いわゆる“LGBT法案”に反対する主張がツイッターなどSNS上で盛んである。保守を標榜する論客諸氏を中心に、フォロワーと一体となって導入反対の活動は盛んである。またこれらに連動して、当該法案推進に向けて積極的な言動が目立つラーム・エマニュエル駐日米国大使に対して“内政干渉だ”として反発する声も上がっている。
懸念や反発の感情は理解できるし、そもそも建設的な論戦は民主主義の華である。しかし法案は与野党の調整を経て実質的に大きく変化し、実質的には懸念が当たらない内容になっている可能性が出てきた。反対論者は一旦、野党案を反映させて内容が変化した最新案を吟味し、今一度評価を自己点検してから冷静な論戦を行うことが建設的だろう。
結論として筆者の見解を明確にすると、下記の通りである。
法案内容:「修正された現行法案ならば、あっても邪魔にならない」
法案成否:「国益に貢献するので、法案は成立させるべきである」
法案内容については、今の段階では前提となる現行法案の認識に大きな隔たりがあり、一部に行き過ぎた誹謗中傷も観測されるなど、落ち着いた(論理的な)議論が望めないのでここでは触れない。本稿では、筆者が成立させるべきと考える理由、「LGBT理解増進法は国益に貢献する」という見解(別の観点)について説明したい。
国家安全保障戦略上に明示された国益
国家安全保障戦略では、「Ⅱ 我が国の国益」として3点を明確に記載している。その3点の要旨(筆者要約)は下記の通りである。
- 我が国の主権と独立の維持、領域保全、国民の生命・身体・財産の安全
- 経済成長を通じた我が国と国民の更なる繁栄実現
- 自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値や国際法に基づく国際秩序の維持・擁護
(要旨の引用元:nss-j.pdf (cas.go.jp) )
まず直接的にLGBT法案が貢献するのは、3番目の普遍的価値や国際秩序に対してである。
つまり当該法案は「自由、基本的人権の尊重、法の支配」などの文脈に沿うものである。
今国会で導入された場合、日本は国際秩序を形成する諸国(特に米国)の価値観や法体系に「外形的に」一層近づいて行く。
しかし最も重要なのは、この直接的な効果ではない。台湾有事の緊張度が増しその抑止と防衛準備に全力を尽くすべき現段階では、外交と国防の双方における基軸である「日米同盟」の深化に与える効果の方がより重要である。
ここで「国内法であるLBGT法案と外交や防衛にいかなる関連があるのか?」と疑問を感じるのも自然である。ここでは日米同盟の具体的な内容の一つである「日米地位協定」を思い出して頂きたい。
加えて、現状変更国と対峙するにあたり、日本と米国があたかも“対等なパートナー”であるかのように錯覚して(させられて)いる可能性も点検して頂きたい。
日常のフレンドシップデー等による住民懇親活動や、緊急時の「トモダチ作戦」などの活動で、確かに米軍に対する親近感は維持されている。しかし平時においても、例えば墜落事故が起きれば米軍の強い権限は発揮されるし、有事になれば日本全土が策源地として有効利用されるだろう。
また、かつて説明されていた「楯と矛」の役割分担でも、敵対勢力の激烈な武力が発揮される場合、その初動は自衛隊が受け止めることとなる。更に首都上空の制空権問題(横田空域問題)もある。
要するに、沖縄基地問題に限らず、現実の関係性は“対等”とは程遠い(その是非は論じない)。
日本は欧米社会からどう見られているか
対等になれない背景に、まずは「敗戦国と戦勝国」の厳然たる関係性がある。
さらに深層には、日米間の言語や思考方法の差異(思考のギャップ)が横たわり、相互理解が深まっていない問題も存在する。
具体例を挙げると「日米開戦に至る日本の意思決定」について、その曖昧さと複雑さのために、米国人はおろか(一部の賢人を除く)日本人でさえ深くは理解できない。米国から見れば「チェックメイト」になるはずの「石油全面禁輸」が、「開戦の決断」という真逆の意思決定を引き出したのは誤算であっただろう(蔣介石やチャーチルは祖国勝利の予感で喜んでいたようではあるが)。
また、日米戦争末期の組織的な自己犠牲攻撃である「神風特別攻撃」や「戦車への自爆攻撃」は、前線の米軍人に強烈な印象(恐怖)を与えた。そのため終戦から半世紀以上経過しても、例えば「9.11」同時多発テロ事件時でも「カミカゼ」が連想されていたりする。英語の辞典にも“kamikaze (attack)”という単語が収録されているのは、その文化的衝撃の名残だろう。
チャーチルではないが「日本語は論理的ではなく、その思考回路は理解しにくく、何をしでかすのか予想しにくい」という疑念は、今も拭えていない可能性が高いと推測している。
更に遡るならば、ビゴーがフランス人租界に向けて、彼らから見た“日本人の奇妙な姿” を風刺した多くの絵画は「彼らの視座」に関する貴重な物的証拠である。欧米社会では、今も「“従軍”慰安婦報道(NYT)」や「ジャニーズ事務所の性犯罪報道(BBC)」に姿を変えて虚実綯い交ぜに報じて日本の奇妙さを喜んでいる。
また近時の例を挙げるなら、ラーム・エマニュエル駐日米国大使の「日本は進化の過程にある」発言などがある。これなどは、米国支配層の率直な「対日観」が漏れたものと考える。
国会で近く成立する見通しとなっている性的少数者の理解増進法案に関し「政治は社会を反映し、政治が法を新しくしていく。日本は進化の過程にある」と話した。(共同通信6月9日)
要するにこれらは、欧米社会が日本を「文化的な後進国」と看做す視点が昔から存在し、現在に至っても変わらないことを表しているのである。
これらが示す通り、欧米の価値観から見ると日本人の思考は異質なものであり、我々の自己認識はどうあれ、彼らからはいまだに「発展途上の文化・民族」と見られているのも現実である。
ファイブアイズに入れない日本
日本における機密情報管理に関し、セキュリティー・クリアランスに対する整備は急速に整備されている。しかしそれは台湾有事への備えとして、基礎要件の一つに過ぎない。必要な情報戦能力を整えるためには、日米連携・日米韓連携に加え、ファイブアイズ(米・英・豪・加・ニュージーランド五か国による諜報協定)とも連携することが極めて重要である。
しかしこれまで日本は加入できなかった。簡単に言うとスパイ防止法や諜報機関の欠如が足かせとなってきたからである。
首相もかつて自民党総裁選で示した政権構想で「日米同盟を基軸に、先進7カ国(G7)やファイブアイズなどと連携」する方針を掲げていた。ただ、日本が参加を検討する場合、情報収集・分析機能の強化や、スパイ行為を取り締まるスパイ防止法などの法整備が求められる。(産経ニュース)
台湾有事への懸念は日を追うごとに増しており、今やその抑止と防衛準備に全力を尽くすべき段階である。その環境において、日本は「法の支配」など共通の価値観を持つが、現実の法体系では「スパイ防止法」の有無などいくつもの大きな差異が欧米諸国との間には存在する。
(日本人としては納得しがたいが)「LGBT法案」もその一つであり、人権の尊重などの直接的な観点以上に、外交と国防の基軸である「日米同盟」の深化に対する効果の方が大きいだろう。
日米地位協定の存在
「国内法であるLBGT法案」と「外交や防衛」のつながりが今一つ腑に落ちないかもしれないが、その場合は、日米同盟の具体的な姿である「日米地位協定」を想起して頂きたい。
平時においても、例えば墜落事故が起きれば米軍の強い権限は発揮されるし、有事になれば日本全土が策源地として有効利用されるだろう。かつて説明されていた「楯と矛」の役割分担でも、敵の激烈な武力を受ける役目は、まずは自衛隊である。現実の関係性は“対等”とは程遠い。
幕末に結んだ不平等条約を改正するのに何十年もかかったように、この日米地位協定に象徴される関係性を、より対等に近づける実際の作業には大変な苦労があるだろう。しかし日米同盟を深化させる上で、避けて通ることはできない。
むすび
外交には相手国がある。
従ってその交渉内容を全て国民に開示することはできない。それは現在進行中の日米同盟の深化作業についても同様である。政府および与党が、今なぜLGBT理解増進法の制定を急ぐのか、その本当の意図は政権外部の人間が知る由もない。当然、本稿で展開した背景仮説も推測に過ぎない。
しかし「日本の法体系も欧米社会のそれと同等に人権を重視している」と主張し理解を得るための外形的な根拠の一つとして、(成立した場合の)「LGBT理解増進法」が大いに役立つことは間違いない。何らかの密約をしていた場合には尚更である。
そのことは結果として、日米同盟の深化に貢献し、台湾有事に対する抑止力を高め、あるいは有事における連携強化をもたらす。これは国家安全保障戦略遂行の一環であり、武力ではない外交による平和維持のための努力である。
岸田政権の高度な政治判断の一つとして評価する。