遅きに失した感は否めない最高裁のアファーマティブ・アクション違憲判決

こんにちは。

今年の6月29日に、アメリカの最高裁判所がハーバード大学の入試制度について、人種・民族系統による「割り当て制」は違憲との判断を下しました。

日本ではあまり大きなニュースになっていないようですが、現代アメリカ社会が抱える様々な病根の中でも教育制度の崩壊は非常に大きな問題です。今回の判決は、あからさまなアジア系学生の排斥を是正するという意味では一歩前進と評価することができます。

しかし、アメリカ中の大学、中でも一流大学が黒人やヒスパニックの学生を優遇してきた背景として、公立の小中学校レベルできちんと教えるべきことを教えずに済ませていることのしわ寄せが有名私立大学に及んでいると見ることもできます。

というわけで、今回は「アファーマティブ・アクション(直訳すれば肯定的な行動)」と呼ばれる黒人・ヒスパニック学生優遇制度が、結局はリベラル派知識人の自己満足以外の利点はほとんどなく、弊害は大きいことについて書いてみようと思います。

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ハーバード大学の入試はどれくらい不公平か?

まず、次のグラフからご覧ください。

これは被告であるハーバード大学側が「うちの大学はそんなに大きく黒人やヒスパニックの学生を優遇しているわけでもありませんよ」という証拠として提出した資料です。

なお、2000~17年卒業組というのは、それぞれその年に卒業するはずの学生たちという意味です。「公正な入試を要求する学生たち」という団体がハーバード大学に対して訴訟を起こしたのが2013年でしたから、その当時の最新の資料ということになります。

それでも、アジア系は他のあらゆるグループよりずっと高得点でないと入学できないことがはっきり出ているわけです。

また、大学側は「歴史的に合格率の推移を見ても、今は黒人やヒスパニックの受験生であれば大幅に入学しやすかった20年ほど前に比べれば、合格率の差は小さくなった」とも主張しています。

他のほとんどの人種グループでは10%台前半の合格率だった頃、黒人だけは20%を超える合格率だったこともありました。でも、最近ではあらゆる人種グループが6~7%の合格率に収まっています」というわけです。

しかし、アジア系や白人の受験者は日本の共通試験にあたる大学進学適性試験(SAT)の点数がそうとう高くないと合格できないことがわかっているから、始めから受験しない人も多いという自己規制があるのに、合格率がこれほど低いわけです。

一方、黒人やヒスパニックの受験生は、まだかなりSATなどの点が低くても受験するという傾向があることが、次のグラフでわかります。


アジア系や白人の場合、SATの点が突出して高くないと受験しない(高校の進路指導の先生も、推薦状を書いてくれない場合が多いようです)のに対して、黒人やヒスパニックはかなり成績が低くても受験できて、しかも合格率は高めなのです。

原告側が裁判所に提出した資料では、合格者の成績分布にアジア系・白人と黒人・ヒスパニック間で格段の違いがあると示されています。


ハーバード大学学力指数とは、SATと同大学が独自に開発した学力指標を総合したものです。その指数で見ると、アジア系の場合全体の上から10%に入る人たちでも合格率は12.7%と低く、11%目~20%目になると合格率がさらに下がって7.6%になってしまいます。

一方、黒人の場合は61%目~70%目まで、つまり下から数えたほうが早い人でも12.8%の合格率になっているのです。上から20%目までに入る人なら半分以上が合格しています。

アジア系で上から61%目~70%目の成績ですと、合格率は0.9%、100人にひとりも合格できないことになります。

まったく同じ学力指数の人同士で比べると、アジア系だと25%しか合格しない指数でも、白人なら36%、ヒスパニックなら77%、黒人なら95%が合格するそうです。

大学側が「たしかにアジア系の受験生はほぼ同じ学業成績でも合格率が低い。しかし、マイノリティに対する機会均等とは弱い立場の人たちを救うことだから、成績のいい人たちは人種的に少数派でもマイノリティと認めない」と言いきるのなら、それなりに納得できます。

ところがハーバード大は、この訴訟を通じて「決して不平等な扱いはしていない。人格や個性への評価がたまたまアジア系受験者は低かったので、学業成績が優秀でも総合点で合格できなかっただけだ」と言い張ってきたのです。

被告側の弁護士には「なるほどアジア系受験生は異常に成績が良い。だが、同時に異常に人格・個性面での評価が低かった。だから、アジア系受験生が不当に差別されているとは言えない」と、アジア系一般が人格や個性において劣るかのような主張をした人までいました。

こうなるともう、アジア系アメリカ人一般が人間として劣っていると断言しているのも同然で、いわゆるリベラル派知識人が、いかに本音では人種差別主義者なのかを自ら暴露してしまった発言としか言えないでしょう。

たしかに、白人で合格する人たちの中には豊かな家庭に生まれて、小学校から私立の名門校に入って、学業でいい成績を取りやすい恵まれた環境で育った人たちもかなり含まれているのでしょう。

ですが、アジア系の受験生の大部分は移民第2世代か、第3世代で決して金銭的に恵まれた環境で育ったわけではありません。むしろ、貧しい中でも子どもにきちんとした教育を身につけさせてやろうという親の努力に応えて成績もいいという受験生が大多数でしょう。

そういうグループの人たちを落すための口実として「成績はいいけど際立った個性がない」とか、「いったい何が楽しみで生きているのかわからない」といったまったく主観的な判断で人格・個性について低い点をつけられて締め出されるのは、あまりにも不公平です。

いい大学に入れば解決する問題ではない

一方、かなり高いゲタを履かせてもらって入学した黒人やヒスパニックの学生たちにとっても、一流大学の入学許可だけで低い学力が突然上がるわけではありません。まず、授業についていって卒業に必要な単位を取るのが一苦労です。

さらに、無事卒業したとしても、最近では一流大学卒でも黒人やヒスパニックの場合には、アファーマティブ・アクション(機会均等)があったからこその学歴で、実務対応能力は同じ大学を卒業した白人やアジア系に比べて見劣りすることが多いと知れ渡っています。

一流大学を目指すかどうかにかかわらず、人種・民族系統ごとにSATの成績がどう変わってきたかを示すグラフを見ると、アジア系と白人のあいだ、そして白人とその他マイノリティグループのあいだの成績格差は広がっていることがわかります。


白人と黒人・ヒスパニック・アメリカ先住民(アメリカン・インディアン)との差については、経済的・社会的格差の影響がかなり大きいのは事実でしょう。しかし、アジア系の人たちが白人より経済的・社会的に恵まれた立場にあるわけではありません

それなのに、1996~2016年の20年間で、アジア系は一段と高い平均点を取るようになったのに、白人は横ばいよりほんのちょっといいという程度にとどまっています。

それだけではありません。アジア系とその他全人種・民族系統グループの差は、コロナ危機時のロックダウンや学校閉鎖によってさらに拡大しています。


SATは数学、英語それぞれ800点満点ですが、その合計の平均点を示したのが上のグラフです。1980年代半ばにそれまで首位だった白人を追い抜いたアジア系の2科目合計平均点は、その後もほぼ一貫して上がりつづけています。

その他のグループがだいたい2000年前後、つまりハイテクバブルがピークに達した頃に2科目合計平均点もピークを打ち、その後はダラダラ下げつづけたのとは顕著な対照を見せています。

おそらく、ハイテクバブルや国際金融危機といった経済的、社会的変動に一喜一憂せず、ふだんどおりの生活と学習をつづけられたことが大きかったと思います。

また、コロナ騒動では、学校で正規の授業を受けられなくなったときにどういう生活態度で暮らすかが、決定的な差になったのでしょう。アジア系の学生たちだけは2020年にほんの少しへこんだだけで、2021年にはもう上昇基調を取り戻しています。

だれかに強制されたわけでもなく、だれかに監視されているわけでもないのに、自発的に自宅でも学習をつづけていたのはアジア系の学生たちだけだったと言っても、それほど大きな誇張にはならないでしょう。

一流大学が入試でこうした勉学に意欲的な学生グループを意図的に排除して、お目付け役がいなければ遊んでしまうような人たちを優遇するのは、学生たちにとってだけではなく大学自身にとっても大きな損失だと思います。

四大卒の学歴には巨額の借金に見合う実益があるのか

それにしても、アメリカではなぜあまり勉学には向いていないような人まで一流大学への入学を目指すのでしょうか。アメリカで四年制大学を卒業するには、次のグラフでご覧いただけるように莫大なコストがかかります。


私立大学全体の平均値でも1年に4万ドル(約560万円)、一流大学となると6~8万ドルの授業料が必要です。さらに教科書代もかなり大きな出費になります。そして、どちらも病院で
治療を受ける費用の次くらいに毎年値上がり率が大きいのです。


ふつうの所得水準どころかかなり豊かな家庭でも、現代アメリカで親の所得や資産と当人のアルバイトだけは賄えません。渡し切りの奨学金がもらえるほど成績優秀でなければ、学費ローンを組んで4年間で何万ドルかの借金をしょいこむことになります。

それでもなお、四年制大学を目指す人が多いのは、アメリカでは四大卒の学歴はけっこう大きく所得水準を上げてくれるからです。


日本の場合、おそらく今でも四大卒より工業高専卒のほうが生涯所得は多いというくらい、四大卒という学歴の価値は低くなっていますが、アメリカでは学士号があるなして約2万ドル年収が違ってくるわけです。

当然、ハーバード、スタンフォード、MITなどの一流大学卒ということになれば、短大卒以下の学歴の人との所得格差はさらに拡大します。というわけで「学費ローンを完済するまでは苦しくても、そのあとは豊かな暮らしができる」と考える人が多いのでしょう。

でも、残念ながらそれは幻想です。最近のアメリカの四年制大学の新入生と卒業生が、自分の選択した科目でどの程度の問題解決能力を身につけているかとなると、次のグラフが示すとおりにお寒い現状なのです。

アメリカは意外に社交辞令の多い国で、大学生の教科理解度を示すことば遣いも非常に立派に見えます。しかし、中身は大違いです。

「初歩的」というのは今まで詰めこんできた知識はまったく使いものにならないので、一から教え直さなければならないという意味です。

習得中」というのは、やっといったいどんな問題を解こうとしているのかがわかりかけてきた段階です。

熟達している」というのは、教えたとおりにやれば正解の出る問題なら解けるという意味です。

理解は完璧」というのは、どういう理屈なのかまでわかるようになったということです。

先端的」となって初めて、この分野で何かおもしろい発見をするかもしれないという状態に到達したことになります。

莫大な授業料を4年も払いつづけて、先端的と呼べる学生が2%から3%になったのは、100人のうちたったひとり増えただけと悲しむべきか、1.5倍になったと喜ぶべきか、微妙なところです。

文句なく悲惨なのは、まったくお話にならないほどわかっていない人間が、入学時の27%から卒業時の18%に減っただけ、つまり2割弱の学生が自分の選んだ教科についてさえ、何ひとつわかっていない状態で卒業していくことです。

初中等教育が甘すぎる

どうしてこうなってしまうかと言うと、答えはかんたんです。小学校から高校までのあいだに、なるべく楽をして卒業できるような工夫が凝らされていて、抽象的な思考方法を学ぶことなく高校を卒業してしまう学生が多すぎることです。

13歳時(日本で言えば中学校1年生レベル)の読解力と数学を見ると、2012年までは比較的順調に点数が上がっていて、その後2020年と2023年に実施したテストの成績が急落したように見えます。

しかし、これは明らかにおかしいと思います。とくに、読解力の上昇カーブが緩やかなのに、数学の上昇カーブが急なのは、どう考えてもアメリカの学生はどんどん数学ができなくなっているという実感とかけ離れています。

最近のアメリカの初期中等教育(日本の中学教育)では、1年生の段階で数学は選択制になっていて、まったく選ばないこともできるし、「普通数学」「Pre-Algebra(代数準備課程?)」「代数」の中から選ぶこともできるのです。

普通数学というのは、代数的な考え方をまったく排除しているので、おそらく加減乗除をくり返すだけの算数でしょう。

代数準備課程というのは、本来代数でやればかんたんな問題を鶴亀算のような技巧を使って教えることによって、徐々に代数の抽象性に接近させようというのでしょう。

しかし、中学1年にもなって、代数的な抽象性を排除した「数学」でも単位が取れること自体が、生徒を甘やかしすぎでしょう。

代数を教えなかったら、たとえば次のような証明問題をどう解くのでしょうか。

ある数の2乗は、必ずそのひとつ前の数とひとつ後ろの数の積より1大きいことを証明せよ。

1の2乗は1で、0×2=0より1大きいです。2の2乗、4は1×3=3より1大きい。3の2乗、9は2×4=8より1大きい……。これをどんなに大きな数までやって「実際にそうだ」と確かめても、証明したことにはなりません。

しかしxの2乗、x^2と(x-1)×(x+1)を比べると、後者はx^2ーx+x-1=x^2-1となって、x^2より1小さいに決まっていると証明できます。

アメリカに暮らしてみると、まだ現在ほどすさんでいなかった1970年代後半から80年代前半でも、大学生のほとんどが小さな数を大きな数で割ったとき、小数点以下いくつ0が並んだあと1~9の具体的な数値が出てくるのか、まったくわからないことに唖然としました。

代数的発想を禁じ手にした「数学」を「普通数学」と呼ぶようになった現代アメリカでは、学生たちの数学的な思考法に対するアレルギーは、もっとひどくなっているでしょう。とくに被害が大きいのは、いろいろ恵まれない環境で暮らしているマイノリティです。


そして「数学には正確な答えがあるという発想自体が、白人優越主義だ。黒人などのマイノリティが出した答えについては、だいたいそのへんだろう程度で正解としてやろう」という露骨な黒人蔑視を、まるで善行でも施しているかのように主張する連中がいます

ビル・ゲイツを始めとするこの連中こそがまさに白人優越主義者たちであり、彼らは黒人に「永遠に我々ご主人様が考えて指図したとおりに、我々の手足になって働け」と言っているのです。

マイノリティとしてハンデを負っている人たちにこそ、甘い顔を見せずに徹底的に論理的思考法を鍛える教育を、できれば小学校から、遅くとも中学校から始めることがアメリカにおける教育の荒廃を食い止め、逆転させる唯一の方法だと思います。

大学受験時の成績向上もあてにならない

この視点から見ると、2020年以降はともかく2019年までは大学受験時のアメリカの高校生の成績が向上していたという次のグラフも眉唾ものと考えるべきでしょう。

何より雄弁な証拠は、2012年から23年にかけて、学生たちが自発的に娯楽として本を読む機会が極端に減ってきていることです。


13歳、日本で言えば中学1年生頃までに娯楽としての読書習慣を身につけなかった人は、おそらくその後もめったに楽しむための読書をしないまま過ごすような気がします

それは、直接「受験勉強」にはなりませんが、絶対に思考能力を鍛える効果があるはずです。

2020年に欧米諸国で実施されたロックダウンや学校閉鎖は、まったく必要のない愚策だったとは言え、子どもたちが読書を身につける大きなチャンスだったかもしれないと思います。

そのチャンスを生かすことができたの学生は、アジア人家庭で育ってきた人たちだった可能性が高く、それがコロナ後に学業成績の差がさらに拡大したことにも結び付いているのではないでしょうか。

孤独な世代を生みそうな自宅学習とSNS

ロックダウンと学校閉鎖は、多くの親に子どもを自宅で教えるという選択肢を与えたという側面もあります。また、とくにカリフォルニア州などの公教育公でLGBTQ+の押し付けがある地域では、その影響を懸念する親も自宅学習に踏み切るケースが増えています。

というわけで、初中等教育を自宅で受ける子どもの数は、ご覧のとおりの激増を見せています。


こうした傾向が顕在化する前から、アメリカの子どもたちが親友と呼べるような友達をなかなかつくれない状況が続いていました。

最大の理由は都市圏ではほぼ完全にスクールバスか保護者の運転するクルマでしか通学ができず、子どもだけで戸外で遊ぶチャンスがほとんどなくなってしまったことです。

さらに、SNSの普及が広く浅い友達付き合いはできるけれども、親友はなかなかできない傾向を強めたように思います。その被害はとくに男性に現れているようで、次の2枚組グラフ下段に示すように、男性が親友と考える友達の数が激減しています。


週に1回以上読書を楽しむ子どもが約3分の1になってしまった一方で、毎日1回はSNSを使う子どもがこんなに多くなっていることにも、暗澹とした気持ちにさせられます。SNS自体が悪いとは思いませんが、あまりにもムダな時間をついやすことになりそうです。

小中学校の授業でしっかり鍛えるべき思考能力を鍛える教育さえしていれば、大学入学時点でマイノリティをことさら優遇する必要もないはずです。

しかし、なかなか公共初等教育の崩壊に手を打てない現状では、今さらハーバードの入試制度が多少公平さを取り戻したところで、焼け石に水ではないでしょうか。

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編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2023年7月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。