションを鳴らしてしまった。そのことをずっと後悔していた。私たちが生きている上で見えていないものがある。それを理解していくにはどうすればよいか。そんなことを物語にしたいと思っていた。

坂元裕二(先日行われた第76回カンヌ国際映画祭で是枝監督の『怪物』で脚本賞)

実に3年半ぶりの海外渡航、5年ぶりのアメリカであった。

5月18日〜21日と、3泊5日の強行軍で、かつて2年ほど住んでいたボストン(ケンブリッジ市)に行ってきた。5年に1度の同窓会(reunion)に出席するためである。

物価は上がっているわ、円安は進行しているわで、財布にはかなり厳しい旅となった。5年前は、約60名の同じコース(MPA2)のクラスメイトのうち、約1/4の15名前後が集まったが、今回は、途中まではWhatsApp(アメリカ版のLINEのようなもの)のグループで、皆再会に向けて盛り上がっていたものの、やはり物価高その他が響いたか、様々な理由によるドタキャンが相次ぎ、蓋を開けてみたら、同じコースのクラスメイトは私を含めて3人しか来られなかった。アメリカは遠くになりにけり、である。

それでも、強がりではなく、やはり行って良かった。一言で言って、自分の中で「想像力」の大切さを改めて認識できたからだ。色々なことへの感謝、それは想像することから始まる。

Ivan Zhaborovskiy/iStock

今回、国際関係をめぐるトゥキディデスの罠の理論などで有名なグラハム・アリソン教授、中国の専門家のアンソニー・サイチ教授など、懐かしの先生方の講義やパネルディスカッションでのトークを多数拝聴することが出来、改めて米中2強の対立時代を肌で感じることが出来たが(残念ながら、同時期の行われていたG7広島サミットへの言及や日本の役割についての話は殆ど皆無であった)、特に珠玉だったのは、ロナルド・ハイフェッツ教授の約1時間の講話だった。

私の解釈も入っての叙述となるが、要すれば、ハイフェッツ教授の話は以下である。

現下の国際情勢を含め、様々な対立の根源には、アイデンティティ(自分自身を規定している根拠やその認識のようなもの)を巡る深刻な相克がある。となると、その互いのアイデンティティの形成に遡って考えて、あれこれ対立を解消するようなアプローチをとる必要があるわけだが、アイデンティティの形成に際しては、様々な環境(個人で言えば、家族や親類縁者や友人たちや教師たちの言説・言動など。国家もそのアナロジーで考える必要がある)の影響が色濃く反映されているわけで、言うほど容易なことではない。

例えば、ロシアのウクライナ侵略に関して、「法の支配」や「人権」という西側諸国のアイデンティティとも言うべき考え方・基本原理からロシアを批難することはある意味、容易(たやす)いことだが、そのこと自体では、何ら物事を前進させないし、第三者(最近でいえば、いわゆるグローバルサウス諸国)の支持を得ることにもつながらない。

何故、ロシアがあのような暴挙に出たか、ということを想像すると、それは、共産主義と決別するという非常にタフな選択をしながらも、欧米諸国に少なくとも欧州の安保という文脈では一緒の枠組みに入れてもらえなかった、という冷戦末期から今に至る30年超の歴史の中で形成された彼らのアイデンティティの問題がある、ということになる。

更に言えば、その前(冷戦期以前)からのロシアの歴史(ロシアという国家の起源ともいうべき場所であるウクライナとの関係など)や、例えばプーチンという指導者の人格形成の歴史も含めて、彼らのアイデンティティとその形成過程を想像する必要がある。

プーチンの両親は、凄惨を極めたレニングラード攻防戦の生き残りで、母親は一度餓死したと判断されたという説もあるわけだが、そういう背景を見ると、やたらとウクライナ侵略に際してネオナチ批判を繰り広げ、怯えの反動とも言える攻撃を繰り返す理由なども理解はできないまでも、認識はできる。

そしてハイフェッツ教授は、そうしたアイデンティティ形成の背景を想像してみることだけでなく、そこから一歩踏み込んでの“リ・ネゴシエイト”、すなわち、再度、自己や他人のアイデンティティを再交渉すること、つまりは認識の転換を伴う思考の重要性を説くわけだが、昨今の国際社会、或いは国内における分裂・分極の時代にあって、想像力の重要性を再認識させる気迫の講義であった。

そのような他者のアイデンティティ形成を巡る様々な事象についての想像力を持つことは容易ではない。実際、対象への愛・寄り添う気持ちを持った政治的指導者、特に自己をサポートする側ではなく、対立する側への想像力まで働かせてアクションを起こせる人々が、今の世の中にどれだけいるだろうか。

目で見えること、数字で図れることしか見ようとしない合理全盛の世界にあって、そのような困難な作業が必要とされる政治という分野から目を逸らして(誰かがやってくれるだろうと主体性を放棄して)、私を含む多くの個人は目の前のビジネスに、マーケットというゲーム版の上で、特に負ける側への想像力を働かせることもなく、今日も粛々と汗をかく。

今回の渡米に際し、懐かしの旧宅を訪れたり、学び舎の教室の椅子に身を沈めたりしながら、そもそも何故、どちらかというと英語を苦手科目としていた私がハーバードに留学できたのか、などと想像していると、母や中高時代の教師や大学での友人から職場での先輩方など、自分のアイデンティティ形成を巡る様々なアクターの方々への感謝しか出てこない。

思えば、昨年の母の死から、一人で、その死に向き合う時間は殆どなかった。飛行機の機内で、或いは、ホテルの一室で、様々なことを想像しながら思いっきり泣けたのも良い時間であった。

5年前は、大変お世話になっていた故エズラ・ボーゲル名誉教授がまだご健在で、私のためにわざわざファカルティ・クラブで、ランチ会を開いてくださり、ライシャワーセンターやウェザーヘッドセンターの日米紐帯の鍵となる先生方をご紹介くださったりしたことを考えると、涙が頬を伝ってくる。

その時のご縁も元となって、今回、新たな日米紐帯の鍵となる人たち何人もと意見交換が出来た。ボーゲル先生はおそらく、自らの死後の世界、特に日本の退潮や日米関係の未来も想像して、私を様々に結び付けてくれたのだと思う。先生と共に、今も続くボストンでのボーゲル塾(ハーバード松下村塾)を立ち上げ、日米の文化・社会の違いなどを議論したことを懐かしく思い出す。

留学当時の20年前は、まだサミュエル・ハンティントン教授が健在で、ハーバード・ヤードの方で教授のゼミが開かれていた。その数年前に『文明の衝突』が上梓されたばかりであったが、同著の出版から四半世紀がたった世の中を眺めると、まさにイデオロギーではなく、民族性に紐づいた価値観の対立が顕著である。ハンティントン氏の想像力の通りと言っていいかも知れない。

そのハンティントン氏の著書から遡ること数年、1992年に出版されたのが、フランシス・フクヤマ教授の『歴史の終わり』であった。西欧の民主主義・自由主義は、様々な抑圧との戦いを制し(vs専制君主制、vs日独などの全体主義、vs社会主義・共産主義)、弁証法的に見て最終的な勝利を収め、これからは民主主義や自由主義という価値観が世界を覆うと見たやはり想像力が駆使された衝撃の書であった。それから30年、フクヤマ氏は2022年に『リベラリズムへの不満』という著作を出している。

リベラリズムと民主主義は厳密には異なる原則と制度に基づいているという理解の下、民主主義下で、トランプ氏をはじめ、様々な権威主義的リーダーが生み出され、同時に左派のアイデンティティ政治からも攻撃され、リベラリズムは危機に瀕していると説く。

さまざまなアクターの権利を守り、フクヤマ氏の喝破するところでは「法の支配」を原点とするリベラリズムは、私に言わせれば、想像力の産物である。たとえ、少数であっても、時に個人であっても、その人たちの自由を保障するという考え方の基礎には、他者のおかれた環境への人間の想像力がある。

次代を作る力の基礎に想像力がある。今週土曜日からの主宰する青山社中リーダー塾の開講を前に、改めてそんなことを感じたアメリカへの旅であった。