社外取締役の素養:実際には素人丸出しのケースも多いのでは

「会社はコーポレートガバナンスがお好き」なのはなぜでしょうか?一つにはESGに取り組む企業は見栄えが良い点はありそうです。もっともアメリカでは過度のESGはおかしいという真逆の展開が起きているので今の常識が数年後の非常識になるかもしれませんが。では会社は誰のものか、と聞けば、これは結構難しい質問です。かつては株主とされましたが、現代では従業員や顧客、取引先を含む関係者とより広い範囲を示すケースも出てきています。

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つまり、会社運営が広く公益を担っているという前提であれば会社経営の責任者である経営陣はその道を外さず、仙人のような純粋で美しい経営をしなくてはいけません。ところが経営陣は必ずしもそんな純朴者ばかりではありません。むしろそんな人ばかりがドライバーであれば会社の成長が危ぶまれるかもしれません。そこで会社のドライバーたる執行役員たちを監視するグループを取締役会とし、より少人数で会社経営を審議するようになりました。かつては取締役が30人もいる会社も不思議ではなかったのですが、資料によるとこの10年はほぼ9名前後が主流となっています。

かつては経営の監視役として取引先銀行が役員を送り込む流れも多かったのですが、株式の保ち合いが減り、銀行の役員派遣は経営不振の場合を除き、時代に即さなくなりました。そもそも銀行員が役員になれば会社の経営は銀行都合になりやすくなります。私もそのあたりはかつてよく見ていたのですが、悪く言えば銀行出身の役員はスパイのようなもので会社の内情を細大漏らさず銀行本店に逐次報告しています。銀行出身の役員には「出先ボード」に「銀行本店、直帰」が週1回ぐらいあるケースが多かったし、執務に個室を要求するのはひそひそ話が大好きだからであります。

その銀行出身役員時代に代わり、コーポレートガバナンス全盛となり、社外取締役という第三者に置き換わりました。上場会社は義務化されていますので否が応でも誰か探してこなくてはいけません。私の知る人も数社の社外取締役をしていますが、その前職は某企業の関連会社の社長をしていました。その経営が酷く、業績は落ちる一方で最後、その会社を清算してしまったような経営者でした。その方が第三者の会社の役員ですか、と人には言えませんが、そんなレベルの方も混じっているわけです。

経験も見識もない業界の社外取締役になってほしい、と言われても何をどう料理するのかであります。指名された本人はやる気満々でしょうが、実際には素人丸出しのケースも多いはずです。社外取締役になる素養とはそれなりに経営経験と比較的オールラウンダーな知識を持ち合わせたいところです。理由は取締役会の人数が少なくなっているので一人当たりの発言のウエイトが大きくなっていることがあります。かつては専門分野だけカバーすればよいという時代もありましたが、少人数の取締役会となればその専門知識が会社経営においてどう生かされるべきか、という観点でモノを見る必要があります。専門分野の話なら執行役員から聞けばよいわけです。

では誰が社外取締役になるのか、ですが、現役経営者、経営者リタイア層、コンサルタント、仕業の方が多いという印象です。女性が少ないという意見があるそうですが、そもそも日本はそのような人材育成をしてきていなかったし、転職をしながら自らを鍛えぬいた女性経営者は数の上で十分に育っていません。物理的な問題があるのでそこを無理やり帳尻合わせのようなやり方をするのも拙速というか、質の問題が伴うでしょう。欧米のようにすぐには転換できないし、それができない日本は遅れていると指摘する国際統計には個人的には賛同できません。

むしろ社外取締役は顧客目線でみた企業へのご意見番と言う感じなのでしょうか。私は零細企業経営者として会議が大っ嫌いです。仮にそんな我が社に社外取締役が座っているとすれば何を期待したらよいのか、むしろ困惑と無益なやり取り故に「上げ膳据え膳」のお客様扱いにするだろうし、むしろ、社外懇談会ぐらいにしかならない気がします。

日本の経営に対するガバナンスは北米と単純に比べらない特徴がありますし、昨日話題に振ったビッグモーターのような会社もあるわけです。創業系やカリスマ経営者には社外取締役もたじたじにやり込められることもあるでしょう。そういう経営者に会社は誰のものか、と聞けば「俺のもの!」と躊躇なく答えるのでしょう。社外取締役を数合わせで雇うというよりも真の意味で経営とは何か、を理解したうえで流行や他社の物まねするのは如何なものかと思いませんか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月20日の記事より転載させていただきました。