日本再生の切り札は「知の大循環」の再構築

畑 恵

Eloi_Omella/iStock

もはや先進国と言えぬ日本の現状

今月下旬、世界における日本の地位がいかに下落しているを思い知らされるランキングデータが相次いで発表された。

一つはスイスの「国際経営開発研究所(IMD)」が発表した2023年版「世界競争力ランキング」。日本は前年より一つ順位を落とし世界35位となった。

IMDランキングは世界の主要な64カ国・地域を対象に、「経済実績」「政府の効率性」「ビジネスの効率性」「インフラ」の4項目でその競争力を評価している。

もう遠い記憶の彼方だが、ランキングの発表が始まった1989年から4年間、日本は世界トップを誇っていた。

あれからから30年余、今や日本はアジア太平洋地域でも14カ国中11位までランクを下げ、30位のタイ、34位のインドネシアを下回る国際競争力で劣る国となった。

もう一つのランキングは、「世界SDGs達成度ランキング」。

国連と連携する国際的な研究組織「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」がまとめた報告書によると、166カ国のうち日本は21位だった。

2017年に日本は過去最高の11位だったがその後は徐々にランクを落とし、昨年の19位から今年さらに後退することとなった。

SDGsの17目標ごとの達成状況は4段階で評価されるが、日本は

「ジェンダー平等」(目標5)
「つくる責任、つかう責任」(目標12)
「気候変動対策」(目標13)
「海の環境保全」(目標14)
「陸の環境保全」(目標15)

の5目標で昨年に続き最低の評価にとどまった。

ちなみに最低評価の「ジェンダー平等」については、スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」が今月発表した「男女平等度ランキング」によれば、日本は調査対象の146カ国中125位で過去最低だった。

さらに「働きがいと経済成長」(目標8)でも、強制労働と関係する輸入品が多かったことなどから、下から2番目へと評価が下がった。

また昨年までは最高評価で“達成済み”とされていた「平和と公正」(目標16)が、“報道の自由”に課題があるとして、評価を一段階引き下げられた。

たしかに国際ジャーナリスト集団「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング」で、日本は180カ国・地域のうち68位。G7で唯一、5段階評価の自由度ランク3「顕著な問題あり」というカテゴリーにランキングされた。

ちなみに「国際競争力」と「SDGs達成度」というこの二つの世界ランキング以外でも、国際的地位をはかる指標として多用される「国民一人当たりGDP(国内総生産)」で日本は28位、国民1人当たり購買力平価(PPP)ベースGDPとなると38位と、毎年順位を落とし続けている。

もはや経済的に豊かでも、国際的に尊敬される国でもなくなってしまい、未曾有の財政赤字と異次元の少子高齢化という構造的難題を抱える日本を、果たして世界はいつまで先進国とみなしてくれるのだろうか。

1979年、エズラ・ボーゲル博士がその著書『Japan as No.1』で、低迷する米国の手本とすべき国と讃えた日本は、一体どこで道を誤ったのだろうか。

日本を発展させた要は「知力」

それを問う前に、そもそも資源に恵まれず農耕可能な国土も狭い日本が、なぜ世界の大国と比肩し得る先進国へと発展できたのか、考えてみよう。

極東の島国をG7の一国にまで押し上げた力とは何か。

それはひとえに卓抜した教育力、科学技術力、文化力などを総合した、いわゆる「知力」であったと、私は考える。

日本の知力は、単なるintelligence(知性)にとどまらない。

diligence(勤勉さ)やhumility(謙虚さ)によって裏打ちされ、長い時の積み重ねと厳格な礼節によって錬磨された、強靭な真の「知力」だった。

歴史を振り返ると、各時代の有力な権力者はその時々の「知の基盤」にヒト・モノ・カネを投資し、それによって生み出された「科学技術力」「文化力」「教育力」の相乗効果によって繁栄と安定を実現した。

たとえば、江戸時代に一般庶民にまで営々と築かれた厚く高度な「知の基盤」は、西欧列強による蹂躙や侵攻を阻止し、さらに開国まもない激動の日本を列強に比肩しうる文明国へと飛躍させた。

世界大戦の焼け跡から不死鳥の如く蘇り、驚異的なスピードで奇跡的な復活劇を果たしたパワーの源とは、日本人一人ひとりにインプットされた「知力」に他ならなかった。

「知の基盤」崩壊がもたらした日本の凋落

ところが、日本が世界経済の頂を窺い出した1990年半ばから、日本の知の基盤を根底から揺るがす異変が起き始める。

第一の異変は、中央研究所の解体だ。

1996年を皮切りに政府の打ち出した株主重視政策に従い、大企業が基礎研究を担って来たそれぞれの中央研究所を次々と廃止し始めたのだ。

民間研究者たちの多くが大学へ移るか、もしくは韓国や台湾など海外企業に転職せざるを得なくなった。

追い討ちをかけるように、2004年の国立大学独立法人化以降、毎年1%ずつ各大学の運営費交付金が減額された。

2004年から2016年までの12年間で総額1444億円、割合で12%の減額となったその皺寄せの多くを、若手研究者が担わされることとなった。

若手研究者の大半が任期付き雇用となり、不安定な研究環境と暮らしを余儀なくされ、研究職を希望する者も、博士課程に進学する者も激減した。

こうして、日本の根幹を支えて来た知力を生み出す源へと注がれるべき資金や人材はみるみる枯渇し、この国の「知の基盤」は急激に痩せ細り始めた。

時を同じくして、日本の一人当たりGDPも釣瓶落としの如く下落して行くこととなる。

日本の科学技術力は殆どの指標で低下の一途を辿り、学術論文数で中国、英国、ドイツに抜かれ、遂に昨年は引用度の高い学術論文数で韓国にも抜かれた。

かつて“Japan as No.1”と賞賛された国がどこで道を誤ったのかは、自明なことなのだ。

“第二の敗戦”を伝えない日本の報道

道を誤ったのであれば、正せば良い。失ったのであれば、取り戻せば良い。

そう思うのだが、日本人のほとんどは自分たちが今どれほど危機的な状況に陥っているのか、決定的な過ちを犯してしまったのか、という自覚がない。

それは日本の殆どのジャーナリズムが、そうした「不都合な真実」を国民に伝えようとしないからだ。

“第二の敗戦”とも言える悲惨な状況に至るまで、なぜ日本は一気に凋落したのか。

なぜ30年間に亘り誰も、その過ちを正そうとしなかったのか。凋落の元凶はどこにあるのか。

世界大戦と同様、過ちの構造的検証を日本のジャーナリズムは行おうとしない。

それどころか、これだけ明白な日本の凋落という事実を国民に伝えようともせず、この期に及んでなお政権支持率がどうだの、解散の時期はいつだのと、ちっちゃな井戸の中の小競り合いばかりを嬉々として報じている。

“知の大循環”で日本を甦らせる

しかし、諦めたらお終いだ。

諦めたら、そこでゲームオーバー、日本の未来は永遠に潰えてしまう。

政治にもジャーナリズムにも期待できないのであれば、自分でやるしかないのだが。

誤った道を正すため、失ったものを取り戻すため、自分でやれることは全てやってみようと還暦を機に思い定め、次のようなプロジェクトを有志で立ち上げることにした。

「Nippon フェニックス・プロジェクト」

プロジェクトの目標は、

① 「知の基盤」への資金や人材の投資促進
② (知の基盤から生まれた)シーズをイノベーションへ繋げるための、「目利き」人材や「橋渡し」システムの整備
③ 知の基盤への投資→シーズの創出→イノベーションの創出→富や福祉の増進、利便性の向上→知の基盤への投資、という「知の大循環」の構築

これさえ実現できれば日本は必ず、地球や世界の持続的・平和的発展におけるトップランナーへと甦ることができると、そう確信している。

フェニックス・プロジェクトの立ち上げに向け、既に昨年から政・財・官・学の有志とともにブレーンストーミングを続けて来た。

そしてこの5月、私の政策研究会「ジャパン・ビジョン・フォーラム」で同様のテーマを掲げ、プロジェクトの有志メンバーを迎え講演会とパネルディスカッションを開催した。

詳しくは、次回からのブログで YouTube動画を順次掲載するのでご覧いただければ幸いだ。

日本人の類い稀な「知」のDNAは、大谷翔平選手に、藤井聡太七冠に、今も脈々と受け継がれ世界を驚嘆させ続けている。

今、日本人が大谷、藤井両氏のように、自らに限界を作らない突き抜けた志と不断の精進、そしてリスクを取りに行く勇気さえ持てば、日本は必ず甦る!とそう信じている。


編集部より:この記事は、畑恵氏のブログ 2023年7月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は畑恵オフィシャルブログをご覧ください。