会社、政治から町内会やPTAまで組織のピラミッド構造は頂点が一つしかない富士山型とも言えます。これが仮に山脈型であればどうなるのでしょうか?功罪があると思います。この辺りを少し、掘り下げてみましょう。
このブログで再三取り上げてきたEV。10年もその議論をしてきた中で個人的な帰着点はこのブログの読者の中での甲乙をつけることは不可能である、と。なぜならそれは個人の気持ちが入り込んでいるからですが、経済活動という別次元の歯車とは必ずしも嚙み合わないのです。ここにコメントを書き込む方はなかなか雄弁な方が多く、そこだけを切り取ると「なるほど」と思わせるのですが、クルマに関してほとんど意見のない若い人や女性の声はさっぱりわからないのです。つまり、意見1つにしてもバランスは取れていません。
月曜日の日経の編集員記事に「日本車の『不都合な真実』」とあります。長めの記事ですが、なかなかよくまとまっていると思います。ポイントはEVの普及促進が中国やアメリカに出来て、日本になぜ出来なかったか、であります。そのストーリーを日産の内田誠社長を背景に展開させています。
私が読み取ったその答えは記事には一言も触れていないトヨタにあり、です。もっと言えば豊田章男氏にあり、です。それはピラミッドの頂点であるトヨタがあまりに強大、かつ遠大で、おまけにクルマ好きの豊田氏の存在が大きすぎたために革新的発想が止まったことにあるとみています。豊田氏の功罪と言う点では自工会の会長としてのポジションとトヨタの社長の違いを世間に明白に示せなかったことです。私から見れば自工会のトップをやるならトヨタの会長になってからやるべきだったと思うのです。これは申し訳ないですが、豊田氏の失策です。
戦国時代と徳川時代の違いは何か、と言えば徳川の時代に藩の力が削がれ、戦い方を忘れた点は大きいでしょう。戦争の話ならそれが良いわけですが、経済やビジネスの話となるとそういう訳にはいきません。群雄割拠の中、激しい戦いの勝ち抜き戦こそ、真のリーダーを作るのです。日本の自動車業界もかつては東の日産、西のトヨタでした。その戦いがあったからこそ、日本の自動車業界は大きく伸びたことは目立たない一因だと思っています。
例を変えましょう。教育的見地からもこの傾向はみられます。それは東大を頂点とするピラミッドです。長年、私は東大卒がどんなに優秀か知りたかったのです。自社の従業員にもしたことがありますが、私の今の思いはいろいろな意味で東大卒は枠にハマらないので使い方次第ではないかと位置付けています。
ところが長年東大、京大と言った日本最優秀の学生のみをキャリア組として採用し続ける省庁のキャリアシステムは東大をピラミッドの頂点にしたわけです。(最近の採用大学は多様化してきています。)その頂点は崩しようがありません。
なぜなら学歴であり、2つ目の大学に挑戦する気構えがない限り、そして年齢的な点も踏まえればどれだけ能力があってもそのキャリアを覆すことは絶対不可能だからです。それは優秀だろうが、出来損ないだろうが、誰も追いつけない、追い越せない砂上の楼閣にすらなりうるわけです。また、ノンキャリアは入省した時からどこまで上がれるか、明白に決定づけられています。そんな夢も希望もない職場で改革的、創造的な仕事ができるわけがないのです。
ではなぜ、日本はピラミッドが好きなのか、山脈ではなぜダメなのでしょうか?個人的には共同体の長の発想が原点ではないかと考えています。つまり、長に対する信頼は絶対であり、長もそこを踏まえたリーダーシップをとる絶対的関係が構築されることでトップ以外の人は「一任」体制となり、その時点で自己判断を放棄するのです。放棄しているのですから何かあれば文句だけを言えばよいわけです。儒教的要素も当然あり、年長を敬う傾向は未だにあるでしょう。
これは今日の体制と全く変わりません。日々の生活で何かあれば行政や政治家に文句を言うのです。自分で工夫するわけではありません。「それは自分の仕事ではない」という考えになるわけです。
では山脈になぜならないか、ですが、これは私にはまだ答えが引き出せません。日本では「亜流」と言う言葉がありますが、「亜流」から「主流」にはなりえない社会構造なのかもしれません。利権もあるし、社会構造が「主流」を基盤に出来ているので新しい社会に不安だらけなのです。マイナンバーカードについてテレビの討論会で偏向報道かと思わせるほど「稚拙だ」「失敗だ」と大批判オンパレードでした。つまり、型を変えることができない、よって複数の主流が生まれるような素地がない、と言うことかもしれません。
ピラミッド型は絶対不変の社会においては強固で安定感があります。一方、日本を取り巻く問題は山積し、経済的にも長期凋落傾向を止めることはできません。ここを思えば日本的ともいえるピラミッド社会が変貌する時なのかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年6月26日の記事より転載させていただきました。