顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久
G7広島サミットは無事に終わった。その終了から約2週間、この一大国際会議がなにをなしとげ、なにをなしとげなかったのか、冷静に検証すべき時機だろう。
先進7ヵ国の首脳によるG7は今年はウクライナ紛争での主役のゼレンスキー大統領やインド、韓国などの首脳の臨時参加で例年よりもまた一段と活気を高めたようにみえた。議題も最大懸案のロシアによるウクライナ侵略や中国による無法な膨張への対処、さらには日本が発信する核兵器廃絶の求めだけでなく、気候変動や食料安保など、きわめて広い範囲へと及んだ。
そのG7会議全体としては多くの成果があったといえるだろう。世界の民主主義の主要諸国がきわめて前向きな姿勢で団結を示し、共通の懸念や脅威への積極的な取り組みを語りあったのだ。その「合意」や「指針」は建設的だった。総花的とはいえ、よりよき世界、よりよき国際秩序への健全な前進の構えだったといえる。
しかしその一方、個別の具体的課題の前進という観点からみると、まったく異なる構図が浮かんでくる。主催国の日本が求めた理想の目標と、その目標を実現すべき世界の現実との間の巨大な断層が改めて印象づけられたようなのである。そしてその世界の現実の忌まわしい部分を実際に是正する行動はとられていないのだ。つまりは言葉だけの「成果」だったともいえるのである。
その種の具体的な課題とは、この会議開催地の広島の原爆被災という「全世界で唯一の痛ましい人間の悲劇」の国際的なアピール、そしてそのアピールから生まれた核兵器廃絶の希求、さらに戦争と平和のあり方などである。その諸課題では今回G7はどんな実効ある成果を生んだのか。その成果は見当たらず、日本の理想の訴えと世界の現実との厳しい断絶が改めて示されたといえる。
現に、G7から糾弾され、自制を求められたロシアはウクライナ侵略でのその姿勢を少しでも改めたのか。中国も無法な膨張活動を変える兆しをみせたのか。北朝鮮は軍事挑発をG7の声明で抑制する気配を示したのか。これらの問いに対する答えはみなノーである。G7の実効は残念ながらうかがわれない。
日本に直接のインパクトの大きい尖閣諸島の事例一つをみても、中国側は日本の領海や接続水域への違法の軍事侵入をむしろ増加させてきた。G7での「国際的な現状変更を軍事力で果たしてはならない」という言明など、中国当局はどこ吹く風、というふうなのだ。
そして日本にとってなによりも強く認識すべきは年来の「核廃絶」の主張を今回のG7でとくに高く叫んでみても、その求めに応じる核保有国はまったくなく、逆に日本にとっては現存の核兵器の必要性を改めて強く認識する結果に終わった点である。日本の国家安全を脅かす中国や北朝鮮の核兵器の脅威に対して、丸裸の日本は同盟国のアメリカの核兵器の威力にその抑止を頼るしかないという現実のいやというほどの再確認だったのだ。
核兵器は実際に使用しないことでも強大な効果を発揮する。敵性を抱く相手国に領土、政治、経済などでの要求を突きつけ、相手が応じなければ、最悪の場合、核兵器を使うぞ、と脅す。
いわゆる核の恫喝である。なんの対抗手段も独自では持たない日本はこの脅しに屈せざるを得ない。だがそうならなくてもよいのは、同盟国のアメリカが日本の防衛に対してもアメリカの核兵器を最悪の場合には報復に使うぞ、と誓った拡大核抑止の保護を日本に対して差し伸べているからである。
日本の防衛は最悪の事態、そして究極の局面ではアメリカの核兵器の威力に依存しているのだ。だからいまの日本にとってはアメリカの核兵器は必要なのである。その一方で同時にすべての核兵器をこの地上からなくしてしまえ、と叫ぶのは、どうみても矛盾だろう。婉曲にいえば、理想と現実の乖離でもあろう。この理想が幻想でなければ、幸いである。
今回のG7で事実上の最大主役となったウクライナのゼレンスキー大統領は、広島とウクライナの比較は不適切かもしれないと断りながらも、「広島の破壊の光景は(ウクライナの)バフムートにそっくりだ」と一度ならず、強調した。原爆被害の展示館での写真を熟視したうえでの言葉だった。
ゼレンスキー氏のこのコメントを冷徹に解釈すれば、戦争の悲劇や悲惨は広島だけではない、という認識である。しかも核兵器による殺戮や破壊も通常兵器による殺戮や破壊と同じ悲惨な結果をもたらすのだ、という意味でもあろう。この認識をプッシュしていくと、広島だけが特別ではないのだ、という主張にまでたどり着いてしまいかねない。
広島や長崎での核兵器投下による日本側の人間的悲劇はあくまで特別視されねばならない。
人類史上、初めての核兵器の実戦での無差別使用だったのだ。現実の被害の規模も例外的に巨大だった。だからその被害にあった日本側、とくに広島や長崎の市民たちは、人類史上、特別な被害者として全世界に向けて、反核や反戦の叫びを発信する特殊な権利がある。いや義務かもしれない。こうした思考は日本国民の多くが自然に抱いてきたといえよう。
しかしゼレンスキー大統領の「広島の破壊の光景はバフムートにそっくりだ」という言葉は、上記の日本側の認識を否定することに等しかった。広島、長崎だけではない、という外部世界の感覚である。日本もウクライナも戦争の被害は同じなのだ、という認識である。国際的現実の示唆ともいえよう。
一方、アメリカのバイデン大統領は広島の被害には寡黙のままだった。米軍による原爆投下にも触れず、もちろん謝罪の言葉はなかった。この点での日米間の断層もなお巨大である。
アメリカ側ではあの原爆投下は日本の降伏を早め、戦争を早期に終わらせ、その結果、多数の人命が救われたという原爆投下肯定がなお主流なのだ。だから2016年5月のオバマ大統領の広島訪問でもアメリカ側では「絶対に謝罪はするな」という声が広範だった。そしてその点で肯定される原爆の「効果」こそが現代の核兵器による抑止の現実へとつながっているのだ。
私はワシントンでの長年の報道活動でこの実態をいやというほど観察してきた。私自身が最初に公開の場でその日本への原爆投下肯定論を正面から突きつけられたのは1994年12月だった。CNNテレビの「クロスファイア(十字砲火)」という討論番組だった。テーマはずばり「広島、長崎への原爆投下は必要だったのか」だった。
この討論番組では初代ブッシュ大統領の首席補佐官だった保守派のジョン・スヌヌ氏とリベラル派の政治評論家のマイケル・キンズレー氏が進行役だった。そして広島と長崎の両方への原爆投下作戦に加わった唯一のアメリカ軍人として知られたチャールズ・スウィーニー退役将軍が登場した。私はおこがましくも日本側の主張役として招かれていた。
2人の進行役の論客は冒頭から私をにらむように「原爆投下は日本の戦意をくじき、戦争を早く終わらせるために必要だった」(スヌヌ氏)とか、「真珠湾をだまし討ちした日本軍は原爆を持っていたら必ず使っただろう」(キンズレー氏)と迫ってきた。
そしてスウィーニー氏も「日本本土上陸作戦で予測された戦死者数を考えれば、原爆投下は適切だった」と述べたのだった。同氏は、当時の日本軍の徹底抗戦ぶりや国家首脳部の「一億総玉砕」の宣言をあげて、原爆がいかに多くの人命を救ったかという主張を語った。その語調はきわめて冷静だった。
その後に発言を求められた私は日本人としての当然の反論を必死で語った。
日本の降伏は当時すでに確実視されていた。とくに2発目の長崎への投下は不必要だった。日本側に原爆の威力を示すのならば無人島や過疎地にでも投下できた。
そんな主旨を民間人の無差別殺傷という非人道的な特徴と合わせて説いたが、米側3人の怒涛のような議論に対しどれほどの説得力があったかはわからなかった。
いまここで30年前の古い討論を持ちだすのは、アメリカ側の認識が現在も基本は変わっていないからである。日本の理想も外部世界のこうした現実を無視はできないだろう。現に日本が岸田文雄首相を先頭に訴える核兵器全廃の理想的な主張は現実になんの実効も生んでいないからだ。
北朝鮮の核兵器開発への一貫した動きはまさに核全廃の主張への侮辱的な逆行である。中国の核弾頭の大増加も日本の訴えの完全な無視である。しかし日本の反核運動はこうした日本に対して敵性を持つ国家の核兵器への抗議をあえてぶつけず、逆に日本が依存しているアメリカの核兵器への反対だけを叫ぶ、という政治色をぎらつかさせる過去の実績があったことも、この際、強調しておこう。
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古森 義久(Komori Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年6月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。