コロンビア・アマゾン地帯で子供4人が救出されたニュースの裏側とは

 墜落したセスナ機は飛行認可が取得できない飛行機だった

コロンビアのジャングルから4人の子供が40日振りに無事救出されたというニュースは日本でも報道された。

この4人は13歳の長女レスリーちゃんと妹ソレクニー(9)、弟ティエン(4)妹クリスティン(1)から成る土着民の子供である。父親マヌエル・ラノケさんが元ゲリラ組織FARCの分派カロリーナ・ラミレス戦線から「殺す」と脅迫されてるのを恐れてアララウカラ村から首都のボゴターに移り住んでいる。そこで父親と合流すべく、彼の家族はボゴターに向かうべくセスナ機に搭乗したのである。

6月10日付「エル・パイス」が報じているが、彼らが搭乗したセスナ機は2021年7月に事故を起こして破損したことがある。この飛行機のメーカーセスナ社が介入することなく修理されたものである。その方が、修理代は安くあがるからである。40年前に生産されたモデルで、事故のあと正式に点検修理されたものではないので、本来であれば飛行の認可も下りていない状態だったという。

コロンビアではこのような正式に点検修理されていない機材を使ったチャーター機を飛ばしている会社が40社程度あるそうだ。ジャングルでの移動には安全性に欠けている飛行機でも利用せざるを得ないのである。だからいつ事故が起きても不思議ではない。

母親は4日間生き延びた?

今回セスナ機に搭乗していたのはこの4人の子供と母親マグダレナ・ムクトゥイさんとパイロットとその助手の大人3人。5月1日に墜落した時に大人3人は即死。この4人(正式には下の二人)の父親は「マグダレナは4日後に死亡した」と語っているが、彼女の父親ナルシソ・ムクトゥイさんはそれを否定して、墜落時に死亡したと語っている。

実は、亡くなったマグダレナさんの両親と娘婿は仲が良くない。しかも娘婿は上の二人の女の子のひとりを性的に虐待したと亡くなった娘さんから聞かされたという。

ムクトゥイさんが指摘しているが、子供たちがジャングルの中で生き延びることができた理由は、特に長女のレスリーちゃんがジャングルで毒性のない食べ物を選ぶことを知っていたからだという。墜落した当初は機内に持参していた食料と飲み物を口にしていたそうだ。その後は、レスリーちゃんがリードして食料になる野生の果実などを食べ、飲み物は容器が破損した後は植物の葉っぱを丸めてその中にせせらぎの水を汲んで飲んでいたという。

祖父のナルシソさんが週刊誌「セマナ」のインタビューに答えて語っているのは「子供たちは3歳の頃から少しづつ教えて行って、5歳になるとジャングルに連れて行く。小舟に乗せて川を漕いで行って魚の釣り方を教え、山の中に入ってどの果実が食べれる。どの果実を食べてはいけないと教える」のだそうだ。

だからレスリーちゃんは祖父から教えられたことを今回実践して3人の妹と弟に食べ物と飲み物を提供していたということだ。

しかし、ジャングルの夜は冷える。母親が持参していた服を破ってそれを弟たちの身を包まった。特に、1歳の弟には神経を使ったようだ。子供たちは空腹、寒さ、疲労でよく泣いていたそうだ。

そこで生息しているトラ、熊、蛇などには遭遇しなかったと子供たちは語っているという。ただ、寝るには隠れるようにして身を匿っていたそうだ。しかし、レスリーちゃんは何んにも恐れを感じることはなかったそうだ。というのも、墜落した時の驚きが強烈過ぎて思考することができなくなっていたからだという。ただ、前進してそこを出ることだけを考えていたそうだ。

最初の頃は食べ物を求めて近辺を歩き回った。しかし、履物は破れ、ひと月以上のジャングルでの不安な中での生活に精魂使い果たし、もう移動する力も尽きていた。

 レスキュー部隊が捜索で歩いた距離は延べ2500キロ

丁度その頃に軍隊のレスキュー隊と土着民捜索グループが子供たちを見つけたのである。彼らを乗せたセスナ機が墜落してから2週間が経過するまで不確かな状態が続いていた。17日目になって土着民から成る捜索グループが墜落した飛行機の残骸を発見。そこには3人の大人の死体は見つかったが、4人の子供の姿はなかった。この段になって、ペトロ大統領が初めて軍部に4人の子供の捜索命令を出したのである。

レスキュー部隊は120名の軍人で構成され、それに土着グループから73名が加わった。その隊員のひとりが「セマナ」に語ったのは8人から10人に分かれて捜索し、最終的に一つのグループが250キロから300キロは歩き回ったそうだ。だからレスキュー隊全員が探し回った距離は2500キロになるという。

捜索を開始してから10日目くらいに子供たちとの距離が100メートル近くまで接近したように思えると語ったのはペドロ・サンチェス指揮官であった。ところが、ジャングルの中で生息している動物などの鳴き声で騒々しく、しかも子供たちは常に隠れるようにして生活していたことから発見できなかった。

結局、行方不明になってから40日目に墜落したセスナ機から僅か5メートルも離れていないところで子供たちを発見したのである。その頃の子供たちはもう疲労困憊して意識ももうろうとなり移動する力も消滅しかけていた時だったという。

捜索犬ウイルソンが行方不明

子供たちは無地救出されたのであるが、捜索犬の一匹ウイルソンが今も行方不明になっている。子供たちの証言によると、2、3日子供たちと一緒に行動していたが、その後姿を消したという。また、レスキュー部隊によると、5月18日に見かけなくなり、2日後に100メートル先にウイルソンを見たので食べ物を見せ、一緒に同行している他の捜索犬に連れ戻すように指示したが、ウイルソンはそこから逃げたそうだ。6月6日に再び遠くにウイルソンが姿を現したがやせ細っていたという。

現在もウイルソンの捜索は継続している。しかし、ジャングルの中で方向感覚を失ったり、毒性の蚊にさされたり凶猛な動物に襲われた可能性もあるとみている。

子供たちはボゴターの病院で療養中だ。これから先、誰が子供たちの世話をするのかは擁護委員会の方の判断に仰ぐことになっている。