「朝鮮モデル型」休戦案の検討を

本来、比較はできないが、岸田文雄首相のウクライナ訪問(3月21日)と比べ、韓国の尹錫悦大統領のキーウ訪問はメディアでは報じられていないが、潜在的な可能性を占めたものであったのを感じるのだ。

キーウを訪問した韓国の尹大統領夫妻を歓迎するゼレンスキー大統領夫妻(2023年7月15日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

岸田首相のキーウ訪問には当時、先進主要7カ国首脳(G7)の中でウクライナを訪問していない唯一の国であり、G7議長国としてウクライナ支援が最大の議題となることもあって、岸田首相は広島G7サミット会議前に是非ともキーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と対面会談しなければならない、といった差し迫った事情があった。スケジュール的にも余裕はなかった。

一方、尹大統領は今月11日、北大西洋条約機構(NATO)首脳会談にオブザーバーとして参加、13日にはポーランドを訪問し、ドゥダ大統領と首脳会談を済ませた後、15日にウクライナを電撃訪問した。尹大統領は夫人を同伴したので、キーウでは両国のファーストレデイ会合も実現した。日韓首脳のキーウ訪問を端的に表現するならば、岸田首相のキーウ訪問は必修科目、尹大統領のそれは選択科目だったこともあって、余裕があった。

本題に入る。朝鮮半島は韓国と北朝鮮の南北に分断されている。そして南北間は戦争後も和平協定は締結されていない。休戦状況のままだ。尹大統領のキーウ訪問は、ロシアと500日を超える戦闘を展開させているゼレンスキー大統領にとってインスピレーションを得る出会いとなったのではないか。ゼレンスキー大統領夫妻と尹大統領夫妻が笑顔を見せながら談笑している写真を見ながら、韓国大統領のキーウ訪問は大きな政治的な意味合いがあったと思わされたのだ。

ズバリ、南北間の休戦状況はロシアとウクライナ両国間でも実現可能な数少ないシナリオではないかと思うのだ。ダムが決壊され、多数の民間人が犠牲となっている現在、ロシアとウクライナ間の和平は現時点では残念ながら非現実的だ。しかし、休戦は可能だ。両国間の和平は政治的状況が煮詰まった段階まで延期して、先ず休戦を実現してから両国間の分断線に国連軍を派遣するのだ。

昨年末の段階では、この「朝鮮モデル型」休戦案は非現実的だった。なぜならば、ゼレンスキー大統領は、「ロシア軍が占領した東部地域だけではなく、ロシアが併合したクリミア半島を解放するまではプーチン大統領と如何なる停戦交渉にも応じない」と主張してきたからだ。同大統領は、「われわれはミンスク合意の過ちを繰り返さない」と繰り返し述べてきた。

ウクライナは反攻を開始した。しかし、ゼレンスキー大統領はここにきて態度を修正してきている。すなわち、クリミア半島など被占領地の全奪還を目指すのではなく、必要最大限の領土奪還を実現した段階でロシアと休戦交渉に入るシナリオを完全には排除しなくなってきているのを感じるのだ。

ロシアは現在、ウクライナ領土の約20%を占領している。それを全て奪回するまでとすれば、戦争はさらに長期化することが避けられなくなるうえ、欧米の対ウクライナ支援が今後も継続するかは不確かだ。戦争疲れが欧州の一部で既にみられるのだ。

ゼレンスキー氏は苦しい選択を強いられる。戦争が長期化し、消耗戦となり、国民が更に犠牲となる道を行くか、占領地の一部を奪い返した段階でロシアと休戦交渉に入るかだ。

ゼレンスキー大統領はNATO首脳会談でウクライナのNATO加盟は戦争が続いている限り、考えられないことを肌で感じたはずだ。欧米の一部は「戦争後の加盟」を示唆しているが、ロシアは戦争後のウクライナのNATO加盟も絶対に受けいれないだろう。プーチン大統領のウクライナ戦争の動機は、ウクライナのNATO加盟阻止だったことを思い出せば理解できるだろう。

戦争後、ウクライナが加盟するならば、それはロシア側の敗北を意味する。プーチン氏はウクライナとの停戦交渉では絶対に「戦争中」でも「戦争後」でもウクライナのNATO加盟には強く反対することは間違いない。

そこで浮上してくるのは、ウクライナの早期欧州連合(EU)加盟だ。ウクライナがEU加盟をすることでその国民経済を発展、促進できる道が開かれる。同時に、ロシアはEU加盟国を侵攻することは容易ではないはずだ。

上記のシナリオは当方の独自のものではない。これは米国の著名な歴史学者でロシア専門家のスティーブン・コトキン教授が紹介している。

プリンストン大学のコトキン教授は雑誌ニューヨーカーとのインタビューの中で、「対ロシア制裁は今日まで有効に機能せず、クレムリン宮殿クーデターは発生していない。一方、ゼレンスキー氏の戦争終結へのビジョン、奪われた領土の回復、戦争犯罪の調査、賠償金の支払いなどは希望的観測に過ぎない。ドニエプル川沿いの国をさらに荒廃させ、居住不能にするだけだ。戦争の終結は、ウクライナが領土の一部を失う事を甘受する代わりに、EUに加盟することだ。過去の実例として朝鮮戦争の解決策がある。そのためには非武装地帯の設置と休戦が必要となる」と主張している。

ブルガリアの政治学者イヴァン・クラステフ氏も同時期に、「朝鮮半島の場合、朝鮮戦争(1950年6月~53年7月)後も南北両国は和平協定が締結されていないが、休戦状況は続いている。同じように、ロシアとウクライナ両国は(双方の譲歩と妥協が不可欠の)停戦・和平協定の締結は難しいとしても、戦場での戦いを休止し、その状況が続く、といった朝鮮半島的休戦シナリオは考えられる」と述べている。米国と欧州のロシア問題エキスパートがウクライナ戦争の停戦・和平案として「朝鮮戦争後の休戦」をモデルと考えているのだ。

「朝鮮モデル型」休戦はあくまでも暫定的な解決策だが、非現実的な和平案に拘って時間を浪費する時ではない。ロシアは核兵器だけではなく、生物・化学兵器といった大量破壊兵器を保有している。

コトキン教授やクラステフ氏には、「ロシアの化学兵器または生物兵器がキーウの水供給を汚染したり、ロシアの特殊部隊がヨーロッパに多大な損害を与える可能性がある。プーチン大統領が大量破壊兵器に手をかける前に、ウクライナ戦争を早期停戦し、休戦状況に持ち込まなければ危ない」といった現実的判断が働いているのだろう。

尹大統領がコトキン教授やクラステフ氏の「朝鮮モデル型」休戦案をどのように評価しているかは知らないが、同大統領がゼレンスキー大統領に「朝鮮モデル」を話し、ゼレンスキー氏がそのアイデアでロシアと近未来、休戦交渉を始めるならば、ノーベル平和賞級の外交功績といえるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年7月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。