ジャニーズ事務所と民放のカルテルがコンテンツ産業を腐らせた

池田 信夫

日本テレビnewszeroより

櫻井翔氏のコメントがいろいろ話題を呼んでいる。彼が被害者だとしても、日テレがジャニー喜多川の性犯罪を見逃して(彼を初めとする)ジャニーズ事務所のタレントを使ってきた加害者としての責任はまぬがれない。もっと大きな問題は、このような芸能人カルテルが、日本のコンテンツ業界を腐らせたことだ。

1950年代の日本映画は、世界でも最高水準だった。黒沢明はスティーブン・スピルバーグなどのハリウッド映画に影響を与え、溝口健二はジャン=リュック・ゴダールなどのヌーベル・バーグの手本となった。

だが60年代以降の映画産業は、質量ともに衰退の一途をたどった。年間入場者数は1958 年の約11億人をピークに減少し、最近やや盛り返したが、全盛期の2割にも満たない。

その原因は一般にはテレビの登場による不可避な運命だったと考えられているが、ハリウッドはその後も発展した。関連産業もあわせた娯楽産業の国内総生産は電機産業や自動車産業と肩を並べ、アメリカの最大の輸出産業である。何がこのような大きな違いをもたらしたのだろうか。

「5社協定」という芸能人カルテル

1950年代にテレビが登場したとき、映画会社は映画の提供を拒否するばかりでなく、所属俳優にテレビの仕事を禁じる5社協定というカルテルを結んだ。その結果、映画産業はテレビという最大の媒体を失い、系列の映画館に画一的なスケジュールで上映させる「ブロック・ブッキング」を続けたため、競争や新規参入がなくなった。

他方アメリカの映画産業は、60年代にはテレビ番組の制作に活路を見出し、逆にテレビを新たな収入源とすべくロビー活動を行った。FCC(連邦通信委員会)は1970年に、テレビ局は番組のうち一定の比率を外部に発注し、その番組について1次放送権以外の権利をもってはならず、シンジケーション(番組流通)もしてはならないというフィンシン・ルールを定めた。

この規制によって、ハリウッドで制作されてテレビで放送された番組の権利はハリウッドに残り、プロデューサーに一元化された。たとえば人気コメディ「サインフェルド」1本(30分)の放送権が120万ドルにもなるなど、高い制作費をかけても繰り返し視聴に耐えるすぐれた番組をつくれば採算があうようになり、テレビ番組の質も向上した。

映画の失敗を繰り返す民放

1970年代から始まったケーブルテレビ(CATV)や通信衛星などによる多チャンネル化への対応も、日米でわかれた。アメリカでは80年代に始まったCATVが、MSO(複数のCATVを運営する大規模局)に統合されて大きく成長し、通信衛星は各家庭に数百チャンネル以上を直接放送できるようになった。

こうした多数のチャンネルの間で番組を売買するシンジケーションも発達し、コンテンツの制作/流通/放送という3つの産業が水平分業する産業構造ができた。これによって多くの独立系プロダクションが生まれ、CNNの視聴者は全世界で15億世帯、科学番組を放送する「ディスカバリー・チャンネル」は4億 5000万世帯、音楽番組のMTVは3億世帯など、グローバルにコンテンツを供給して高い収益を上げている。

ところが日本では、郵政省は既存テレビ局の既得権を守るため、CATVの放送エリアを各市町村に限り、衛星放送については地上波局の広告収入に影響が及ばないように広告放送を禁じた。このように映像産業がインフラごとに分断され、コンテンツの流通を放送局が支配する構造ができたため、映像産業に競争的な市場が形成されなかった。

民放はインターネットも徹底的に妨害し、プラチナバンドの電波も開放しない。嵐やSMAPのような芸のない芸能人のために番組をつくり、タレントを囲い込むので、新しい才能が出てこない。言論も類型化し、世界に通用しない左翼報道を繰り返している。ジャニーズ事務所は、こういう腐ったテレビ業界の象徴なのだ。