国家公務員のキャリアコース合格者が発表になり、全合格者2027人中、東大出身が193人と過去最低を記録した、と報じられています。数年前、私が東大生から直接聞いた「国家公務員は魅力ない職業」と指摘された話をしましたが、そのトレンドは続いているともいえそうです。
もう一つの見方としては「国家を支えるキャリア組は日本の最高学府から選りすぐった人材を確保する」という学歴第一主義からよりグローバルな観点に立ち、一定のミックスで刺激ある組織体にする、という理由から合格者が別に最高学府ではなくてもよい、という採用側の変化もあるのでしょう。
私は大昔、キャリア試験を受けて落ちたのですが、仮にもう一度キャリア組に挑戦できるとしてもやらないだろう、と思います。なぜ、キャリアを目指したか、あの時は国家を支えるという意義をとても重く感じていたからです。大げさな言い方をすれば「自分流の国家ビジョンを坂本龍馬のように描きたかった」ということでしょうか?その後、ある方から城山三郎の「官僚たちの夏」は官僚の熱さそのものだ、と指摘され、拝読した時、激務の中に見える国家論に感動したものでした。
しかし、キャリアの仕組みとしては最高峰となる事務次官になってもその上に与党から大臣、副大臣、政務官といった政治家が上につきます。つまり、逆立ちしても大臣にはなれない、これがキャリアの運命です。会社に入っても制度上、絶対に社長になれないのと同じで、そんな組織に能ある精鋭が進みたいという理由もよくわからないし、そういう人材で官僚組織が維持できた過去とはあまりにも価値観が異なってきたということでしょう。
大学生の就職活動で採用面接などの選考が6月1日に表向き解禁となりました。テレビニュースでみた不思議とは内定を複数獲得している学生が多いことです。カラダ一つなのに内定が複数とは学生からすれば「ゆっくり考慮して選択できる権利確保」だと思いますが、発想としてはおかしいのです。そもそもその会社で働きたくて面接を受けたのに「本命ではない」「ちょっと運試し」「友達とエントリーシート出したら採用面接まで進んだ」…といった「おめぇ、会社舐めてんのかぁ!」と言われてもしょうがないようなスタンスの学生が溢れています。
企業側も「フラれる確率」をそれぞれ計算しており、人事部は予定採用者数を下回ると「人事ブゥー、何やってんだ!」とお目玉頂戴ですので必死の学生確保で採用人数の3割、5割増しの内定を出すわけです。個人的にはこのような茶番はもうやめればいいのに、と思っています。
どうせ採用しても3年で3割抜けるのです。私の髪の毛ですらそんなに抜けません。それならもう少し使いものになる人材をじっくり選考した方がよいはずです。最近は通年採用に中途採用も増えてきています。そもそも会社の上層部にいる幹部は必ずしも生え抜きとは限らない時代です。つまり、官僚の話と同じで「トップにはなりにくい」わけです。いやトップどころか本部長や部長クラスですら危ういところが増えてきています。
日本の就活は「集団見合い制度」そのもの。昭和30年代じゃないのですからもう企業も学生も変わらねばいけません。
ところである大学関係者と雑談していた際、「大学生の才能を引き出し、それに磨きをかけることが大学の役割ではないか?」と申し上げ「その通り!」と意気投合しました。つまり全国780もある大学のほとんどで繰り広げられる世界、何気に講義を受講し、ちょっとだけレポートを出し、ほぼ発言することなく、クラブにも参加せず、バイトをちょっとやってなんとなく過ごした4年間の大学教育はさようなら、なのです。そんな金太郎飴はもういらないのです。ロボット、IT、AI時代が更に高度化する中、能力的に全く太刀打ちできないのです。
今日のタイトルは「魅力がないのはキャリア職、それとも東大生?」ですが、双方がもっと輝かない限り、国家の損失は避けられないのです。同様に企業採用も全く同じで世界の中のニッポンという立ち位置からはズルズル後退するのが避けられなくなる、そんな気配すらするのです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年6月8日の記事より転載させていただきました。