横浜地裁で始まった「日本で唯一のカルロス・ゴーン事件裁判」

オンライン会見をするゴーン元会長
NHKより

不可解な原告日産の対応は何を意味するのか

日産自動車(以下、「日産」)が、元会長のカルロス・ゴーン氏に対して提起していた約100億円の損害賠償請求訴訟の第1回口頭弁論期日が、昨日(11月13日)横浜地裁で開かれた。

この訴訟は、ゴーン氏がレバノンに不法出国した1カ月余り後の今年2月12日に、日産が、ゴーン氏に対して、ゴーン氏が起訴された犯罪事実や、それ以前に日産自動車が行った社内調査で明らかになったとする「不正」について、「不法行為による民事上の損害賠償請求」を行ったものだ。

原告の日産は、その「不法行為」の立証のために、ゴーン氏の刑事裁判で検察が立証しようとしていた犯罪事実や、ゴーン氏の「不正」の事実を、独自に証拠によって立証することになる。

ゴーン氏の刑事裁判が被告人不在で停止している中で、検察ではなく日産が「立証の主体」となって行われる「日本で唯一のカルロス・ゴーン事件裁判」である。

私は2018年11月に、「日産自動車ゴーン会長逮捕」が報じられて以降、ヤフーニュース・ブログ等で、検察実務や刑事司法、コーポレート・ガバナンスを専門とする立場で、客観的、中立的な立場から解説・論評してきた。

その中で、検察捜査に関する問題を指摘するとともに、コーポレート・ガバナンスのルールを無視して検察の権力による「クーデター」でゴーン会長を追放した日産経営陣を厳しく批判してきた。

そして、ゴーン氏の事件についての解説・論評の集大成として、ゴーン氏のインタビューを含む著書『「深層」カルロス・ゴーンとの対話:起訴されれば99%超が有罪となる国で』を、今年4月に公刊した。

今回の訴訟が、単なる民事訴訟ではなく、刑事裁判に代わって、ゴーン氏をめぐる事件の真相解明につながるものであることから、ゴーン氏の訴訟代理人という当事者の立場に立って訴訟活動に加わることにしたものだ。

ゴーン氏の国外逃亡後に、敢えて、唯一の「カルロス・ゴーン事件裁判」となるこの民事訴訟を提起したのだから、慎重な検討と判断を経たものだろうと思うのが当然だろう。しかし、日産の訴状の内容も、提訴以降の原告としての対応も、被告代理人にとって、驚きの連続であった。

訴状には、訴状には、「不法行為」について、これまで日産が一方で公表してきたゴーン氏の「不正」が記載されているだけで、非公表の内容は殆ど含まれていない。

「損害」として、ゴーン氏の不正に関して行ったとする日産の社内調査のための弁護士事務所費用約10億円、会計事務所費用約15億円、ゴーン氏の不正によって被ったとする信用棄損の損害10億円などが書き並べられているが、費用の具体的内容も支払先も全く記載されていない。100億円という訴額にするための「ぼったくりバーの請求書」のようなものだった。

しかも、民事訴訟規則55条2項では、

訴状には、立証を要する事由につき、証拠となるべき文書の写し(以下「書証の写し」と言う)で重要なものを添付しなければならない

とされ、同規則53条1項は

訴状には、・・・立証を要する事由ごとに、当該事実に関連する事実で重要なもの及び証拠を記載しなければならない

とされているのに、日産の訴状には書証が全く添付も引用もされていない。

原告代理人は、日本における企業法務を専門に扱う法律事務所の草分け的存在として明治35年に開設された岩田合同法律事務所であり、通常であれば、そのような「初歩的な民訴規則」に反する訴状を作成するとは思えない。

被告代理人からは、再三にわたって、書証の提出・引用を行うよう求めてきたが、全く提出されず、提訴から9カ月も経った先週末に、ようやく提出してきた書証は、会社登記簿、ゴーン氏に役員報酬の決定権が与えられていたことに関する取締役会議事録、日産が証券取引等監視委員会にゴーン氏の役員報酬等についての金商法違反を自主申告したことを受けて課徴金納付命令の勧告が出されたことのホームページの写しなど、既に公になっているものばかりだった。

このような経過で迎えた昨日の横浜地裁での第1回口頭弁論期日は、冒頭から波乱の展開となった。

被告代理人側から、主張の根拠となる書証が訴状に添付されておらず、提訴から9カ月も経っているのに、いまだに書証が殆ど提出されていない理由について、原告代理人を厳しく問いただした。原告代理人は、「証拠を整理しており、提出までに3か月かかる」と回答した。

原告代理人は、根拠となる証拠を整理することもなく、100億円もの損害賠償請求訴訟を提起したというのだ。しかも、書証の提出の問題だけではない。また「損害」については、前記のとおり、支払先も具体的内容も記載されておらず、主張自体が明確になっていないが、主張をいつ明らかにするのかと尋ねても具体的な返答はない。

被告代理人が追及し、原告代理人が防戦一方というのは、通常の訴訟とは真逆であり、裁判長も「原告」と「被告」とを言い間違える程だった。

期日終了後、被告代理人は裁判所近くの会議室で記者会見を開いたが、原告代理人は、報道陣に取り囲まれても「完全黙秘」を貫いたとのことだった。これも、通常の民事訴訟とは真逆だ。

記者会見では、前日に送られてきたゴーン氏のStatement Regarding Civil Lawsuit Filed by Nissan Motor Companyと題する声明文を公開し、私が訴訟代理人を受任するに至った経緯とこれまでの訴訟の経過を説明した。

公開したゴーン氏の声明文の最後は、以下のように締めくくられている。

今回の日産側の民事訴訟提起は、日産の一部経営者が邪悪な意図で行った不当極まりない社内調査、検察の不当な逮捕・起訴の延長上にあるものであり、公正な民事裁判が行われ、日産が主張する不正及び起訴された刑事事件の内容や問題点に精通している郷原弁護士を中心とする弁護団の反証活動により、私に対して向けられた不正や犯罪の疑いが全く理由のないものであることが明らかになるものと確信している。

ここで注目すべきは、原告の日産を代表して本件の訴訟を提起したのが、永井素夫監査委員会委員長だということだ。永井氏は、ゴーン会長に関する不正調査が行われた時から監査役として、「会長追放」の中心となった人物だ。その永井氏が、日産の代表者として、今回の訴訟を提起しているのである。

2018年11月19日の、突然の「ゴーン会長逮捕」以降の、夥しいゴーン・バッシング報道により、多くの日本人は、一連の事件を

強欲な独裁者ゴーンによる日産の私物化に加担させられていた部下の執行役員が、良心の呵責に耐えかねて監査役に「正義の内部通報」を行ったことを発端に、日産の社内調査が行われて重大な不正が明らかになり、その調査結果が検察に持ち込まれて「独裁者ゴーン」に検察による逮捕・起訴という「正義の鉄槌」が下った。有罪判決を受けて重い処罰が免れられないと考えたゴーンは、金に物を言わせて海外に逃亡した

というストーリーでとらえている。

しかし、そこには重大な誤解がある。

まず、「検察の捜査・起訴」に重大な疑問があることは、私が、ゴーン氏の最初の逮捕以降、膨大な数の発信を行い、その集大成として【前記著書】を公刊した。

そして、上記の「正義の内部通報」についても、ブルームバーグの記事「日産の社内メール、ゴーン元会長降ろしの実態を浮き彫りに」(2020年6月15日)、「ゴーン追放劇の陰の立役者はいかに日産の遺産を打ち砕いたか」(8月28日)で、

内部告発者とされるハリナダ氏が、日産とルノーとの関係の在り方等についての個人的動機に基づいて不正な方法でゴーン氏に関して情報を収集し、自ら日産の社内調査の中心になった後に検察と「司法取引」を行い、その後も日産の社内調査の中心となっていたこと

が詳細に報じられており、ハリナダ氏が「正義の内部通報者」であったことにも重大な疑問が生じている。

それに加えて、ハリナダ氏とともに社内調査の中心となったとされる永井氏が原告の代表として提起したのが今回の民事訴訟だ。ところが、日産側の訴訟対応は、100億円に及ぶ訴額の訴訟を提起した原告とは言えない異常なものであり、そのことも、日産の社内調査、ゴーン会長追放の経緯にも重大な疑念を生じさせている。

今回の訴訟で原告の日産が主張している「損害」の多くは、社内調査に関して外部の法律事務所や会計事務所に支払った費用であり、その社内調査の結果を検察に持ち込んだことがゴーン氏の逮捕につながった。

それらがゴーン氏の不法行為による「損害」であることを立証しようと思えば、調査の目的と内容を具体的に明らかにすることが必要となる。それによって、日産が行った社内調査が、本当に「経営トップの不正」についての内部通報を受けて行われた正当なものだったのか、一部の会社幹部が「ゴーン会長追放クーデター」を目的として行った不当なものだったのかが明らかになる。

多くの日本人が思い込んでいる上記のストーリーが正しいのか。全くの誤りなのか、日産側代理人が3か月後までに提出予定としている原告側書証の内容など、「日本で唯一のカルロス・ゴーン事件裁判」の今後の展開によって、明らかになってくるはずだ。