6月16日、LGBT法案が、参議院本会議で賛成多数で可決・成立した。この法案は、自公が、維新・国民案を「丸呑み」し、修正され、6月9日の衆院内閣委員会に提出されて、即日可決されていた。同修正案には「全ての国民が安心して生活することができるよう留意する」、学校教育での理解増進は「家庭と地域住民らの協力を得つつ」との規定が盛り込まれている。
これによって「とりあえずは無害に近い法案になった」「活動家が行政に入り込むための足がかりとする規定がほぼ排除された」と評価する見解も聞かれた。「家庭と地域住民らの協力を得つつ」との文言は、学校での行き過ぎたLGBT教育の歯止めになると考える向きもある。
しかし、私は懐疑的だ。地域によっても異なるであろうが、保護者や住民が、学校でのLGBT教育に、それほど関心を持つであろうか。また、学校側は「家庭と地域住民らの協力」をどのように得るのであろうか。教育に関するチラシやパンフレットをただ配布して終わりなのか、それとも保護者向け講座でも開いて協力を求めるのか。それも学校により、バラツキがあろう。
どれほどの保護者が、LGBT教育というものを本当に理解し、不安があるならば、学校に懸念を伝えるであろうか。結局、なぁ、なぁで済んでしまい、学校での行き過ぎたLGBT教育があった場合も、歯止めにならない可能性もあるのではないか。逆に熱心な親が多い場合は、学校でのLGBT教育に断固反対し、学校と保護者、または賛成派の保護者との間に「分断」を生むことに繋がる可能性もあろう。
LGBT教育の「弊害」はジワリジワリと子供たちを蝕むこともある。例えば欧米などでは「性自認教育」により、子どもたちが自らを「性同一性障害」だと誤解・誤認し、手術・投薬を行う事例が増えているという。手術等により「異性」になったが、それを後悔する例があるとして、問題化しているのだ。
彼・彼女らは、LGBT教育の哀れな「犠牲者」というべきであろう。私は、日本の子どもたちを、そのような目に逢わせたくない。よって、学校でLGBT教育(特に性自認教育)を行うこと自体に反対しているのだ。
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