「社会資本主義」への途 ①:新しい資本主義のすがた

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シュトレークへのインタビュー

創刊100周年を迎えた『週刊エコノミスト』(通観4792号、2023年5月9日)に、『資本主義はどう終わるのか』(2016=2017)などでこの数年来世界的に話題となったシュトレークのインタビュー記事が掲載されている。

コロナ禍とロシアによるウクライナ侵略戦争を踏まえて、インタビューへのシュトレークからの回答は、「グローバル時代では複数の世界が敵対的に存在する」(『週刊エコノミスト』:26-27)ことが強調された。私は、この事態をグローバリゼーションではなく、ローバル時代(lobal stage)やローバリゼーション(lobalization)という新しい概念で表現したことがある(金子、2022)。

ここでいう「ローバル時代」とは、周知の

glocal = global + local  【Think Globally, Act Locally.】

にヒントを得て、私が

lobal = local + global 【Think Locally, Act Globally.】

として再構成した概念である。現実の英語にはない単語‘lobalization’もこの延長線上に存在する。

「終焉」後の名称が決まらない

そのような状態が続く現代世界の行く末は、シュトレークにとっては「インターレグヌム」(空位時代、あるいは中間期)のイメージしかないようで、「『古い体制』がもうない状態だが、『新しい体制』はまだ確立されていない」(『週刊エコノミスト』:27)とまとめている。

前著でも、「現状では実行可能未来予想図もなければ、現在の資本主義社会と置き換わるような新しい産業社会やポスト産業社会の見取り図も存在しない」(シュトレーク、前掲書:53)とされていた。

7年後の今回のインタビューでもこの認識は変わらず、「終焉」後の名称がいまだに決定されていないようである。

「脱」や「後」の表現では目標地点が分からない

ただアーリのいうように、いくら移動型社会(アーリ、2016=2019)になっても、個人も社会システムもその目標地点が不明であれば、どこを目指していいのか分からない。

『エセー』にいわれるように、「行く先の港のない船にはどんな風も役に立たない」(モンテーニュ、1588=1966:239)は時代を越えて真理である。なぜなら、経済社会システムを動かす「資本主義エンジン」(シュムペーター、1950=1995:176)や「経済エンジン」(ハーヴェイ、2014=2017:15)がいくら快調でも、「新しい資本主義」の進む方向が鮮明でないと、アイドリングのままで無駄に社会資源を消費してしまうからである。

「次」や「脱」ではイメージが収斂しない

かつての「ポストモダン」論や現在の「資本主義の終焉」論の領域でも、「その後」「その先」という以上に表記が進まず、この傾向は残念ながら今日まで続いている。

たとえば「次」や「脱」の名称が明記された経済社会学的研究には、ベル「脱工業社会」(1973=1975)、ハーヴェイ「ポストモダニティ」(1990=1999)、サター「減成長」(2012=2012)、ラトゥーシュ「脱成長」(2019=2020)、斎藤幸平「脱成長コミュニズム」(2020)、カリスほか「脱成長」(2020=2021)などたくさんある。

しかしいずれも「次」や「脱」のあとに控える目標地点として、経済社会システムの名称の具体的な表現がなされてこなかった注1)

同じく社会学の領域からも、「世界史的な視野から見れば、現代資本主義の将来はきわめて不透明である」(プラマー、2016=2021:130)という指摘がなされ、経済学でも社会学でも「新しい資本主義」の将来像が鮮明にはなっていない。

新しい資本主義の名称は何か

シュトレークと同じ時期のコルナイ(2014=2023)に至っては、「今日多くの人々は資本主義システムを信ずる姿勢を明らかにし、宣言することに抵抗感を持っている。おそらくは迂回路を見つけようとするだろうし、他の用語を用いようとするだろう」(傍点金子、同上:29)とはのべるものの、結局は「他の用語」をあきらめて「究極的に資本主義は受け入れなければならない」(同上:31)とする研究者も出てきた注2)

これはミラノヴィッチにも引き継がれて、「資本主義はただ一つの社会経済システムである」(ミラノヴィッチ、2019=2021:2)とされた。

「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」

ただし、シュトレークと違ってミラノヴィッチは、Capitalism,Aloneとしながらも、次の資本主義の名称を現在のアメリカに象徴される「リベラル能力資本主義」と中国に典型的な「政治的資本主義」に分けて命名し、しかもそれらの功罪を詳しい事例やデータを交えて比較分析した。そのうえで、「金儲けが最優先の目的」である資本主義が遂げた大いなる成功理由として、

  1. 個人とシステムの目的が合致する
  2. 政治経済システムは、社会を支配する価値観や行動と調和した関係にある
  3. 資本主義システムは、その土台となる広範な価値観が個人行動で体現されることで安定した

ことをあげている(同上:5)。

経済社会システムとしての研究

これらは期せずして、経済学単独ではなく経済社会システムの観点からの研究になっている。

従来の経済学主導の経済システムに特化した生産力、生産関係、産業論、金融論、グローバル経済論、多国籍企業論を超えて、社会システムを支える国民の価値観や社会統合状態との整合性にも留意して、はっきりした自覚がないままに、いわばマルクスとウェーバーやパーソンズらの方法論が駆使されていることが新しい。

なぜなら、「生産ではなく所得の分配、所得と資本の不平等性、そして階級の形成」(同上:16)に力点が置かれていて、これらは経済と社会の双方からアプローチできるからである注3)

ミラノヴィッチはさらに、「リベラル能力資本主義」の延長上に「民衆資本主義」と「平等主義的資本主義」(同上:256~257)まで想定した。それは「資本とスキルの両方を国民全員にほぼ平等に授ける平等主義的な資本主義を私たちは目標とすべきである」(同上:53)といったんは定義されてはいるものの、結局は「リバタリアニズム、資本主義、社会主義が互いに近づく」(同上:257)という抽象度の高いまとめで終わった注4)

議論が拡散するだけ

そのため、「資本主義の終焉」論の領域に参入する者は、依然として独自の理念を膨らまして自分なりに命名した目標地点を探求するしかなく、結果的に議論は拡散してしまう。

そのため学問としての焦点が絞り込めず、従来からの「成熟」と「成長」に関する関連の分析も進まなかった。

capital概念の広がり

英語辞典のcapitalには、名詞の場合では①首都、②大文字、③資本(金)、それに④財産などを意味するとある。③④は、とりわけ経済学でより多くの利潤を追求するための基金であり、新しい事業展開の資金という使われ方であった。

そのため英語辞典でも、capital account(資本勘定)、capital expenditure(資本支出)、capital flow(資本移動)、capital formation(資本形成)、capital gain(資本利得)、capital goods(資本財)、capital investment(資本投資)、capital loss(資本損失)などが並んでいる。いずれも、capital(資本)であり、interest(利益、利息)を内包する概念でもある。

社会学分野にもcapital概念が滲透

代表的な「社会関係資本」(social capital)、市場経済を「市場と非市場の複合体」注5)とした地点にある「社会的共通資本」(social common capital)、さらに人間文化資本(human cultural capital)などが指摘できる。

社会学のテキストでも、周知の4類型化された資本概念が紹介されている (Ritzer,ed.,2012:358) 。

① 経済資本

これは個人が所有する収入、資産、金銭面の相続、金融資産を含む。

② 文化資本

これは3つの形態で存在する。一つは、身体状態においてすなわち精神と肉体の長期的な傾向、二つには客観的な家財の状態で、三つには教育的効果のようなところに結果として生じる制度化された状態において存在する。

③ 社会関係資本

これは、結合関係、ネットワーク、集団の成員であることを基盤とした資源であり、好意や関係の増進を求めるのに使われる。

④ 象徴資本

これは、異なった種類の資本がいったんは正統なものとして認知された型である。正統性は権力への変換のさいには欠かせない仕組みである。文化資本は象徴的権力を持つ前に正統化されなければならない。資本は資本として使われる前に正統性が認められる必要があり、その後にその価値が現実化する。

4つの資本に統一

私の狙いは「資本主義の終焉」後の経済社会システムの見取り図を社会学の側から素描することにあったので、経済学の民間経済資本はもちろんだが、社会学で彫琢されたきた社会関係資本、文化資本への目配りを心がけた。そのうえで、現代の都市型社会には不可避の「社会的共通資本」を組み込み、「社会資本主義」の定義を行った。

いずれも「資本」なので、そこから「利息」が得られることが前提にある。「社会関係資本」ならば、金銭的・精神的支援、協力、アドバイス、情報提供など、個人がもつ社会関係はいくつもの「利息」を提供することは経験済みである。

「社会的共通資本」からは、生産にも生活にも不可欠の「都市装置」が無料ないしは僅かな負担で便益が得られる。

特に日本では、「新しい資本主義」といいつつも、そこでの内圧としての少子化する高齢社会である「人口変容社会」への対処方針が決まらず、外圧としての「脱炭素」社会づくりの功罪の点検も進んでいない。

内圧と外圧

内圧としての「高齢化」については唯一「介護保険」制度が機能しているだけであり、もう一つの「少子化」については本年になってようやく「通常次元」の反省に立ち、「異次元性」をめぐる議論が開始された。しかし、財源問題ばかりが焦点になり、社会変動としての「人口変容」をテーマにすることはなく、どのような経済社会システムを構築するかの視点が欠落したままである注6)

「脱炭素」社会づくりでも、イノベーションへの期待を込めたGXが「新しい資本主義」での政策となったが、「再エネ」論に象徴されるように「功」の側面を強調しすぎて、「罪」については後回しにされている注7)

「社会資本主義」の提唱

この3年余り、そのような問題点を意識しながら「産業社会」論ではなく「資本主義社会」論の立場から、新しい資本主義、少子化、高齢化、脱炭素論などをテーマとして設定し、1年半前からその内容の一部をアゴラなどに連載して、各方面からのコメントをいただけた。

それらも活かして連載原稿に加筆して、並行して書き下ろした同じくらいの枚数を加えて、6月上旬には『社会資本主義』(ミネルヴァ書房)として刊行される。

「社会資本・主義」ではなく「社会・資本主義」

文字通りどこにでもあるような名称だが、「社会・資本主義」か「社会資本・主義」の区別が必要であり、現在のところでは前者として理解している。なぜなら、「社会資本」そのものの研究は数十年の歴史があり、各人各様の学説も多く出されているからである。

全体は三部構成として、第Ⅰ部が新しい資本主義としての「社会資本主義の到来」、第Ⅱ部が「少子化する高齢社会」としての「人口変容社会」の分析と対応、第Ⅲ部が環境問題としての「脱炭素」社会づくりの理念と現実面に分けて論じた。

「社会資本主義」の到来

第Ⅰ部「社会資本主義の到来」では、理論としては若い頃から読み継いできたウェーバー、パーソンズ、高田保馬の代表作からのエッセンスを融合させるように努め、これらに70歳の手習いとして開始したマルクス『資本論』に代表されるマルクスとエンゲルスの著作からの核心を取り込もうとした。

野心的ではあるが、表層だけで終わるという危険性が大きいことは承知している。しかし、コルナイがいう「他の用語」としての「社会資本主義」を主張するためには、四者の代表作に依拠することが近道になるという判断を行った。

このうちマルクスとウェーバーでは内外ともに膨大な研究書があり、パーソンズ研究も社会学界には数多い注8)。僅かの期間の学習などは論外であろう。実際にも、原典以外の研究書や評伝を取り込むことができず、その点で大きな限界がある。

高田の理論も使った

しかし、ウェーバーよりは19歳若く、パーソンズより19歳年上の高田保馬の研究成果を加えたことにより、マルクスを含めた三人の碩学への高田の判断を参考にすることができた。

高田は1960年代までは現役の社会学・経済学の研究者であったにも関わらず、逝去後は少なくとも社会学界ではほとんど関心を持たれてこなかった。

しかし、私は2003年に生誕120周年を記念して、『高田保馬リカバリー』(ミネルヴァ書房)を編纂した経験で、碩学四人目に高田を入れることにした注9)。なぜなら彼の人口史観は今日的な異次元の少子化対策にも有効だと考えるからである注10)

「社会資本主義」の全体像

さて、内圧としての「人口変容」、外圧としての「脱炭素」に直面した「社会資本主義」の全体像は、生活インフラを第一義として治山治水事業を最優先して、耐久年度がせまっている「社会的共通資本」の充足に連動させる。

第二にコミュニティレベルでの生活インフラ利用を柱として、国民が持つ「社会関係資本」を豊かにする。とりわけ子ども真ん中の理念により、義務教育を最優先にして、第三として一人一人の「文化資本」を育てる。

なかんずく、中学時代の必修科目でもある音楽、美術、保健体育、技術家庭の見直しと高校入試科目へも必修とすることで、義務教育の高齢化シフトを用意する。なぜなら、高齢者の生きがいのうち、その4科目に8割以上が該当するからである(金子、2014)。加えて未来展望と生活安定を目指して、経済社会システムの「適応能力上昇」(パーソンズ、1971=1977)を維持して、世代間協力と社会移動が可能な「開放型社会」を追求する。

資本主義の本領は自由市場

したがって、「脱成長」論を越えた「社会資本主義」では、金融、企業、労働、租税など現存の資本主義システムを動かす原動力として「民間経済資本」を基本的に維持すると位置づける。

資本主義の本領は自由市場にあるから、これまで培われてきた「所有」「権利」「契約」「法」などの装置はもちろん活かして、新しい資本主義として市民の「生活の質」を支える「社会的共通資本」の整備・充足と治山治水を優先し、市民が持つ「社会関係資本」を豊かにする政策にも力点をおく。

合わせて「こども真ん中」の政策により、義務教育・高等教育を通じて一人一人の知識、常識、経験、能力などの「人間文化資本」を育てる。これを深めるには階層論と社会移動論の成果が利用できる。

確かに、「われわれに必要なのは、世界を理解する新しい精神的諸観念である」(ハーヴェイ、2011=2012:294)であり、「資本主義の終焉」の後のすがたもまたその一部に該当する注11)。「社会資本主義」での「新しい精神的諸観念」とは、周知の「社会的共通資本」「社会関係資本」「人間文化資本」の総合化にある。

社会移動が可能な開放型社会

「社会資本主義」はこれら4つの「資本」概念を融合した理念をもち、全世代の生活安定と未来展望を可能とし、イノベーションに対応する経済社会システムの「適応能力上昇」を維持して、世代間協力と社会移動が可能な開放型社会を創造する。これが、マルクス、ウェーバー、パーソンズ、高田保馬の核心を融合した経済社会学による「新しい資本主義」論の誕生としての『社会資本主義』の骨子である。

それはアギヨンの表現である「資本主義を超えるシステムを探し求めるよりも、資本主義を改革しより持続的で包摂的な経済をめざす」(アギヨンほか、2020=2022:28)にも通底する。現状の持続的で包括的な改革を含めた経済社会システムを「社会資本主義」と命名したのである。

「資本」概念の延伸

資本主義論では定番の「民間経済資本」に加えて、「資本」概念の延伸化を試みたのは、数十年来の社会学では従来の「社会関係」に代わって「社会関係資本」(social capital)が主流派に躍り出たからである。

社会学だけではなく地理学、公衆衛生学、社会疫学などの研究でも、健康づくり、地域活性化、地方創生、生きがい測定などでは、「社会関係資本」の存在が大きな効果をもつことが論証されてきた。

さらに新古典派経済学などでは傍流扱いだった「社会的共通資本」(social common capital)が宇沢の功績などにより、「市場領域と非市場領域を結ぶ結節点」注12)とまで高く評価されるようになった。

私もまた都市社会学やまちづくりの領域ではこの概念に馴染んできた。ただし、意味合いは異なるが、宇沢と同時代の宮本が使った「社会的一般労働手段」と「社会的共同消費手段」の両面を意味する概念としての「社会資本」もまた、思考の広がりに有効である(宮本、1967)。宇沢の概念は宮本のいう「社会的共同消費手段」にほぼ等しい注13)

そして、人間文化資本ではブルデューが彫琢したハビトュス(アビトュス)概念も忘れられない。元来これは(ある病気にかかりやすい)体質や体型を意味していたが、社会化の過程における日常経験のなかで個人に蓄積され、自覚はされないものの思考、知識、伝統などを体現する。そのため、家族が置かれた階層に応じて差違が大きくなる。

これらを総合した今後の課題として、「社会資本主義」に取り込むことにした(図1)。

図1 4大「資本」が社会システムの適応能力上昇を支える
筆者作図

イノベーション最優先

アギヨンらはシュムペーターのイノベーション理論に依拠して、「創造的破壊」を資本主義の「原動力」とみなし、「知識の普及」こそがイノベーションを生み出し、「成長」に貢献するとした(同上:6)。

成長は「生産性の向上」だから、図1のような4種類の「資本」が社会システムの「適応能力の上昇」(adaptive upgrading)を支えると仮定する注14)

市場・政府・市民社会

また、図1は「市場・政府・市民社会」(同上:27)を軸にして変換すると、図2が得られる。パーソンズのAGIL図式を使えば、市場は(A、adaptation 経済)、政府は(G、goal-attainment 政治)、市民社会は(I、integration 統合)と(L、latent pattern and tension management 価値)となる。

図2 政府・市場・市民社会のトライアングル
出典:アギヨンほか、前掲書:408.

言い換えれば、市場は生産と消費、政府は資源管理と分配、市民社会は「生活の質」を支える労働と暮らし方に該当する。生産は投資とイノベーションを基本とした「民間経済資本」が労働者の適切な雇用により、日々遂行される。その労働者は育った家庭環境と所属階層が規定した文化資本を内面化して、多様な生産に携わる。

市民社会は暮らしのなかで様々な個人関係や集団関係が張り巡らされていて、個人の側から見ると「社会関係資本」の累積でもある。さらに生産でも暮らしでもそれを支える数多くの生活インフラ都市装置として「社会的共通資本」が主に政府・自治体によって整備・管理・運営される。

このイメージは何も「社会資本主義」だけに特有ではないが、これらの4大「資本」を前提としたイノベーションに富む開放型社会こそが「社会資本主義」である。

いまだ素描の段階ではあるが、冒頭のシュトレークの診断である「不透明な時代」を描くために「社会資本主義」をあえて提唱した次第である。

(次回につづく)

注1)ここでは煩瑣になるので、それぞれの文献紹介やその解説は行わない。詳しくは金子(2023)を参照してほしい。これら以外にも、岸田内閣「新しい資本主義」、ハーヴェイやシュトレークらの「資本主義の終焉」、ミラノヴィッチ「リベラル能力資本主義」、廣田「生存主義」、ティロール「良い社会」、ズボフ「監視資本主義」などを参考にしながら「社会資本主義」を造語して、これをそのまま拙著の題名にした。

注2)私も「他の用語を用いたい」一人であり、試行錯誤のうえで「社会資本主義」に到達した。

注3)ここからもヒントを得て、これまでの経験を活かしながら、経済社会学としての立場で『社会資本主義』をまとめた。

注4)文脈は異なるが、「新しい資本主義」と「新しい社会主義」の「共生」を模索する立場もある(松島、2023:184)。

注5)「もうひとつの資本主義へ-宇沢弘文という問い」座談会での間宮陽介の発言。『世界』No.970:159.

注6)「異次元の少子化対策」については、『社会資本主義』第Ⅱ部で「通常次元」と「異次元」を対比させながら、具体的な方向性をまとめている。

注7)「脱炭素」や「二酸化炭素地球温暖化」は第Ⅲ部で詳述して、「再エネ」と原発・火発との功罪についてのバランス感覚の重要性を強調した。

注8)マルキスト、ウェーバーリアン、パーソニアンなどの名称が示す通り、マルクス、ウェーバー、パーソンズは超大物なので、学説史を見ても分かるように、本来は研究者が一生をかけて研究するしかない。

注9)同時に若い世代に向けて、社会学者高田の代表作品『社会学概論』、『勢力論』、『階級及第三史観』をミネルヴァ書房に復刻していただいた。

注10)この主張は金子(2000)以降繰り返してきた。なお、その主要概念である「子育て共同参画社会」や「子育てフリーライダー」は金子(1998)から使ってきた。

注11)同じ問題意識で「資本主義のパラダイム転換」を「共存主義」と命名した法学者廣田は、ベーシックインカム、通貨の信認、ストックと株式会社、紛争解決システムなどを取り上げていて、参考になるところが多い(廣田、2021;2022)。

注12)「もうひとつの資本主義へ-宇沢弘文という問い」座談会での間宮陽介の発言。『世界』No.970:160.

注13)期せずして1960年代にマルクス経済学の宮本が「社会的共同消費手段」、70年代に近代経済学の宇沢が「社会的共通資本」を別々に提唱したが、ともにその後各方面に大きな影響力を保ち続けたようには思われない。

注14)パーソンズによれば、適応能力の上昇は「より広い範囲にわたって諸資源(資源や労働力)が、各社会構成組織の利用に供せられることになり、各組織の活動が、それ以前の組織がもっていたさまざまな制約のいくつかから解放されるに至るような過程」(パーソンズ、1971=1977:41)とされる。

【参照文献】

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