昭恵夫人の言う「無」がこの国を救うか

森友 由

安倍元総理が凶弾に斃れてから、早くも1年が経過した。

思い出すたびに、決して浅くはない悲しみや空虚感・・きっと多くの国民がその様な感情と共にこの1年を過ごしてきただろう。

たとえ安倍元総理と直接関りが無かったとしても、あれだけ長期にわたり国を牽引し、また多くのメディアにも連日登場されていた我が国のリーダー、そのリーダーの暗殺である。今でも「あれは現実だったのか」と、非現実的な感覚とともにテレビの映像が脳裏によみがえる。その一方で、「確かに、あの時、私は広島で昼食をとっていた。その時に突然・・」という現実的な感覚がある。

きっと皆それぞれ、事件が起きたときの「あの時のあの場所」の感覚を覚えており、その実感こそがあの出来事は現実なのだと容赦なく知らしめるのではなかろうか。そう、だからこそ思い出すたび、少なくない国民がきっとショックとともに悲しさや空虚感を感じてきた1年であったに違いない。

むしろ、悲しみや空虚感に加えて、人によっては怒りの感情も抱いたことだろうし、それは何ら不自然なことでも無いだろう。そもそも人は様々な感情を抱く生命体であるから、あの忌々しい事件に対して、怒りが混ざることはむしろ自然と言えるかもしれない。私のように安倍元総理と個人的な関係が無い人間でさえもそれを否定することができないのだから、安倍元総理に近しい関係だった人たちは尚更であろう。

さて、令和5年7月8日に安倍元総理の一周忌に合わせて、「世界に咲き誇れ日本 -安倍晋三元総理の志を継承する集い-」が開催された。岸田総理や高市大臣に続き、昭恵夫人も登壇し、挨拶をされた。私もご縁あって会場で上映された動画に少しだけ登場させていただいた。

登壇された方々のスピーチは、どれも簡単には消化できないほど内容が深く、豊かなので、ぜひゆっくりと、そしてできれば何度でもこちら(世界に咲き誇れ日本―安倍晋三元総理の志を継承する集い – YouTube)から視聴していただきたい。

昭恵夫人のスピーチは、ツイッターなどでも拡散されたので、既にご存知の方もいらっしゃると思うが、素直に感嘆してしまう言葉の数々であった。ここでは、あえてスピーチの最後に述べられた箇所にだけ触れておきたい。

私も本当に悲しいですけれども、怒りの感情を持つのではなく、恨みの感情を持つのではなく、どうか主人が亡くなったことで奮起をしていただき、この日本の国のために皆さんの力を合わせていただくことが、主人に対する供養になると思います。

会場で挨拶する昭恵夫人

意識しなければ、重く受け止めずに聞き流してしまうかもしれないが、思い出して欲しい。この言葉を発せられた当人は、暗殺された安倍元総理に長年連れ添ってきた昭恵夫人であることを。

安倍夫妻は、長きにわたる想像しがたい重責を担いながら、執拗な誹謗中傷にも耐え、孤独の中で支え合ってこられただろう。この先、お二人はどのような未来を描いていたのだろうか。今までの苦労が報われるような、そんな未来を思い描いていたかもしれない。しかしその未来は、主人の命とともに消えてしまった。

さらに言えば、主人はただ亡くなったのではない。あの忌々しい事件で、突然にして暗殺されたのである。人のため、国のため、必死に訴えていた最中に、身勝手な暴力によって強制的に全てを終えさせられたのである。

その立場にあって、「どうか怒りの感情を持たずに」と言えるだろうか。いや、私には到底言えまい。

実は一周忌の前に、会場で流す動画を確認していただくために、同志とともに私は昭恵夫人を訪問していた。明るく話す昭恵夫人の様子を拝見し、少し安堵した自分が居た。

世間話をする中、昭恵夫人は最近になってツイッターを始めたことをどこか嬉しげに仰った。「この間、初めてツイッターで問いかけをしてみたんだけど、反響が意外と大きくて!」と。私は「反響が大きいのは意外ではないのでは・・」と思いながらも、黙って聞いていたところ、昭恵夫人から唐突に質問をされた。

「成長するってどういうことだと思いますか?」

この問いは、まさに昭恵夫人がツイッターで投げかけた問いである。まさか自分が突如聞かれる身になるとは思わなかったが、急いで考えて、回答をさせていただいた。私の答えへの言及は避けるが、果たして皆さんだったら、なんと答えるだろうか。

その後、昭恵夫人は問いに対する自身の回答を披露してくれた。「わたしは、成長とは無になることだと思う」と。この時、私はピンと来なかった。「無」とは、一体どういうことだろう、どう解釈すれば良いのだろう、と。

しかしそれからというもの、この「無」という言葉が頭から離れない。そして不思議なことに他の場所で出会った言葉たちと繋がっていく感覚を覚えた。「世界中の人々に天下泰平の心を伝えたい」と語る知人の能楽師は、能面を付けて舞っているときの心境は「無心」であると言っている(The Heart of Noh -Italy Edition-日本語版 #italia #vatican #perugia – YouTube)。それによって、自身の体が依り代となり、いにしえの人々と繋がり、そして神へと繋がる、とも。

今年の3月に他界した義父の次の言葉も思い出した。

「あるとき、親が愛情を持って付けてくれた名は、自分で呼ぶことはなく、人に呼ばれるためにあることに気が付いた。そう考えると、自分自身も人のために存在しているのではないか。」

そして、先ほど紹介した昭恵夫人のスピーチである。昭恵夫人の言葉は、多くの方々の心に響いたことだろう。自分の感情を抑え、あくまでも人のため、そして日本のためを想って振る舞う。今なら、昭恵夫人が仰った「無」の意味が少しだけ分かる気がしている。

おそらく無とは、無私。無とは、滅私奉公。私がいる商いの世界でも、古来より「利他の心」や「三方良しの精神」が大切にされてきた。日本人にとって、こういう精神は、どこか遠いところに存在するものではなく、きっと自分自身の中にもともと存在しているものなのではなかろうか。いま、論壇や政治家の振る舞いを見ていると、悲しいかな、無私や滅私奉公とは程遠い気がしてならない。

「怒りの感情を持たずに、どうか奮起を」。この言葉の重みとその意味を、いま改めて一人一人が受け止め、そして己に問いただすことが肝要ではないかと思う次第である。余談ではあるが、故マイケル・ジャクソンの歌で私が最も好きな歌が「Man in the mirror」である。直訳すると「鏡の中の男」。世の中を変えたいならば、まずは鏡の中の男から変われ、という歌詞がある。

「人の成長とは、なんだと思いますか?」

森友 由
森友通商株式会社 代表取締役社長。日本除菌連合 副会長。次亜塩素酸水溶液普及促進会議 専務理事。
1983年生まれ。青山学院大学卒(国際政治経済学部)、在学中に米国ワシントン大学に交換留学。1854年創業の老舗卸売業、森友通商株式会社(東京・中央区)の七代目・代表取締役社長。昨今は日本除菌連合の副会長として、国会議員約50名による超党派議員連盟「感染対策を資材と方法から考える会(代表・片山さつき)」と連携し、科学に基づいた感染症対策を推進する活動を行っている。