トランス女性トイレ使用訴訟:最高裁判決を受けて

性同一性障害の経済産業省職員に対する女性トイレの使用制限を違法とする最高裁判決が下された。

直後、勝ち誇ったような情報発信も多く、「これで俺も女子トイレに堂々と入れる」と判決文を読みもしない勘違いが広まっている。これを鵜呑みにする情報弱者、或いは分かっていて悪用する輩が発生する事も否定できない。

一方で保守系の一部から、この判決は特殊事情が前提であり、一般的に女性の安全は少しも脅かされていないので、慌てて拡散する事は百害あって一利なしとの発信も目立つ。また、同じ保守系論陣で、事態の最悪化を訴える人達もいる。

一体現実はどう考えるべきなのか?

ここからは筆者の個人的見解だが、判決としては特殊事情であるとしても拡大解釈される危険性の高い最悪の判例と考えている。だが、この現実に抗う方法論も明確に示されたとも考えている。

以下、順にこの考えに至る理由を述べるが、そのためには最初に判決の要旨を示しておく必要がある。

まずこの事例が特殊である点だが、原告は20年以上前から性同一性障害と診断されており、ホルモン投与で性衝動に基づく性暴力の可能性が低いとの診断もある。性転換手術は健康上の理由で受けられないという事だが、肉体的男性による偽装性自認ではないともいえるだろう。

そして環境が経済産業省職場内部の話であり、長年その状態で、原告自身がトランス女性であるとの認識は相当レベルで周知されており、一般的な不特定多数が誰でも出入りできる公衆トイレとは環境が異なり、当然判断も異なる。

以上の事から、経済産業省内における労働環境の改善義務が定められた国家公務員法の違反として判決が下っている。だからある意味、労働争議の範疇との解釈もできる。

そして労働環境という視点で考えた際に、原告と他の女性職員の双方の労働環境、問題点を比較して見る必要があり、判決では、多くの女性職員との間で長年トラブルが生じたことがないとされ、説明会でも原告のトイレ使用に関して数名の女性職員が違和感を抱いているようにみえたものの、明確に異を唱える職員がいた訳ではないとの主旨も記述されている。

以上の様に内容を見ると冷静保守派のいうように、一般の公衆トイレ使用にまで波及するものではなく、慌てる必要は無いとの主張も理解はできる。但し、それでも企業や学校などの環境、特定された人物で使用される環境では影響を受けるのは間違いないだろう。そしてその環境での訴訟リスクや、設備工事要求などの活動も活発になるだろう。

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現実的な問題点と対処策は

以上のような判決なのだが、注意する点をもう少し踏み込み、問題点を明らかにしていきたい。

まず医師による診断書について考えたい。どこまで科学的根拠に基づく診断なのか、責任はあるのか等である。

性暴力のリスクは低いと診断だが、もし判決後に晒された、本人の裏アカとされる投稿が本当に本人のものだとしても診断は変わらないのだろうか。そもそも自認というのは、その場の認識であり移ろうものである。衝動は更に、その時々の精神状態や環境で起きるものである。医学的には一定年齢を過ぎてからのホルモン投与は生まれながらの性別的特徴を覆せるほどの影響には乏しいので、ジェンダーアスリートも男性としての肉体的優位性は失われないとされるの通説がある。

ならば何をもってして性暴力のリスクが低いと判断できるのか、そして判事は何を根拠にその診断に合理性があると判断できたのか、理解に苦しむ。

例えばタレントのはるな愛さんは性転換手術を受け、女性としての生活をされ、周囲も受け入れている。日本はトランスジェンダーには極めて寛容で理解ある証拠である。しかし、この経産省の事例は肉体的には男性なのであり話が違うのだ。ここまでは許されるが、ここからは駄目と線引きされるのが自然であり、トイレや浴場などの使用に関しては、その根拠は肉体的な区別であるのが科学的合理性ある公平な判断ではないのか。

医師だって人間であり個々に思想信条、主義主張を持ち合わせている。悪意ある訴訟ビジネスを担っているリスクもあるだろうし、そもそも誤診もあるだろう。科学的裏付けの困難な診断は特に慎重に判断材料として取り扱うべきではないのかと疑ってしまうのだ。

即ち、恣意的判断の介在を出来うる限り排除し、科学的に実証可能な、この場合では肉体的違いで区別する以外に方法はなく、その理解を深める必要があるのではないだろうか。

そして筆者が最もいいたいのは、職場の女性の明確な異論がなかったという点に関してだ。

容易に想像できるが、この状況で明確にノーと発言できる人がどれほど存在するかという問題なのだ。よく考えて欲しい、この状況で明確にノーと言えば、明らかに当人が特定される状況でもあり、差別主義者とのレッテル貼りと、ネットだけでなく私生活にも影響を及ぼすような迷惑行為、いやがらせが予想されるのではないだろうか。それだけではない、職場内でも処遇面で影響がないとはいえない。

そのような状況に置かれたら、内心は嫌と思いつつも、我慢し、声を上げない、という態度になるのが通常ではないだろうか。もしそうなら、それこそ労働環境として問題であるはずだ。

なぜこのように思うかというと、私が聞く範囲では、総じてこの様なケースでのトイレ使用に違和感を持ち、危険性を感じるという声が圧倒的だからだ。

繰り返しになるが日本において、LGBに対する理解は他国より圧倒的に高く、個々人の好き嫌いとは別に存在として理解を示している。この問題の本質は、LGBTに対する理解を殊更極大視し、異を唱えると差別だとレッテルを貼る行為が、多くの女性の恐怖心、違和感を理解していないのではないかと思わざるをえないのだ。

であれば取るべき有効手段は、女性自身が声を上げること、違和感を発信する事だろう。そして男性はその女性の声に耳を傾け、いわれなき攻撃を受ける女性を全力で擁護することではないだろうか。

多くの職員が異を唱えなかったことが判決の理由になるならば、異を唱えること、声を上げる以外にないだろう。沈黙は同意と判断されたのだから。経産省も裏アカ投稿を調査し、その情報を受けた女性職員の正直な声を今一度拾い上げることが必要ではないのか。今からでも遅くないはずだ。